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第2話です

 鬼はたらいを抱えると庭へと戻る。今日はいつにもましてよく釣れた。これなら今日数匹食っても残りは干物に出来るだろう。そんな事を考えながら庭へと続く道を歩いていると、草木の様子がおかしい事に気が付いた。妙にざわついている。鹿か兎でも入り込んだだろうか。

 進むにつれてどんどんとざわめきが大きくなっていく。鬼は困惑した。今までここまで騒いだことはなかった。なんだ、何が迷い込んだ? 鬼は家にたらいと竿を置くと、この騒ぎの中心を目指して草木の中に飛び込んだ。

 葉が、棘が、枝が、鬼を取り込もうと四方から鬼をつつく。しかし取り込むことなど出来ない。鬼の肌に小さな傷を作っていくだけだ。生きているというのはそれだけで絶対的な力がある。

 騒ぐ草木の間をかき分けるように進んでいくと、不意に少し開けた場所に出た。桜の木が咲いていた場所のようだ。ここら一帯の植物が同時期に飲み込まれたのだろう。

 その空き地の中心に、何かが倒れているのが鬼の目に入った。……人の子だ。近づいて仰向けに寝かせた。歳は12くらいだろうか。背は鬼よりも低い。鬼の身長は決して高くはないから、この年で鬼より小さい男というのは、かなり小柄な部類だろう。着ていた灰色の布は草木に引っかかったのかあちこちが千切れている。頭のどこかを切っているのか、血が額の部分を赤く染めていた。鬼は男の子の首筋に指をあてた。まだ脈があった。鬼は男の子をひょいと担ぐと、また草木の中へと分け入っていった。

 家に戻ると布団を敷いて男の子を寝かせた。布きれで血を拭った後、傷口を探した。つむじの辺りに小指のの第二間接ほどの長さの切り傷があった。幸い、そこまで深くないようだ。薬草を練り合わせて作った薬を傷口に塗る。男の子が小さく身じろぎをした。この薬はよく効くがとにかく沁みる。体を強く打ちつけたらしくひどい痣が体中にあったが、骨には異常はないようだった。崖か何かから落ちたのかもしれない。鬼は水で湿らせた布を男の子の額の上に置いた。それから自分の傷に薬を塗り始めた。鬼の端整な顔が苦痛に歪んだ。

 男の子は中々目を覚まさなかった。弱っている時は輪郭を保つ力も衰える。男の子の輪郭がぼやけることがままあった。空間に取り込まれそうになっているのだ。その度に鬼は男の体を擦ってやった。こうするとぶれが消える。なぜぶれが収まるのか、鬼は知らない。

 寝ずの看病が続いた。3日目の朝の事だった。男の子がうっすらと目を開けた。ゆっくりと首を動かして家の中を見回す。

「気が付いたか」

鬼が言うと、男の子は鬼を見て目を見開いた。

「お、鬼……!」

後ずさろうとして痛みに顔をしかめる。鬼は何も言わず立ち上がり台所に向かうと、この間釣ってきた魚の干物と米を皿に乗せて持ってきた。それを男の子の前に置く。男の子の腹がすごい音をたてた。男の子が罰が悪そうな表情を浮かべた。鬼は気にせずに言った。

「お前、名は?」

「……こ、幸四郎」

「幸四郎、食える元気があるのなら食べてまた寝ろ。名さえ名乗れば簡単に取り込まれることもないだろう。私は疲れたので寝る」

「え、あの……」

鬼はすぐにその場に横になるとすぐに眠りに落ちた。人よりも丈夫な作りをしてはいるが、それでも三日寝ないのは堪えた。

 幸四郎は戸惑った。ここはどこなのか。取り込まれるとは何か。聞きたいことがいくつもあった。しかしぐっすりと眠りこんでいる鬼を起こすのは気が引けた。最初こそ怖がってしまったが、よくよく見ればそこまで怖い相手には思えなかった。額に生えた2本の小さな角以外は、人の女の子と見た目は一緒に見えた。

 歳は自分よりも少しだけ上だろうか。十四、十五程に見える。しかし相手は鬼だ。実際何歳なのかは分からない。それにしてもなんて整った顔立ちだろうか。肌は雪のように白く、丸っこい輪郭からは少女らしい柔らかさを感じる。穏やかな寝息を立てる唇は、考えられないほど小さく、これで物が食えるのかと疑いたくなるほどだった。そして髪だ。なんだろうかこの色は。深い沼を連想させる濃い緑。こんな色を幸四郎は今まで見たことがなかった。そっと触れてみる。ひんやりとした感触が指先から伝わる。さらさらと指の間を流れていく。もう少しと少しだけ布団から身を乗り出す。

「あいって、て……」

途端激痛が体に走って幸四郎は布団の上で身もだえした。

 しばらくすると痛みが治まった。天井を眺めながら幸四郎が呟いた。

「生きてんだな、俺……」

その言葉がすぅっと胸に沁み込んでいく。この体中に走る激痛も、堪えがたい空腹も、今生きているからこそ感じられるものだ。

「生きてんだな、俺……!」

もう一度呟く。知らず幸四郎の目に涙が溜まる。涙が頬を伝う感触さえ愛おしかった。なんとか激痛に耐えながら体を起こす。震える腕で茶碗を取り、覚束ない箸使いで米を口に運ぶ。噛みしめると、米の甘味が口いっぱいに広がった。

「うめぇ……!」

うめぇ、うめぇ。呟きながら綺麗に出されたものを全て平らげる。

 食べ終わると、急激に眠気が襲ってきた。ゆっくりと体を布団に横たえようとして、自分にかかっている布団を見る。ちらと鬼に目をやった。

「……」

鬼は冷たい床に寝転がって静かに寝息をたてていた。幸四郎は四苦八苦しながら布団を鬼にかけてやった。鬼は小さく身じろぎをしたが、そのまままた眠り続けた。幸四郎も布団に横になる。

「あい、て、て……」

幸四郎は、鬼を夢から覚まさないよう、小さく小さく呻いた。


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