第一幕 第七場
佐藤コウジが友人の山本ヨウイチを待つ事十五分、墓地公園の駐車場入り口に人影が現れた。
「やっときたか。でもあいつ何で車じゃないんだ」
佐藤は手に持っていたペットボトルを車の屋根に置くと、友人を迎えるべく懐中電灯の明かりをつけて目印にしてあげる。その明かりに気づいたのか、人影もこちらに向かって歩いてくる。
人影がこちらに近づくにつれ、佐藤はある事に気がついた、人影が一つではなく二つあることに。
「二人いる?」
佐藤は眉根にシワをよせると目を凝らし、こちらにやってくる人物の姿を見つめる。明らかに友人ではない。二人とも体格がよく身長も高い。
「誰だ?」
やがて二人が佐藤の前にやってきた。一人はスキンヘッドの男で、もう一人はアフロの髪型をしている。二人はチンピラのような格好をしており、一目見て明らかに堅気の人間ではないとわかる。
「佐藤コウジだな?」スキンヘッドの男が訊いてきた。
「……なぜ俺の名を?」佐藤は困惑した口調で言った。
二人の男は互いに顔を見交わすと、満足げにうなずいた。
いったいこいつらは何者だ、と佐藤は思った。なぜ俺の名前を知っている。そしてなぜ俺がいまここにいる事を知っていたんだ。
「悪いが佐藤さんよ」アフロの男が言った。「あんたを誘拐させてもらう」
「誘拐?」
二人の男は懐から拳銃を取り出すと、佐藤に突きつけた。
突然二丁の拳銃が突きつけられ、佐藤は混乱してしまう。こいつら本気なのか?
「……君たち悪ふざけはやめてくれないかな。その銃も偽物なんだろ」
スキンヘッドの男が拳銃を佐藤から車の屋根に置かれたペッドボトルへと向ける。そして引き金を引いた瞬間、銃口から火が噴き、ペットボトルが弾け飛び、あたりに水をまき散らす。
佐藤は驚き身をすくめてしまう。
「これでわかっただろ」アフロの男が言った。「俺達は本気であんたを誘拐するつもりだ。抵抗はするな。ただし、死にたいのなら話は別だがな」
「わ、わかった……。抵抗はしない」
佐藤はゆっくりと両手を上げた。次から次へと問題ばかりが起こっている。今はこんなヤツらに関わっている場合じゃないのに。だがこいつらの拳銃は本物だった。下手に抵抗すれば殺されるかもしれない。今は大人しく従うふりをして、逃げ出すチャンスを待つしかない。
「違う、違う」アフロの男が嘆かわしげに首を横に振った。「両手は背中に回すんだよ。早くしろ」
指示された通り、佐藤が両手を後ろに回すと、スキンヘッドの男が手に持っていたカバンから縄を取り出し、それで両手を縛り上げはじめた。
「さてと携帯電話は持っているな」アフロの男が訪ねる。
「……ああ」佐藤はうなずいた。
「渡してもらおう。どこにある?」
「ジャージのポケットの中だ」
「素直でよろしい」
アフロの男は楽しげな様子で佐藤のジャージのポケットから携帯電話を取り出すと、口笛を吹いた。
「佐藤さん、あんた最近ずいぶんと羽振りが良いみたいだね」
「何の話だ?」
「あんたのとこの奥さん、ものすごく贅沢三昧じゃないか。その金遣いのすごさは耳にしているよ。あんたみたいな金持ちと結婚できて奥さんもハッピーだろうな。そして俺たちもハッピーになりたいんだよ。この意味わかるな」
だんだんと話が見えてきた、と佐藤は思った。妻のアカネがバカみたいに金を使うもんだから、それが噂になってこんな危ないヤツらに目をつけられたんだ。あのバカ女と結婚するんじゃなかった。
「これから奥さんにラブコールを送るけどいいよね」アフロの男は話を続けた。「奥さんの名前なんて言ったけ。たしか……アカネちゃん。そうアカネちゃんだ。これから彼女に熱いラブコールを送るから、それに応えてもらえたら、あんたは無事に解放してやる。約束するよ」
それはまずい、と佐藤は思った。こいつらは俺を誘拐し、妻のアカネに身代金を要求するつもりだ。だがその相手である妻は死んでしまった。しかも行方不明ときている。
「待ってくれ、妻は——」
「はいはい、おしゃべりはそこまでだ」そう言ってスキンヘッドの男が佐藤の口にガムテープを貼る。
佐藤は懸命に無駄足に終わると伝えようとするが、塞がれた口ではそれはできなかった。くぐもった声は雑音に聞こえたのか、スキンヘッドの男が苛立った様子で佐藤の顔をぶん殴った。
「黙ってろ」スキンヘッドの男はそう言うと佐藤の胸ぐらを掴み、そして車のトランクの中へと彼を無理矢理押し込む。
「大丈夫だ安心してくれ佐藤さん」アフロの男が紳士ぶった態度で言う。「俺たちの目的は金だ。あんたのかわいい奥さんに手を出すつもりはないし、それにあの女は俺の趣味じゃない。どっちかというと嫌いなタイプだ。あんた女の趣味相当悪いね。ああいう女は外面だけで、中身はバカだぞ。今後のために忠告しておくと、早めに離婚したほうがいいぞ。きっとそのうち苦労するはめになるからな」
それはもう知っているよ、と佐藤は叫びたかった。だがガムテープ越しのくぐもった声しかだせない。
「佐藤さん、通話中は死体のように静かにしてほしいんだが。本物の死体になりたいっていうんなら話は別だぞ」
そう言われ、佐藤は黙る事しかできなかった。
「ありがとう。しばらくの間、そこで大人しくしていてくれ」
アフロの男はそう言うと、トランクを閉めた。
佐藤の視界は真っ暗闇に包まれた。おそらく次にこのトランクが開いたとき、ヤツらは怒って捲し立てるだろう、お前の奥さんに電話が繋がらないぞ、と。そして逆上されたあげく、自分に八つ当たりするに違いない。だいたい死んだ妻に身代金の要求なんて無茶な話なんだよ。
しばらくすると、トランクの外から二人の言い争う声が聞こえてきた。
やっぱりな、と佐藤は思った。たぶん誘拐計画がうまくいかなかったから、焦っているんだ。だから忠告してやろうとしたのに。
トランクが開き、二人が怒りの形相で佐藤をにらみつけている。
「誘拐計画がおじゃんだよ」アフロの男が言った。「聞いて驚くなよ佐藤さん。あんたの奥さんのアカネちゃんも誘拐されてたよ」
衝撃の事実に佐藤は我が耳を疑った。このアフロはいまなんて言った? 自分の耳が確かなら妻が誘拐されたと聞こえた。そんなまさか。
「おいお前」スキンヘッドの男が乱暴に佐藤の口に貼られたガムテープをはがす。「奥さんを誘拐するような輩に心当たりは?」
「あのー……、妻は生きているんですか?」
「ああ、安心しろ生きている」アフロの男が言った。
「どうして生きているんだ?」
「お前はバカか」スキンヘッドの男が言った。「生かしておかねえと、人質の意味がないだろうがよ。殺しちまったら身代金ぶんだくれない、そのくらい理解しろよ」
「でも妻は……」死んだはずだ。
「佐藤さん、心中お察ししますよ」アフロが慇懃無礼な態度になる。「かわいい奥様が誘拐されて心配なのがわかりますが、相手も身代金目的の誘拐。殺される事はたぶんないでしょう。不測の事態が生じない限りね。だが今現在不測の事態が生じてしまっている。これは非常にまずい事態ですよ」
佐藤はわけがわからない思いだった。妻は死んでトランクから消えたと思ったら、今度は誘拐された。しかも生きたまま誘拐されたと言っている。もはや何がなんだか理解が追いつかない。
「さてとどうする?」スキンヘッドの男がアフロの男に言った。
「もうすぐあの男がここに来る。それはまずい。とりあえず移動しよう」
「そうだな」
スキンヘッドの男は再び佐藤の口にガムテープを貼るとトランクを閉めた。もし騒いだらすぐさま撃ち殺すと釘を刺して。
佐藤は妻の死体が入っていたはずのトランクに載せられ、車は走り出す。この先何が起こるのか彼にはもう予想もできなかった。