第7話 愛
「すげー・・・」
湊君が、いつかのリザのようにジュークスの本社ビルを見上げてため息をついた。
「こういうマンモス会社、好きなの?」
「いえ。正直に言うと、個人事務所っぽいとこの方が好きです」
だよね。湊君て、そんな感じだもん。
湊君は視線を空から通常の高さへと戻した。
「でもやっぱり、将来のこととかを考えると、こういう会社がいいですよね。
安定した生活を送れるし」
湊君らしからぬ台詞だ。
だけど、結婚願望が強い湊君は意外と安定志向だ。
その一方で、本当は会社経営に興味を持っているから、
自分で起業とかしてみたいんだろうけど・・・
今の湊君には「結婚して家族を養う」ことの方が重要なのだ。
「春美さん。やっぱりコルテス家の御曹司と結婚して、俺をジュークスで雇ってくださいよ」
「あのね・・・どっちなのよ」
せっかく意を決して先日の結婚の申し入れをお断りに来たのに!
湊君は「冗談ですよ」といつもの人懐っこい笑顔になったけど、
目は笑っていない。
まだコルテス家の人々(小説のタイトルみたい・・・)が私をバカにしたと怒っているらしい。
でも、だからってどうしてついて来るわけ?
「春美さんだけじゃ心配ですから。目の前で金をチラつかされたら『結婚します』とか言いそうで」
「・・・見くびらないでよね。第一、湊君と私の関係を聞かれたら、なんて答えたらいいのよ」
「ちょっとしたすれ違いで、お互いに片思いし合っていた仲」
私は分厚い英語の辞書が入った鞄で、
思い切り湊君の頭を殴った。
湊君が間一髪でソレを避ける。
「首の骨が折れるじゃないですか!殺す気ですか!?」
「そんな正直に説明してどうするのよ!」
「じゃあ、弟ってことにしましょう。身内と一緒に断りに来たと知ったら、
さすがに向こうも手を引くでしょ」
それはそうかもしれない。
湊君は制服のネクタイをただすと、
「いきましょう」と言ってエントランスに向かって歩き出した。
社長室にはあの3人・・・社長のルーク・コルテスと妻のジャンヌ・コルテス、それに息子のマックスが私達を待っていた。
ジャンヌは専業主婦なので普段は会社にいないはずだけど、
今日は私が来ると知ってわざわざ出てきてくれたのだろう。
それなのに、こんな話で申し訳ない。
挨拶を交わした後、ルーク・コルテスが湊君を見た。
湊君は大物経営者を目の前にして一瞬目を輝かせたけど、
今日の目的を思い出したのか、すぐに冷静な表情に戻る。
「ハルミ。そちらは?」
「私の弟です」
「面接で、ハルミは一人っ子だと言ってなかったかね?」
「・・・弟分、です」
苦しい・・・
湊君がやれやれ、と言った感じで肩をすくめた。
「初めまして。坂上春美の従姉弟の柵木湊と申します」
うまい!
コルテス家の人々も納得したように頷く。
特にルーク・コルテスは湊君に興味を持ったようだけど、
取り合えず今はそれは置いておくことにしたのか、早速本題に入った。
「それでハルミ、この前の話は考えてくれたね?」
「はい。・・・あの、そのことなんですが・・・」
アメリカ人ならここで躊躇わず「NO」を言い出すのだろう。
でも、日本生まれ日本育ちの日本人である私は、
まず「相手に失礼がないように」という考えが頭に浮かぶ。
マックスに言われたとおり「ゲイとは結婚できない。ゲイは女性と結婚すべきではない」とはっきり言おうと思ってたのに・・・
私が口ごもると、見かねたのかマックスが助け舟を出してくれた。
「父さん。ハルにはちゃんと本当のことを話した」
「・・・そうか」
「当たり前だろ?隠したまま結婚話を進めるなんてフェアじゃない」
今だ。
今、「やはり結婚の話はなかったことに」って言うんだ。
だいたい、私にはマックスと結婚する義理なんて全くない。
そりゃマックスに一目惚れはしたけど・・・
私は、父親にはっきりと自分の意見を言っているマックスを見た。
マックスは優しい人だけど、意志は強い。
だから親にもカミングアウトしたのだろう。
この数日、私なりに同性愛者のことを調べてみた。
といっても、同性愛者の人達が作っているホームページやブログを見ただけだけど、
その人達曰くカミングアウトの目的の一つは、
周りの目を気にして本当の自分を隠して生きる苦しみから脱却し、
自分らしく堂々と生きる為らしい。
それなのにマックスは自分がゲイであることに引け目を感じ、恥じている。
恋人もいないようだ。
マックスは何のためにカミングアウトしたんだろう?
最初は強い意志を持ってカミングアウトしたけど、
親や世間からの非難に耐えられず、自分を押し殺すようになったんだろうか?
マックスは今まで、どんな思いで生きてきたんだろう。
そしてこれから、どんな思いで生きていくんだろう。
私は視線をマックスから、ルーク・コルテスが座っている椅子へ移した。
マックスもいずれここに座る日が来る。
でも、今のマックスに必要なのは社長の椅子じゃない。
今のマックスに必要なのは・・・
「私、マクシミリアンさんと結婚します」
「え?」と言ったのは誰だったか。
でも発せられたのはその一言だけで、その後は沈黙が部屋を支配した。
それぞれが戸惑いの表情を浮かべる。
結婚を言い出したコルテス夫妻でさえも。
私は真っ直ぐにマックスの目を見た。
「マクシミリアンさんが同性しか愛せないのは承知しています。
でも、私はマクシミリアンさんの人柄が好きです。
マクシミリアンさんが私のことを恋人として好きになれなくても、
家族としての愛があれば、それでいいです」
そして私もマックスに家族としての愛をあげよう。
孤独なマックスに。