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第一幕 第二場

 友人である山本ヨウヘイが出て行ってから十五分後、佐藤コウジの妻であるアカネが家に帰ってきた。


「ただいま」アカネが不機嫌そうに言った。


 玄関に背を向けるようにしてリビングのソファーに腰掛けている佐藤は、妻の虫の居所の悪さを知り、あえて返事をしなかった。どうせまたあのくだらないバカ話が始まるに違いない。友人のバカ話は楽しく聞けても、こいつのは無理だ。


 アカネはその美しい顔を不快そうに歪めながら、佐藤の向かいのソファーに腰掛けると重いため息をついた。


 佐藤は何も言わず、真顔でただじっとアカネを見つめる。彼女は『フォークロア』と呼ばれる欧米の民族衣装風のワンピースを着ており、その腕には『ボディーワイヤー』という入れ墨をかたどったアクセサリーをいくつもつけている。それはいま流行しているファッションスタイルであり、彼女の流されやすさを証明するものだった。もし彼女が生まれてくるのが十年ほど遅ければ、今ごろ渋谷か原宿で『ガングロ』メイクでルーズソックスを履いていただろう。脱色した髪とこんがり日焼けした肌に、パンダのように目元を強調させる奇抜なメイク姿はおぞましいヤマンバのようだ。


「コウジ」アカネが口を開いた。「話を聞いて欲しいの」


 また始まるのか、と佐藤は思った。くだらないバカ話はさっさと終わらせて、離婚話を切り出さなければならない。


「もうすぐ人類は滅びるのよ」アカネは話を続ける。「ノストラダムスの予言する滅亡の日が刻一刻と迫ってる」


「その話はうんざりだ。もう聞き飽きた」


「お願いだからちゃんと話を聞いてよ」いらだった口調になる。「私たちに残された時間は残り少ないわ。だったら最後くらい陽気に過ごしたいの。だからね、今すぐ銀行に行ってお金を全部下ろしましょう。そしてそのお金でぱあっと楽しい事を——」


「くだらん!」佐藤がアカネの言葉を遮った。「お前はそんな理由で金を使う気なのか」


「だって死んでしまえば、お金なんて持ってても意味がないのよ。だったらその前に使い切らなきゃもったいないわ」


「そのバカげた考えのせいで、お前は今まで散々俺の金を勝手に使ってきた。こんなにもバカらしいことはない」


「コウジのバカ!」アカネの目が涙ぐむ。「どうしてわかってくれないのよ。人類は滅亡するのよ。最後ぐらい楽しく生きましょう」


「人類は滅亡なんてしない。ノストラダムスの予言なんて当たりっこない」


「どうしてそう言い切れるのよ」


「お前こそ、どうしてそこまでノストラダムスの予言を信じられる。そんなバカげたことを本気で信じているのはお前くらいだぞ」


「信じているのは私だけじゃない。私の友達のヒメコちゃんだって信じているわ。それにテレビだってノストラダムスの予言の日が近づいていると放送しているのよ」


 佐藤はノストラダムスの予言をおもしろおかしく放送し、視聴率を稼いでいるテレビ番組を呪った。ヤツらは数字さえとれればいいと考えている。自分たちの影響力をまったく理解していない。まともな思考の持ち主なら信じないが、世の中にはテレビで放映されるものが全て真実だと思い込み、疑う事を知らないバカだっている。その悪しき例が自分の妻だ。


「いいかアカネ」佐藤は辛抱強く怒りを抑えて言う。「ノストラダムスの予言なんて嘘っぱちだ。テレビなんて予言を誇張して不安をあおり、番組の視聴率を稼いでいるに過ぎないんだ」


「でもテレビではアメリカで有名な研究者が事実だって言ってた。その人だけじゃない、いろんな人がテレビでノストラダムスの予言は的中し、人類は滅びると言い切っているのよ」


「そいつらはな、ノストラダムスのブームに便乗して金儲けを企てている悪党どもだ。書店に行ってみろ、ノストラダムスの関連本がたくさん売れている。そうやってバカどもを焚き付けて自分たちの本を買わせているんだよ」


「どうしてあなたはそんな卑屈なものの見方をするのよ」


「お前こそどうして疑う事をしない。冷静に考えてみれば、すぐに嘘だとわかるはずだろうが」

 佐藤はため息をつくと、額に浮き出た汗を拭った。いつのまにか熱くなりすぎた。ここは冷静にならなければいけない。そして別れ話を告げるんだ。

「とにかくだ。くだらないノストラダムスの話はこれで終わりだ」


「まだ話は終わってないわ」アカネは食い下がる。


「いいや、終わりだ。そしてお前との仲もな」


「えっ?」


「アカネ、俺はもう君についていけない。だから俺と別れてほしい」


 アカネの表情が困惑したものに変わる。佐藤の言葉の意味がわからない、といった様子だ。

「……どういうことよコウジ」


「言葉通りの意味だ。俺と別れてほしい」


「別れる。それってつまり……」それ以上先は口にしなかった。


「離婚だ」


 アカネが目を丸くする。しばしの間、呆然としていたが、やがて怒りの形相になり、怒鳴り声を上げながら立ち上がる。

「どうしてよコウジ! 私のことを愛していないの!」


「勝手に人の金を無駄遣いするバカには愛想がつきた。もう君の事を愛せない」


「ひどい。あんなにも私のことを愛してるって言ってたじゃないのよ。その言葉は嘘だったの」


「嘘じゃない。本当に君の事を愛してた」


「だったらどうしてよ」


「二度も言わすなバカ。君には愛想がつきたんだよ。もう愛するつもりは毛頭ない。だから離婚だ」


 アカネはくやしげに拳を握りしめて、佐藤をにらみつけている。すぐにでも手を出してきそうな雰囲気だ。

「離婚なんて嫌よ、私」


 やはりすんなりとはいかないか、と佐藤は思った。こうなることは予想できた。こいつは死ぬまで俺の財産をしゃぶりつくす気だ。

「悪いがアカネ、俺はこの決断を変えるつもりはない。だから今すぐこの家から出て行ってくれ」


「そんなの嫌よ。ここが私の家よ」


「ここは俺の家であって、君の家ではない。離婚するんだから君が出て行くのが道理だろ」


「ふざけないで」


「ふざけてなんかいない」佐藤は立ち上がると背後にある玄関を指差す。「さあ、早く出て行ってくれ」


 アカネは玄関を一瞥する。「出て行くつもりはないわ」


「そうか。それじゃあしかたがない」そう言って玄関に向かって歩き出す。「俺が出て行くよ」


「ちょっと待って」アカネがあわてて佐藤を追うと、その腕を取り引き止めた。「どうしてあなたが出て行くのよ」


「だってお前はこの家から出て行かないんだろ。だったら俺が出て行くしかないじゃないか」


「どうしてそうなるのよ。ここがあなたの家じゃないの」


「ああ、そうだ。この家は俺のものだ。だがな、俺は君と一緒にいたくない。だから出て行くんだよ。後日、弁護士を通して離婚届を渡すから、それにサインしたら今度は君がこの家から出て行ってくれ。それまではこの家を君に預けるよ」


 佐藤はアカネの手を乱暴に振りほどくと玄関に向かう。


「待ちなさいよ!」アカネが再び佐藤の腕を取った。今度は両手でがっしりと握りしめている。


「放せ!」

 佐藤はアカネの手を振りほどこうとするも、その力は女とは思えないほど強く、なかなか振りほどけない。


「放さない」そう言ったアカネの声には、ぞっとするおぞましさを感じさせられた。「結婚式の時に誓ったわよね。死が二人を分つまで——」


「いい加減にしろ!」


 佐藤はありったけの力を振り絞り、アカネの手を振りほどいた。その瞬間、支えを失ったアカネは勢い良く後ずさり、そして後方にあったテーブルの角に頭をぶつけてしまい、鈍い音を鳴り響かせる。


 佐藤は床に倒れた妻を見下ろすと、にやりと笑った。自業自得だマヌケ。

「いいかアカネ、ものわかりの悪いバカなお前のためにもう一度言うぞ。後日、弁護士を通して離婚届を渡す。あとはそれにサインしてくれるだけでいい。簡単な事だろ。わかったな?」


 アカネは返事をしなかった。


 無視されていると思った佐藤は顔をしかめた。さっきまでギャーギャーさわいでたのに、今度はだんまりを決め込んでいる。とことん人をバカにした女だ。

「おい聞いているのアカネ。だまっていないで何とか言ったらどうなんだ」


 またしても彼女は返事をしなかった。


 佐藤は悪態をつきながらアカネに歩み寄る。

「人を無視するのもいい加減にしろよな。どこまで人を——」


 そこで佐藤の言葉は止まってしまう。なぜならば倒れている妻の目が瞬きもせずに、宙を見据えているからだ。


「……アカネ?」


 返事はない。


「……アカネ、聞こえているか?」


 やはり返事はない。


 佐藤の脳裏には最悪のシナリオが過る。まさかそんなことはないよな、と自分に言い聞かせながら、アカネのもとにかがみ込むと肩をゆさぶった。

「アカネ、おいしっかりしろ」


 だがしかし、彼女は無反応だった。


 佐藤はぞっとする悪寒に襲われながらも、その頬を叩いて名前を呼ぶ。


 無反応。


 込み上げる恐怖を押さえながら、佐藤は妻の口元に手をかざした。だがその手のひらには何も感じない。彼女が呼吸をしてないのは明らかだった。

「嘘だろ、おい……」


 恐る恐るその腕を取り、脈拍を確かめる。佐藤の指先には脈打つ感触はなかった。


 アカネが死んだ! 


「ど、どうして、こ、こんな、ことに……」

 佐藤は絶望の淵へと落とされた。

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