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第二幕 第二十一場

「何してるんだよ!」今井カイセイが叫んだ。


「……俺は何をしたんだ?」野口ツバサが唖然とした様子で言った。


「見てわからないのか?」今井はフロントガラス越しに見える、道路に倒れている女を手で指し示す。「あの女を車で轢いたんだぞ」


「そんなバカな……」


 野口は倒れている女を見つめる。女は身じろぎもせずに横たわっており、動く様子を見せない。


「……まさか死んでいるのか?」野口はそれが嘘であって欲しいと願った。


「たぶん死んだなこれは」


「嘘だろ」


「嘘だと思うなら確かめればいい」


 またしても計画にない事が生じてしまった、と野口は思った。今度は自分が人身事故を起こしてしまった。いったいなぜ、こんな事が起きたんだ。確かに自分はまた事故が起きないよう注意して運転していたはずだ。


「……なあ今井、あの女はいつのまに道路に立っていたんだ?」


「そんなの俺が知るかよ。運転していたのはお前なんだぜ。いちいち俺が前を見ているわけないだろ」


「俺は確かに前方に注意を払いながら車を運転していたんだ。だから断言できる、道路を横断しようとする人間はいなかったはずなんだ。なのに俺が一瞬目を離した隙に、それも一秒にも満たない時間であの女は現れた。そして気づいた瞬間には手遅れだった。こんなことってあるのか?」


「お前、言ってたじゃないか。事故なんてものは誰にでもあるような事じゃない。事故の原因の大半はドライバーが注意を怠っているからだって。お前が一瞬でも目を離したのが事故の原因だ。後で俺に土下座してくれよ」


 野口はハンドルに頭を埋めてうなだれた。どうしてこんなことになるんだ。せっかく問題を解決してうまくいっていたのに。


「おい野口、そう落ち込むなよ」今井が励ます。「お前は計画にないことが起きたぐらいで、動揺し過ぎなんだよ。もっとどっしりとかまえてろ」


「……悪いが今は冷静になれない」


「おいおい頼むよ。まずは冷静になってくれよ」


「もうお終いだ」


「そんなバカみたいなこと言うなよ。ほれまわりを見てみろ」今井はそう言ってあたりをぐるりと手で指し示す。「ここは人目のない場所だろ。誰かに目撃されたわけじゃないんだ」


 今井にそう言われ、野口はあたりを見回す。たしかにここは建物などほとんどなく、人気のない林道だ。誰かに見られた可能性は限りなく低い。それなら目撃されて通報される心配はないはずだ。


「……そうだな。ここが人目のない場所でよかった」野口はほっと息をつく。


「少しは落ち着いたか。なら女が生きているかどうか確かめようぜ」


「ああ、わかった」


 ふたりは車を降りると、女の元に歩み寄りその顔をのぞき込む。女の顔は青白く、まるで血の気がない。あんなにも激しくぶつかった割には出血も少なく、今井が轢いたしまった男とは大違いだ。


「生きていると思うか?」野口は訊いた。


「多分ダメだろうな」


 今井はそう言って女の元にかがみ込むと、彼女の顔に手をかざした。どうやら呼吸しているかどうか、確かめているらしい。


「どうだ今井?」


「息はしていない」


「クソ、マジかよ」


 今井は女の首筋に指をあてると、首を横に振った。


「最悪だ」野口は頭を抱える。「女を轢き殺すなんて胸くそ悪い」


「まだ若いのに残念だ。でもまあ、どのみちノストラダムスの予言通り今月で人類は滅んでしまうんだ。そんなに気に病むなよ野口」


「それはわかっているが、やはり女を殺してしまったという事実は気分が悪くなる」野口は不快そうに顔を歪める。


「しかたがないさ。一度あったことは二度あるって言うだろ」


「それを言うなら、二度あったことは三度あるだ」


「そうなのか。だったらまた事故ってしまうな」


「三度目の正直だ。もう事故なんておこさせない」


 もう面倒ごとはごめんだ、と野口は思った。これ以上、計画に支障をきたすわけにはいかない。誰かに見つかる前にこの女をなんとかしないと。


「どうするこの女?」今井が訊いた。


「とりあえずトランクに隠すぞ」


「正気かよ野口!」今井は驚きの声をあげる。「死体をトランクに積んだまま検問を抜けるつもりか?」


「そんな危険な事するはずないだろ。この車はどこかで乗り捨てて、電車かタクシーで都内に帰るんだ」


 今井はため息をついた。「しかたないな」


「今井、トランクを開けてくれ」


「わかった」


 今井が車のトランクを開け、野口がそこまで女を引きずって移動させる。


「それにしてもこの女、もう冷たくなっている」野口は不思議そうに言った。


「きっと低血圧の女だったんだろうよ。だから体温も低い」


「なら寝起きが悪いはずだ」


「それなら安心しろ。もう目覚める必要はないんだからな」


 ふたりは笑い声を漏らした。


「さあ今井、手を貸してくれ。この女の足を持ってくれ」


「了解」


 ふたりが女を持ち上げてトランクに入れようとしていると、反対車線からパトカーがサイレンを鳴らしながら登場した。


「嘘だろ急げ!」野口は焦り始める。


「なんでこんなところにパトカーが!」


 ふたりはパトカーの出現によりまごついてしまい、女をトランクに入れるのに手間取ってしまう。そうこうしているうちにパトカーが通り過ぎ、そしてUターンしてこちらに向かって走ってくる。


 その光景を野口はぞっとする思いで見ていた。どうして見過ごしてくれなかったんだよ。サイレンを鳴らして走っていたということは、何か事件でもあったんだろ。そっちを優先しろよバカ。


 パトカーがふたりの後方で停車し、まぶしいヘッドライトを浴びせてくる。ふたりは思わず手で顔を隠した。


 パトカーから警察官が降りてきた。「お前達こんな道路の真ん中で何をしている?」


 ふたりは顔を青ざめさせ、無言で立ちすくんでしまう。


 警察官は道路に残されたブレーキ痕を見て、次いでトランクに入っている女を見ると顔色を変える。「まさかその女を轢き殺したのか!」


「逃げるぞ!」野口が叫んだ。


 ふたりは無理矢理女をトランクに押し込めると、急いで車に乗った。後ろから警察官の叫び声が聞こえてきたが、それを無視して野口は車を猛スピードで走らせる。


「こんなことなら猟銃を置いてくるんじゃなかった」今井が後悔する。「あれさえあれば、あの警察官撃ち殺して逃げられたのに」


「今さらそんなこと言ってもしょうがない。それにお前は調子に乗って二発とも撃ち尽くしたじゃないか」


「どうして猟銃の弾数は二発までなんだよ? 不便でしょうがねえ」


「今はそんな話どうだっていいだろ。とにかく逃げる事に集中するぞ」


 背後からパトカーのけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。バックミラーをのぞくと、パトカーが猛スピードで追いかけてくる姿が見えた。


「もう追いつかれたぞ! もっと飛ばせ野口!」


「わかってる!」


 野口は思いっきりアクセルを踏み、エンジンにうなり声をあげさせる。

 こうしてふたりの逃亡劇が幕をあげた。

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