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第二幕 第十場

 鈴木ヒメコがもうすぐで佐藤宅につく距離まで来た頃、彼女はあることに気がついた。


「あっ、そうだ。アカネが家にいるかどうか確かめなくちゃ」


 このまま家に行っても、誰もいなかったら無駄足だ。自分がアカネの携帯電話を持っているので、彼女の家に電話して確かめるのが確実だが、あいにく自分はその番号を知らない。携帯電話の普及とともにそれを持つようになって、友達の家の番号を登録する事が少なくなっていた。


 ヒメコはアカネのバッグから彼女の携帯電話を取り出した。そして携帯電話のアドレス帳から彼女の自宅の番号を探し出す。


「アカネのお家の番号はどれかしら……あった」


 アカネの家に電話をかけるも、何コールしても電話に出る様子はない。


「いないのかしら。どうしよう」


 そう言って電話を切ると、困った表情を浮かべた。このままアカネの家に行っても、誰もいないんだったら、どうしようもない。


「……まてよ、もしかして」


 ヒメコはアカネのバッグの中をあさる。


「あった、やっぱり鍵が入っていた」


 これでアカネの家の中に入れる、とヒメコは思った。玄関にでも彼女のバッグを置き、そして外に出て鍵をしめ、使った鍵をポストに入れれば問題ない。後は家主にことの経緯と、断りの電話をしておけばいい。


 家主——アカネの夫。ノストラダムスの予言を信じず、アカネを苦しめる男。それを思い出し、ヒメコははらわたが煮えくり返るのをおぼえた。電話のついでに説教してやる。覚悟しなさい。


「さてと、アカネの家に入って彼女のバッグを届けるには、家主さんの許可が必要になるわよね」ヒメコはにやりと口元を歪ませる。「電話するついでに、ノストラダムスを信じない愚かさを教えてあげる。これ以上、アカネが辛い思いをしないようにね」


 さっそくアカネの夫である佐藤コウジの携帯電話番号をアドレス帳から見つけ出すと、ヒメコは電話をかけた。

 しかし相手はなかなか出ない。


「さっさと電話にでなさいよバカ」


 長いことコールを続けているが、電話にでない。


「何で電話にでないのよ!」いらだちながら電話を切った。「もういい。勝手に家に入るからね」


 ヒメコはアカネの家を目指し、歩き続ける。



 佐藤宅前の道路には、一台の宅配業者の車が停まっていた。その車の窓ガラスにはスモークフィルムが貼られ、車内が覗けないようになっている。その車の中には佐藤コウジの妻アカネの誘拐を企む、金髪と茶髪の男が二人乗っていた。


「準備は整った。後は女を誘拐するだけだな」金髪の男である阿部シュンは言った。


「そうすれば計画を実行できる」茶髪の男である浜田ダイチが言った。


 二人は先ほど佐藤宅に、宅配業者に偽装した車でやってきていたのであった。宅配業者ならしばらくの間、車を停めておいても怪しまれないと考えての行動だった。車は盗難車を知り合いの車業者に頼んで改造してもらったもので、ナンバープレートは偽物をつけている。


「それにしても清水先輩のヤクはよく効くよな」阿部は恍惚とした表情を浮かべる。「ものすごくいい。ハイになりそうだぜ」


「ああ、それには同意する」浜田も気持ち良さそうにしていた。「こいつは最高だ。くせになるぜ」


「なら浜田、もう一回やっとくか?」


「それはダメだ阿部。ラリったままだと誘拐ができなくなる。いまはこれで我慢しよう」


「しかたない、これも金のためだ。我慢するか」


 早くターゲットの女が帰ってこないかな、と阿部は思った。さっさと誘拐を終わらせて、ヤクの続きを楽しみたい。


「それにしてもよ阿部、いま気づいたんだけど、女が帰ってくる前に旦那の方が先に帰ってきたらどうするんだ?」


「……そいつは考えてもみなかった。でもまあ、その時は旦那の方を誘拐して、妻を脅せばいい」


「おいおい大丈夫かよ、この計画」浜田は顔をしかめた。「大雑把すぎるぞ」


「大丈夫だって」彼を安心させようと阿部は笑顔で言う。「いいか、よく聞け。夫が仕事から帰ってくるのを家で待つのが妻の仕事だ。妻は働いて疲れた夫のために、お風呂を沸かしておいて、愛情こめて作った料理で出迎える。そういうもんだぜ。よく耳にするだろ、あなたお帰りなさい、お風呂にする、ご飯にする、それとも、わ・た・し、ってな」


「今日は休日だ。それに……」浜田の表情がみるみる曇っていく。「俺が物心ついた時には母親はいなくて、片親の環境で育ったから、そういうのよくわかんねえ……」


「……そいつはすまない」阿部は申し訳なさそうに謝った。「お前が片親だって知らなかったんだ」


「別に謝らなくていいよ」涙ぐみながら言う。「俺が誰にもしゃべってない、だけなんだから……」


 浜田が落ち込んだ事で、車内の空気が一気に重くなる。話題が途切れ、堪え難い沈黙が訪れた。


 何だこの雰囲気は、と阿部は思った。お通夜じゃないんだぞ。どうにかして浜田に元気だしてもらわないと。


「めそめそするな浜田!」阿部が気を取り直すかのように明るく振る舞う。「忘れたのか、ノストラダムスの予言が的中し、人類は滅亡するんだ! 最後くらいド派手に楽しく生きようと決めたのが俺達だろ——」


「静かにしろ!」浜田が手で阿倍の口を塞いだ。


 いったい何のつもりだ、と阿部はくぐもった声を漏らす。せっかく励まそうとしたのに、ひどい仕打ちだ。


 浜田が空いている方の手を使い、鼻の前で人差し指を立てて、静かにするようジェスチャーを送ると窓の外を指差した。


 阿部が外をのぞくと、佐藤家の外灯の明かりが灯る玄関へと向かう女の姿があった。


「あの女が佐藤の妻か?」浜田は阿倍の口を押さえる手を放した。


「玄関の鍵を開けて、家の中に入ったらビンゴだ。いつでも飛び出せるよう準備しとけよ浜田」阿部は拳銃を手にした。


「了解」浜田は縛るためのロープや頭にかぶせる布が入ったカバンを手にする。


 女が持っていたバッグから鍵を取り出すと、それを玄関のドアの鍵穴に差し込み、そしてひねる。


 その瞬間ふたりは車を降りて走り出した。


 女がドアを開けて家の中に入ろうとしたそのとき、阿部が彼女の肩をつかんで無理矢理こちらに振り向かせると、持っていた拳銃を突きつける。


 女は拳銃を見て驚いた様子だったが、すぐに不適な笑みを浮かべると言った。

「何それ。そんなもんで私がビビるとても思っているの?」


「死にたくなかったら、大人しくついてきてもらおう」


「今さら死ぬなんて怖くないわよ」

 女が言い終えた次の瞬間、彼女の右足のつま先が阿倍の股間に食い込んだ。阿部は膝をつく事を余儀なくされる。


「このクソアマ、よくも阿部をやったな!」

 そう言って浜田が、カバンから取り出した布を女の頭に無理矢理かぶせようとすると、彼女は両手の爪を立てて振り回し抵抗してくる。


 阿部は痛みに耐えながら何とか立ち上がると、女の後頭部を銃把で殴りつけた。女は浜田にもたれるようにして気絶する。


 阿部と浜田の二人は女を床に横たえると、急いで両手足を縛り、口にガムテープを貼って頭に布をかぶせた。


「よくもやってくれたなこの女」阿部は未だに苦悶の表情を浮かべている。「浜田、バッグに携帯はあったか?」


「問題ない」バッグをあさる浜田が言った。「ちゃんと入っている」


「よしなら誰かに見つかる前に行くぞ」


 負傷した阿倍の代わりに浜田が女を肩で担ぐと急いで車に戻り、トランクの中に彼女を乱暴に投げ入れる。


 阿部と浜田の二人は車に乗り込むと、犯行現場から姿を消した。

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