第9話 もう1つの顔
「結婚話を断りに行ったはずが、何故か結婚するって啖呵を切って、
でも本当にこれでよかったのかと思い悩みながら昼寝をしてたら彼から電話があって、
話している内にスッキリして、結婚の決意を固めた、と」
「うん」
リザが両肘を机につき、両手の指をクロスさせてその上に顎を乗せる。
ついでに顔をしかめて長いため息をつけば、映画でよく見る「憂鬱な外人さん」のできあがりだ。
「ふざけてる場合じゃないでしょう。こういうことって普通は、滅茶苦茶悩んで、
『こうしよう!』って決めたり『でもやっぱり・・・』って尻込みしたりを繰り返して、
ちょっとずつ前に進むもんじゃないの?」
「それ、やったよ?」
「1回だけでしょ」
ちなみに今は大学の講義中だ。
先生もちゃんと話している。
ただ私達がそれを聞いていないだけだ。
だってもう11月で、アメリカはすっかり冬の寒さ。
お陰で教室の中は暖房でぬくぬく。
そこに英語の授業とくれば、おしゃべりでもしてなきゃ寝てしまう。
「お互い悩みながらデートしたり、距離を置いたり・・・そういうのってない訳?」
「前デートしたし、今距離置いてるし」
リザの眉間の皺が濃くなる。
「だいたい、1話や2話で終わるような話じゃないでしょ。こういうところで引っ張らないと、
どこで引っ張るのよ。いくらテンポ命の小説でも、ぶっ飛び過ぎよ」
「何、意味分かんないこと言ってるの。もう決めたんだもん、いいじゃない。後悔してないもん」
「・・・みたいね。ほんと、春美って一度こうと決めたら突っ走るタイプなんだから」
「うん。小学校の頃のあだ名は猪突猛進娘だったし」
「ちょとつ・・・?何、それ?」
「ジャパニーズなダディに教えてもらって。そうそう、それで結婚式の日取りなんだけど、」
「ちょっと待って」
リザが今度は人差し指で自分の眉間をグリグリと押した。
いろんなリアクション技を持ってるなあ。
今度使わせてもらおう。
「今、マックスが考え中で、春美はその答えを待ってるのよね?」
「うん」
「で、どうして結婚式の話が出てくるの?」
「だってコルテス夫妻はもう私達を結婚させる気満々で、
さっきの昼休みにジャンヌが『結婚式、いつがいいかしら?』って電話してきたんだもん。
もちろんマックスが『結婚しない』って言えば私はやめるつもりだけど、
『結婚する』って言ってくれた時に備えて、準備だけはしとかなきゃ」
「準備、ね」
リザが、一重瞼という物の存在を忘れさせてくれるほどくっきりとした二重瞼の目で私を睨んだ時、
タイミングよくチャイムが鳴った。
物理の法則からすれば、
「終わります」という教師の声が一番最初に聞こえるはずの一番前の生徒達が最初に席を立つはずだけど、教室というのは不思議な空間で、一番最後に教師の声が聞こえるはずの一番後ろの生徒達が最初に席を立つ。
だけど今日は素直に物理の法則に従って、
私は最後に席を立つことにした・・・っていうか、
リザが私の腕をつかんでいて、立たせてくれない。
「何よ、リザ」
「どうせこの後暇なんでしょ。ちょっと聞きなさい」
「・・・」
何よ、説教?
でも、こればっかりはいくらリザの意見でも聞き入れられない。
だってもう決めたんだから!
リザは鞄から何かの雑誌を取り出しながら、独り言のように呟いた。
「昨日の夜、湊から電話があったの。『春美さんを思い留まらせてください!』って。
私、なんだかんだ言って、春美は湊とくっつくと思ってたのに」
「・・・それはないわよ」
確かに、湊君が私を好きだったこともあったし、
私が湊君を好きだったこともあった。
だけどそれはもう過去の話。
今は、私にも湊君にも「結婚したい人」がいる。
リザが机の上に雑誌を広げた。
経済誌だ。
でも、そのページは経済誌には相応しくない格好の女性が笑顔で写っていた。
「誰、このエプロン姿のオバサン?」
「春美・・・なんてこと言うのよ。そんなことじゃすぐに嫁・姑戦争が勃発するわよ」
「・・・げっ!」
私は思わず目を皿にして雑誌に見入った。
「これってジャンヌ!?」
「そう。ジャンヌ・コルテス」
マックスのママンじゃん!!!
や、やばい・・・
さっき、電話で話したところなのに・・・
だ、だって!
なんか雰囲気がいつもと全然違うんだもん!
「ジャンヌ・コルテスって有名な料理研究家なのよ。
料理教室なんかも開いてて、凄い人気なんだから」
「・・・」
「春美、オーディションの時、料理ができるかってジャンヌに聞かれて、
できるって答えたんでしょ?」
「・・・」
「目がウルウルしてるわよ。大丈夫?」
大丈夫じゃない!
忘れてた!
そうか・・・
あの質問は「マックスのためにお料理を作ってあげられるか?」って意味だったんだ!
「カップヌードルじゃ、ダメかな」
「ダメじゃない?」
「・・・だよね」
「春美がどうしてもマックスと結婚するっていうなら止めないけどね、
料理はできるようになっておいた方がいいよ。
ほら、ここに『家族の食事だけは使用人に任せず私が作っています』って書いてるし」
確かにそう書いてある。
なんてこったい。
食事もセレブらしく使用人とかどっかのシェフに任せようよ。
私は雑誌を手に取り、悲愴な面持ちでそれを睨んだ。
でもいくら睨んでも「家族の食事だけは・・・」という文字は変わらない。
ああ。どうしよう。
なんとか誤魔化せないかな・・・
「でも、お嫁さんには料理は期待しないことにしてますの」なーんて言葉が書いてないかと、
淡い期待を込めてページをめくると、そこにまた意外な顔が現れた。
マックスだ。
見開きのページの4分の1くらいにマックスの写真が大きく載っていて、
ジュークスの経営方針についての話が書かれていた。
でも、このマックスも私の知ってるマックスじゃない。
私の知ってるマックスは、優しい穏やかな表情か、自分の感情を見せないための無表情だ。
この雑誌のマックスは、キリッとしたちょっと厳しい表情をしている。
いかにもデキるビジネスマンって感じだ。
・・・やっぱりかっこいいなあ。
「マックスってジュークスの専務なんだ。まだ24歳なのに・・・」
「知らなかったの、春美?マクシミリアン・コルテスは学生時代から会社の仕事を手伝っていて、
今じゃジュークスにもアメリカ経済にも欠かせない存在よ」
そう言えば、「マクシミリアン・コルテス」って名前は聞いたことがある。
「ルーク・コルテス」ほどではないけど、新聞やニュースでたまに出てくる。
だけど、それがあのマックスだと思ったことがなかった。
マックスはご両親に心を開いているようには見えない。
でも、ジュークスの仕事は頑張ってるんだ・・・。
私は何度もマックスの記事を読み返した。