第一幕 第六場
佐藤コウジは閑散とした墓地公園の駐車所へとやってきていた。そこはこの町で噂される三大心霊スポットのひとつで、そのため彼の車以外は停まっておらず、外灯もなく夜ということもあり人気はまったくない。もし万が一、妻の死体があった場合、人に見られてはまずいという理由でここを選んだのだった。
佐藤はトランクレバーを引くと、懐中電灯片手に車を降りた。
「本当に何もないのか?」
困惑しつつもトランクに歩み寄ると、その縁に手を掛けた。だがトランクを開けるのに躊躇してしまう。もしも警察官の言う通り何もなかったら、と考えると恐ろしくなってしまう。
佐藤は深呼吸すると腹を決めた。そっとトランクを持ち上げると、懐中電灯で中を照らした。
「……ない」
佐藤は信じられない思いでトランクの中を見つめる。そこにはあるべきはずの妻の死体が入ったスーツケースは消えていた。
「……嘘だろ」
なぜだ、と佐藤は思った。死体が消えた。そんなことありえるはずない。自分は悪い夢でも見ているのだろうか?
佐藤が呆然と立ち尽くしていると、彼が着ているジャージのポケットから携帯電話の着信音が鳴り響いた。だがしかし、死体が消えてしまったショックのためか電話に出ようとしない。
「……どうして死体が消えたんだ?」
佐藤はその謎を考えようとするが、携帯電話の着信音が思考を邪魔する。
「誰だよこんな時に」
しかたなしに携帯電話を取り出し、相手の名前を確認したとき、佐藤は目を見開いてしまう。その白黒の画面にはありえない名前が表示されていた。
『アカネ』
携帯電話を握る佐藤の手が震える。ありえない。妻のアカネから電話がかかってくるなんて絶対にありえない。だって妻は死んだはずだ。
風が吹き、木々が不気味なざわめき声をあげた。
死んだ妻からの電話、そんなありえない状況に立たされている佐藤は電話に出るべきかどうか戸惑う。
「本当にアカネからの電話なのか」
佐藤は空のトランクと携帯電話の画面を交互に見る。この電話に出ることで、消えた妻の死体の謎がわかるかもしれない。このおかしな状況から脱出できるのならば、電話に出るべきだ。
佐藤が思い切って通話ボタンを押そうとしたその瞬間、電話は切れてしまった。
佐藤は大きく息を吐くと、極度の緊張からの解放のため体の力が抜け落ちてしまい、その場に座り込んでしまう。
「どうなってんだよ?」
折り返し電話をする勇気が佐藤にはなかった。死んだ妻が消え、さらには電話がかかってくる。もしかしてアカネは生きているのか? いや、そんなバカげた事があるはずがない。
リビングで倒れていた妻の姿を思い浮かべた。息もせず脈拍もなかった。確実に死んでいたはずだ。だが仮にそれが間違いだったとしたら。もしも仮死状態かなにかで死んだと誤解していた可能性はないだろうか。自分は医者ではないし、確認を誤った可能性はありえるかもしれない。
「アカネは死んでなくて生きているのか?」
アカネが生きていると仮定してみよう、と佐藤は思った。死んだと勘違いした自分が妻をスーツケースに入れた。でもその後、息を吹き返した妻がどうやってスーツケースの中から脱出するんだ? 内側からは開けられないはずだ。なのにスーツケースごと忽然と消えてしまった。
「ダメだ。何がどうなっているかなんて、俺にはわからない」
佐藤は考えるのをあきらめると立ち上がる。もはや自分の手に負える事態じゃない。誰かに助けを求めなければならない。この夢のような話をバカにせず、かつ信用し秘密を守れる人間。
「あいつなら助けてくれるはずだ」
佐藤は携帯電話をいじると通話ボタンを押した。三コールで相手は電話に出た。
「もしもし」それは友人の山本ヨウヘイの声だった。
「ヨウヘイ助けてほしんだ」
「どうしたコウジ。あっ、ひっとして奥さんのことだな」
「ああ、そうなんだ」
「離婚話うまくいかなかったのか?」
「まあ、そんなところだ」
「よし、それじゃあ俺が今から殺しに行ってやるよ」
今の佐藤には笑えない冗談だった。
電話口から相手の楽しげな笑い声が聞こえてくる。「おいおい、このくらいのジョーク、笑い飛ばせよ。自信家の佐藤コウジならそうしてくれるはずだぜ」
「……ああ、悪い」
「どうやら、ずいぶんまいっているようだな」山本は気づかうような口調になる。「大丈夫かコウジ?」
「いや、大丈夫とは言いがたい状況だ」
「そうか。いったい何があったんだ」
「ごめん、電話では話せない。直接会って話したい」
「わかった。後でお前の家によるよ」
「悪いがヨウヘイ、俺はいま家にはいないんだ」
「じゃあ今どこにいる?」
「墓地公園の駐車場だ」
「墓地公園?」山本は困惑したように言う。「どうしてこんな夜に墓地公園の駐車場なんかにいるんだよ。そこは有名な心霊スポットだろ」
「いろいろわけありなんだよ。人に見られたくないんだ」
「人に見られたくない? もしかしてお前、そこにひとりでいるのか」
「ああ、そうだ」
「ひとりで心霊スポットに来たのはいいが、怖くてぶるっちまって動けないのから、俺に助けを求めているんだな」
「すまんがヨウヘイ、いまはジョークに付き合う気分じゃないんだ。頼むからここに来てくれ」
「わかったよ。あともう少し、したら墓地公園に向かうよ」
「ありがとう」
「おう、それじゃあ」電話は切られた。
佐藤は携帯電話をしまうと、しんと静まり返ったあたりを見回す。友人の言う通り、心霊スポットにふさわしい不気味な雰囲気がある。だがしかし、彼は幽霊の存在を信じておらず、この場所が怖いとは思っていなかった。
もしかすると死んだ妻の霊がトランクから死体を隠し電話を掛けてきたのでは、という考えが一瞬頭をよぎったが、すぐさま佐藤はそれを打ち消した。そんな非科学的なことがありえるはずもない。あってたまるか。
だったらなぜ妻の死体は消えて、電話が掛かってきたのか?
その謎がわからない。
佐藤は車の後部座席からミネラルウォーターのペットボトルを取ると、水を飲んで気分を落ち着かせようとする。こんなことになるなんて予想だにしていなかった。予想できるはずもなかった。
佐藤は重いため息をつくと、一刻も早くこの状況を切り抜けるために、友人が早く来てくれるのを願った。