第二幕 第二十八場
「寝言は死んでからにしてくれ」山本ヨウヘイは語気鋭く言った。
「それはどういう意味かな?」刑事がきびしいまなざしを浴びせてくる。
「簡単な事だ。死んでしまえばどんな言葉も誰にも届かないから、誰の迷惑にもならないって事だ」
「何が言いたい?」
「俺が銀行強盗犯だという戯れ言は二度と口にするな」
いま山本は警察署の取調室で刑事の男と向き合っている。大勢の警察官によって取り押さえられた彼は、その後パトカーに乗せられ、取り調べのためにここに連れてこられたのだった。
「つまり君は銀行強盗犯ではないと言いたいのかな?」
「ああ、そうだ」山本はうなずいた。
「ならなぜ抵抗した」
「そっちが襲ってきたからだ」
「襲った?」刑事はいぶかしげな顔つきになる。「我々警察が君を襲ったのかね」
「そうだとも。検問にあたっていたあの警察官は恣意的な判断で俺を銀行強盗犯だと決めつけ、無理矢理拘束しようとしてきた。俺はこの不当な行為から自分の身を守るために抵抗したにすぎない」
刑事は苦笑する。「そんな言い訳が通じるとでも思っているのかね」
「言い訳ではなく、事実を述べているだけだ」
「なら君の車にあったあの金をどう説明する」
「だから何度も言っているだろ。支店長に確認させればすぐにでも俺がシロだとわかるはずだと」
「それはやっているがね、現場の後処理やらなんやらで忙しくて時間がかかっているんだよ。すまないね」
「つまりはなっから俺の話は信用してないので、確認するつもりはないということだろ」
「そんなことは言ってない。人聞きの悪いことを言うのはよしてくれ」刑事はわざとらしい笑顔を作ってごまかす。
うんざりだ、と山本は思った。どうして警察という組織はこうも傲慢なのだろうか。一度クロと決めつければ、こちらの言葉に耳を貸そうともしない。これが特別な地位にいると思い込んでいるヤツらの怠慢だ。
山本は腹立たしげに頭を掻いた。こいつらのことだ、きっと自分達に都合の悪い証拠が出ても見て見ぬ振りしかねない。このままだと冤罪で銀行強盗犯に仕立て上げられてしまう。この窮地を脱する一番の方法が、本物の銀行強盗犯が捕まってくれることだが、この無能達にそれを期待するだけ無駄な話だろう。
たぶん支店長との確認が取れても、こいつはなんらかの偽装行為だと考えるだろう。金を下ろした人間がすぐさま舞い戻り銀行強盗をするなどと、そんな怪しい行動は普通ならしないだろう、という思い込みを利用したに違いないと難癖をつける可能性がある。
「友人との約束があるというのに、こんなことしている暇はないんだよ俺は」
「その友人というのは共犯者のことかな」刑事が訊いた。
「違う。共犯者なんかじゃない。俺の昔からの友人だ」
「そうか。それは残念」刑事はわざとらしく肩をすくめる。「銀行強盗犯は二人組だということは君はもちろん知っているだろ、実行犯なんだから当然だよな。もうひとりの居場所を教えてくれれば、君の罪は軽くしてやってもいいんだぞ」
「そんなの俺は知らない。たとえ知っていたとしても、仲間を売るようなマネは絶対にしないぞ」
「その発言は自分が銀行強盗犯であることを認めた、と受け取っていいのかね?」
「いいや違う、たとえばの話だ」
「素直に認めてくれればいいのに、強情だな君は」
もう自分をクロだと決めつけている事を隠そうともしない刑事に、山本は苛立ちを募らせた。それと同時にいまなお逃亡を続けている銀行強盗犯を呪った。そいつらが捕まってくれさえしたら、自分はここを出られる。だが事件発生から数時間経つというのにまだ捕まらないという事は、きっと綿密に立てられた計画に違いない。このまま逃げおおせられたら最悪だ。
そしてもっと最悪なのは、そいつらが死亡していることだ。銀行強盗犯は二人組、つまり金を巡っての争いが発生し相手を死に追いやる可能性がある。もしその際に相打ちという結果になり、両者とも死亡していた場合、真相究明には時間がかかるだろう。下手すれば永遠に闇に葬られたままになることだって考えられる。そうなってしまえば自分はずっとここに捕らわれたままだ。それだけは絶対に避けたい。
「犯人の捜索はまだ続いているのか?」山本は訊いた。
「もちろんだとも。犯人は二人組、もう一人を逮捕しなければ事件は解決したことにならないからね」
「ならさっさと真犯人の二人を捕まえてくれよ」
「君が協力してくれるなら、残りの一人も早くに捕まるんだけどな」
なんて嫌なヤツだ、と山本は思った。どうしても俺を犯人扱いして、仲間の居場所を教えろと強要している。
「なら、協力してやるよ。あくまでも真犯人の二人組を捕まえるためにだけどな」
「そいつはうれしい申し出だな。君の協力があれば、もう一人の捜索も容易になる」
「だったらまともな検問をしろ。一部始終を見ていたが、あんたら警察は該当する逃走車に似た車以外はろくに調べようともしていない。よく考えてみろ、銀行前に堂々と停めていた車で逃走したとあんたは言ったよな。そんな確実に目撃された車で逃走を続けると思うのか。絶対にその車は乗り捨てられているはずだ。その後は車を乗り換えたか、タクシーやバス、電車で逃亡していることだって考えられる」
「もちろん、そういった公共機関などを使っての逃亡も考慮して捜索にあたっているからそちらは大丈夫だ」刑事はそこで言葉を切ると、しぶい顔つきになる。「君はまともな検問がされてなかったと言ったが、それは本当かね?」
「ああ、現場の警察官に確認すればわかるはずだ。ひどい手抜きだったぞ。普段の仕事っぷりがうかがえるな」
刑事は側にいた別の刑事にまともに仕事をするように伝えろ、と指示を与える。それを聞いた彼は取調室から出て行った。
「もし車を乗り換えられていたら、今ごろ遠くに逃亡されているぞ」
「ご忠告ありがとう。だが全ての検問が手抜きだったというわけではない。たまたま君が通過しようとしていた検問が、残念なことに手抜き仕事をしていただけだ。数ある検問の一つにたまたま隙があっただけで、犯人が運良くそこを通過した可能性は低い」
「そうだといいですね。今回手抜き仕事をした警察官はきびしく処罰しておいてくれよ。できれば懲戒免職が望ましい」
「考えておくよ」
山本は自分を銀行強盗犯だと決めつけた、あの警察官の顔を思い浮かべてほくそ笑んだ。これであいつが罰せられるのは間違いない。ざまあみやがれ。
「刑事さん、あんたの言った通り、犯人がその検問を通過してなかったとしよう。となると犯人達はまだ市内に潜伏している事になる」
「そう考えるのが妥当だな。ヤツはこのX市内のどこかにいて、できるだけ早く自分の家に無事帰ろうと、我々の捜査網の隙をうかがっているはずだ」
「もし、そうじゃないとしたら」
刑事は眉根をよせた。「どういうことだ?」
「逃亡する必要がないってことさ」
「それはどうしてだ?」
「つまり犯人はこのH市の、それもあの銀行支店が生活圏内の住民ってことさ」
「なんだと、そんなまさか!」刑事は驚いた様子だった。
「あんたら警察はこう考えている。銀行強盗を企てようとする輩は、なるべく自分の住む場所から遠い銀行を狙うはずだ。間違っても自分の生活圏内の銀行は狙わない。そんなことしてしまえば、身近なところから足がつきかねない、そう考えているはずだ。銀行強盗犯はその考えを逆手に取ったんだ。それなら検問など気にせず、どうどうと家に帰れる」
「……たしかにその発想はなかった。おもしろい、君の推理を聞かせてくれ」刑事は山本の話に興味を惹かれた様子だった。
「銀行強盗犯が犯行におよぶ理由の大半が、金に困っての犯行だ。それも銀行強盗を犯すとなると、かなりの額の金に困っていたはずだ。おそらく株で失敗し多額の借金を作ってしまった投資家や、事業が失敗し経営が維持できず店を畳んだ人間がそうだと考えられる。ほかにも自己破産した人間や公共料金などの支払いが滞っている者を、あの銀行支店の生活圏内からリストアップすれば、必ずそこに犯人はいるはずだ」
「おい、すぐに調べろ」刑事は別の刑事に指示を与える。
これで準備は整った、と山本は思った。自分を冤罪に追い込んだ犯人を、今度はこっちが追い込んでやる。まってろよ銀行強盗犯め。




