第二幕 第三場
「信じようと、信じまいと、一九九九年七月に人類は滅びるであろう。ノストラダムスの予言が的中してね」
そう自信満々に言ったのは鈴木ヒメコ、二十四歳。彼女はブームに敏感な女性で、着ている服もいま流行っているフォークロアのワンピースだ。さらに腕にはこれまた流行っているボディーワイヤーをいくつも付けている。彼女は自分だけが流行に乗るだけではなく、まわりの友達にも流行を勧める、宗教の布教活動にも似た活動をしていた。今日もまた、友達の一人に布教活動を行っている。
「本当に残念よね。もうすぐ私たち死んじゃうなんて悲しいわ」
涙ぐみながら嘆いているのは佐藤アカネだった。彼女もまたヒメコの影響で似たようなフォークロアのワンピースを着て、腕にボディーワイヤーをいくつも付けていた。
ふたりは町中にあるとあるカフェのテラスで会話をしている最中だ。
「泣かないでアカネ」ヒメコは優しく彼女の手を取った。「たしかに残された時間は少ないわ。だからこそ最後くらい笑って楽しく過ごしましょう」
「そうしたいのはやまやまなんだけど……」アカネはそこで言葉を詰まらせると悲愴な顔つきになる。
「どうしたのアカネ?」心配そうに彼女の顔をのぞき込む。「何か悩みでもあるの。私だったらいつでも相談にのるわよ」
「あのね、ヒメコちゃん。うちの主人ったらノストラダムスの予言を信じていないバカなの」
「そんなバカな!」ヒメコは信じられない、といった表情になる。「その話、本当のことなの?」
アカネは小さくうなずいた。
「信じられない最低!」ヒメコはまるで自分の事のように怒りだした。「何なのその男は、どうして予言を信じてないの?」
「私にもどうして主人が予言を信じてくれないのかわからない。最後くらいぱあっと派手に楽しく生きましょう、と言っても首を横に振るだけ。しびれを切らした私がしかたなしにお金を使い込んで残された人生を楽しもうとしたら、烈火の如く怒りだすの。ほんとわけがわかんないわ」
「なんて男なの」
ヒメコはアカネの旦那に失望していた。もうすぐ人類は滅びるというのに、最後くらい妻に幸せな人生を送らせてあげようともしない、その男を呪った。もし自分がその男の嫁だったら、包丁で刺し殺しているところだ。
「辛い思いをしていたのねアカネ。大丈夫、あなたには私がついているから」
「ありがとうヒメコちゃん」
「わかっていると思うけど、もう残された時間は少ない。このまま人生を終えるなんて、そんなのダメよ。もう一度、旦那さんを説得してみて。もしそれでダメだったら、今度は私が一緒に説得してあげる」
「うん、がんばってみる」
アカネはヒメコの言葉に感激したかのように笑ってうなずいた。その表情を見たヒメコは、彼女が残された人生を幸せに過ごせるよう祈った。
「ところでヒメコちゃん」アカネは気を取り直すかのように話題を変える。「あなたが通っている『カリスマ』美容師のお店に行ってみたいの。今度教えてくれる」
「ええ、いいわよ。私が通う新宿のお店の店長さんはね、カリスマ中のカリスマ。最近やたらカリスマという言葉を付けるのが流行っているせいで、いろんな人がその言葉を使っているけど、そういったエセカリスマ美容師とは違う、本物のカリスマよ」
「さすがヒメコちゃん、おしゃれのカリスマだけあった、カリスマを嗅ぎ分ける嗅覚は日本一だね」
「またまた、そうやってほめても何もでないわよ。私なんてたいしたことないわよ」
「そんなことないわよ。ヒメコちゃんは流行の最先端を走るおしゃれ界のカリスマよ。だから私はあなたのファッションを参考に洋服だって選んでいる。今日着ている服も、ヒメコちゃんが着ている服に似ているのを探してきたんだよ。それぐらい人に影響を与えるほどのカリスマ性がヒメコちゃんにはあるのよ」
「そうなの」ヒメコは照れくさそうに笑う。「そこまで言われると私、自信がわいてくるわ」
「自信をもっていいのよ。私が保証するわ」
「ありがとうアカネ」
「ほんとヒメコちゃんっておしゃれで美人さんなんだから、モテるでしょう。いま付き合っている人とかいるの?」
「もちろんいるわよ」
「どんな人?」
「年下の大学生に、それにカフェの店長」ヒメコは指折りながら言った。「あとそれと、なんかの企業の社長さんに、それに元ホスト。他には誰がいたっけな……。ダメだ、たくさんいすぎてよく思い出せない」
「すごいヒメコちゃん」アカネは驚いた様子だった。「何股してるの?」
「そんなのいちいち数えていないわよ」
「数えてないの?」
「だって乙女は恋する生き物よ。それにもうすぐ人類は滅ぶんだから、ひとりの男に縛られている暇なんかないわ。男は消耗品扱いしなきゃ」
「なるほど、言われてみればそうね」アカネは感心したかのようにうなずく。
「アカネもさ、甲斐性のない旦那を見切って浮気しちゃえば」
「それもいいかも」
「そうしなさいよ。そして男をつかまえて貢がせて贅沢するのよ。旦那が金をださないなら、そうするしかないわ」
「うん、考えておく」
ヒメコの提案をすんなり受け入れてしまうアカネ。こうやってヒメコは彼女の趣味思考に影響を与えていた。流されやすい性格のアカネは何の疑問も持たずに、その考えを受け入れてしまうのだった。
「それじゃあヒメコちゃん、私そろそろいくね」
「あらやだ。もう、そんな時間」
ヒメコが腕時計に目を落とすと、時刻は午後五時半を示していた。いつのまにかこんなに時間が経ってしまった。友達と楽しいおしゃべりをしていると、時間が進むのが早く感じる。
「今日はありがとうね、アカネ。男との待ち合わせの時間までの暇つぶしにつきあってくれて」
「別にお礼なんていいわよ。私も話せて楽しかったし、それにヒメコちゃんのおかげで、もう一度主人を説得する勇気がわいてきた」
アカネはガッツポーズを取ると自分の胸を叩き笑顔を見せたが、少しばかりその表情に影があるように見えた。
「アカネ、本当に大丈夫?」ヒメコは心配するような口調になる。「私もついて行ってあげようか」
「大丈夫だって。それにこれから男とデートなんでしょう。そんなに気を使わないでいいわよ」
「うん、わかった……」
「それじゃ、また今度ね」
カフェから出て行くアカネを、ヒメコは不安げな表情で見つめた。なぜだかもう二度と彼女にあえないような気がしてならなかった。嫌な胸騒ぎがしたが、それは多分気のせいだろう、と思うことにした。
ヒメコは再び腕時計に目を落とすと、眉根にしわを寄せた。
「あの男、遅いわね。この私を待たせるつもりなの。時間は限られていると言うのに、まったく」
携帯電話を取り出すと、電話をかけた。ワンコールで相手は電話に出る。
「もしもしヒメ。ごめんすぐに行くから待ってて」
「遅いわよダーリン。早くしないと私帰っちゃうわよ」
「そんなこと言わないでよ。ヒメのために高級レストラン予約してあるんだから」
「さすがダーリン有能だわ。それじゃあ、あともう少しだけ待っててあげるから急ぎなさいよ」
「わかった」
ヒメコは電話を切るとにこにこと微笑む。高級レストランと言われ、おいしそうな食事を想像しお腹をすかせる作業に取りかかる。そのことに夢中になっていたせいでヒメコは気づかなかった。さっきまでアカネが座っていた向かいの席に、彼女がバッグを置き忘れていたことに。




