第二幕 第七場
銀行強盗を実行しようとしている、あごひげの男である野口ツバサと、口ひげの男である今井カイセイは、銀行支店前の道路の路肩に黒い乗用車を停めて、その中で待機していた。ふたりはいま、先ほどまで目の前に停まっていた車が走り去るのを見つめている。
「やっと行ったか」野口はほっとため息をつく。
「あの野郎、長々と銀行に居座りすぎなんだよ」今井が言った。「おかげでこっちは待ちくたびれちまったぜ」
「あの男、命拾いしたな。あと十分も銀行にいたら、しびれを切らした俺たちに撃ち殺されていただろうよ」
「これで銀行に残っていた客はみんないなくなった」
「ああ、やっとこれで計画を実行できる。手はずはわかっているな今井」
「もちろんだとも野口。お前が立てた計画はバッチリ頭に入っている」
準備が整った、と野口は思った。銀行を襲い金を奪って逃走。その後ホームセンターに停めておいた車に乗り換える。そして車の不法投棄場に移動し、そこにある捨てられた車のトランクに金を隠し、何くわぬ顔で検問を突破する。後日、金を回収し、後はその金で人類が滅びるその時まで遊び尽くすだけだ。
「いまから銀行強盗するのかと思うと、わくわくしてきたぜ。こんなにも楽しいのはひさしぶりだ」今井がうれしそうに言った。
「その気持ちわかるぜ今井」野口が賛同する。「なんというか闘争という原始的本能がうずき、アドレナリンが分泌し興奮してくるの感じる」
「生きるためには戦わなければいけない。それは社会においても自然界においても同じ。強いものが弱いものから搾取する。そして俺たちは強い」
今井は後部座席に置いてあった毛布にくるんだ二丁の猟銃を取り出すと、片方を野口に渡した。
「さらに俺たちは死を恐れない」野口は猟銃に弾を込める。「最強の戦士だ。誰にも止めることはできないぜ」
「ああ、誰にも俺たちを止めることはできないし、させるつもりもない。邪魔するなら撃ち殺すだけよ」
ふたりは不気味な笑みを交わした。
「金が手に入ったら何に使おうか?」野口が訊いた。
「まずは祝杯をあげよう。うまい酒をたらふく飲んで、おいしいもので胃を満杯にするんだ」
「いいね。それだったら年代物のワインを買い占めよう。いい店を知ってるぜ」
「そいつはいい」今井は舌なめずりをする。「楽しみだ」
野口は後部座席にあるカバンを取り、中からフェイスマスクを取り出して今井に渡す。
「待っててくれよヒメ」今井がフェイスマスクをかぶりながら言った。「キミのためにいまから大金を手に入れてくるからね」
「誰だよヒメって?」そう言った野口は、すでにフェイスマスクをかぶり終えていた。
「俺の彼女だよ」
「ああ、お前が貢ぐほど入れ込んでいた女か。そこまでするほどのいい女なのか?」
「もちろんだとも、最高の女だ。金は掛かるが彼女を抱くたび、俺は幸せを感じる。あんなにもいい女、他にはいない。そしてなりよりノストラダムスの予言を信じないバカな女と違って、彼女は予言を信じている。お互いの心情を共感し合える最高のパートナーだよ。死ぬ時は彼女の胸元で死にたい」
「ノストラダムスの予言を信じているとは、そいつはいい女だ。今井、俺にもその女を紹介してくれよ」
「おいおい野口」今井が怒った口調になる。「人の女に手を出すつもりかよ」
「そのくらい、いいだろ。もうすぐ人類は滅亡するんだ。だったらいい女は抱いておきたい」
「ふざけんなよ。お前と穴兄弟になるつもりはねえよ」
「だったら後ろの穴を使うよ」
「そういう問題じゃねえよ!」
野口は肩をすくめ困惑した様子を見せる。「じゃあ、どういう問題だよ?」
「俺の彼女を寝取るつもりかよ?」
「そんなつもりは毛頭ない。ただ良い女は純粋に抱いてみたい、それだけのことさ」
「なあ野口、お前は自分の女を抱かせてくれと頼まれたら、首を縦に振るのか」
「もちろんだとも」野口はうなずいた。「人類が滅亡するときぐらい、楽しいことはみんなで共有し合えばいい」
今井は嘆かわしげに首を横に振ると、ため息をついた。まるで言葉の通じない相手に、辟易している様子だ。
「野口、俺は彼女のことを大切にしているんだ。だからこそ彼女を売るような真似はしたくないんだ。わかってくれ」
今井の説得は無理だな、と野口は思った。しかし人類が滅びるというのに、とんだ堅物だな。これ以上説得を続けて機嫌を悪くされても困る。これからふたりで銀行強盗するんだ。仲良くしておかなきゃな。
「……俺が悪かったよ今井」野口はすまなさそうな口調で言う。「銀行強盗前の妙なハイテンションのせいで、お前の気持ちを理解できてなかった。許して欲しい」
「わかってくれたならいいんだ」
「でもよ一つ訊いていいか?」
「何だ?」
「お前がそこまで入れ込むほどの女なら、他の男が黙ってないと思うんだが。もし他の男が手を出していたら、そのときお前はどうするんだ?」
「その時は轢き殺してやるよ」そう言った今井の顔は真顔だった。
「それマジ?」
「大マジさ。だってどうせ人類はすぐに滅びる。いまさら人殺しなんて怖くないだろ」
「……だな」
今井の女には手を出さないべきだな、と野口は肝に銘じた。こいつなら確実に殺しにくるだろう。死ぬのは怖くないが、せっかくの残された人生。できれば長く楽しみたい。
「さてと」野口は気持ちを切り替え、明るい口調で言う。「くだらないバカ話はここまでだ。銀行強盗を始めるぞ、今井」
「ああ、やってやろうぜ!」
ふたりは車を降りると、急いで銀行支店の中へと足を踏み入れた。そしてすぐさま天井に向けて二人が銃弾を発射すると、銀行員達の顔が一瞬で青ざめる。
今井が素早い動きでカウンターに飛び乗ると叫んだ。
「全員両手を頭の後ろで組んで、床に伏せろ! 五秒以内だ。五、四、三、二、一、〇」
数え終える頃には、銀行員達は今井の言う通りになっていた。
「みなさん物わかりが良くて助かります」野口が言った。「それじゃあ、この銀行の中で一番偉い人は三秒以内に立ち上がってください。少しでも遅れたら射殺する。いきますよ、三、二——」
「はい!」すぐさま中年の男が立ち上がった。
「よし、こっちにこい」
男は不安げな表情で二人に歩み寄る。
「このカバンに金をつめろ」野口はカウンターにカバンを置いた。「ただし五分以内だ。もし時間を守れなかったら、一分遅れるごとに、銀行員が一人ずつ死んでいく。時間を稼ごうともたついて殺す相手がいなくなったら、最後は自分の番だと覚悟しておけ。わかったな」
「……はい」男は怯えながらうなづく。
「それじゃあ始めようか」野口は懐からストップウォッチを取り出す。「借り物競走、お代は現金。よーい始め」
今井の猟銃が天井に向かって火を噴き、スタートの合図を送った。




