第20話 ティータイム
カーブで地下鉄が揺れ、車内の明かりがチカチカと点滅した。
昔の映画に出てくるような落書きはないけれど、
設備面ではアメリカの地下鉄は日本に劣る。
だけど湊君が無言のまま中の書類を一度も取り出すことなく、ただ封筒を眺めているのは、
時々明かりが消える車内では書類を読みにくいから、という訳ではなさそうだ。
湊君は分かってるんだ。
書類を読んでしまえば、自分がジュークスに惹かれてしまうことを。
だけどそれは、ジュークスの仕事自体に魅力があるから、というよりも、
来年の4月から社会人になって稼げるからだということも、湊君は分かってると思う。
だから書類を見れずにいるんだ。
でも、分かってるとは思うけど、一応忠告しておこう。
「湊君。一生勤める訳じゃないにしても、
大事なことだからしっかり考えた方がいいと思うよ?」
「・・・」
「早く社会人になりたいとか、安定していればどこでもいいとか・・・
そんな考え方で通用する会社じゃないよ、ジュークスは」
「・・・その言葉、そっくりそのまま返しますよ」
「え?」
湊君が封筒から目を上げ、私を見る。
その目には、行きの地下鉄で見たような険しさがあった。
「確かに就職は一生物じゃないですけど、結婚は一生物です。
大事なことだからしっかり考えてください」
「・・・」
「ましてや、ジュークスの次期社長夫人になれるから、なんて理由はもってのほかですよ」
「そんなんじゃないわよ!」
私の声は地下鉄のファーンという音にかき消されたけど、
湊君には私が何と言ったか分かったはずだ。
「・・・すみません」
湊君は小さくそう言うと、
また視線を封筒に戻し、口を噤んだ。
今は自分のことで手一杯で、私とマックスのことに構っている余裕がないのだろう。
私はそう思い、ならば私も、と、自分の結婚に思いを馳せた。
でも、そうじゃなかった。
湊君はやっぱりしっかり者で、
自分の将来はもちろん、私とマックスのこともちゃんと考えていた。
だけどそれが、とても湊君らしいやり方で表面化するのは、少し先のことだったのだ。
「わあ!かわいいお店ですね!」
ユリアちゃんが、天井からぶら下がっている花の蕾の形をしたライトを見上げて、
目を輝かせた。
「でしょ?ユリアちゃんは絶対喜ぶと思ったの。
リザ向きじゃなさそうに見えるけど、お酒がとっても美味しいバーなのよ」
「へえー。じゃあ、何飲もっかな」
リザは店の内装よりも、カウンターの後ろに品良く並べられたボトルに早くも釘付けだ。
今日はサリーさんのお店に、リザとユリアちゃんを連れてきた。
前回酔っ払ってサリーさんの前で醜態を晒したことを謝りにきたのだけど、
どうせならと思い、3人で来たのだ。
マックスと来るより、新規のお客との方がサリーさんも喜ぶだろうし。
「あら、ハルミじゃない。いらっしゃい」
サリーさんが、入り口に立っている私達を素早く見つけ、やってくる。
今日は上半身のラインがくっきり出ているロングのワンピースに白いエプロンといういでたちだ。
姉御肌オーラももちろん健在である。
「こんにちは。この前は大声で吠えまくってすみませんでした」
「いいえ。マックスにあんなこと言う人初めて見たわ。面白かったわよ」
それはよかった。
じゃなくって。
「あんなこと、って?」と首を傾げるリザとユリアちゃんは取り合えず置いておいて、
私はサリーさんに「チーズケーキを食べに来ました」と言い、
案内されたソファに腰を下ろした。
「じゃあ、チーズケーキ三つね。飲み物は?」
「私、コーヒー」
「お酒、飲まないの?」
「そこのレディボーイに禁酒令を発令されたんで」
私がふんっと顎でユリアちゃんの方を差すと、
サリーさんはユリアちゃんを見て、ちょっと目を大きくした。
「あらあ。なんてかわいらしいレディボーイなの!」
「えへへ。ユリアって言いますー」
「ユリアね。飲み物はどうする?」
「アイスティってありますか?」
「ええ」
「じゃあレモンで」
「分かったわ。えっと、あなたは?」
サリーさんがリザの方を見るとリザは、
「じゃあ~、リザはコニャックでぇ」
と、大袈裟にユリアちゃんの口真似をした。
「リザさ~ん。ユリア、そんなんじゃないですよぉ」
「そんなんですよぉ」
「もう!リザさん!」
2人のやり取りをポカンと見ていたサリーさんがお腹を抱えて笑う。
「ふふふ、面白い子達ね。
ねえ、私ももう仕事が終わるから、ご一緒させてもらってもいいかしら?」
「どうぞどうぞぉ。リザ、大歓迎ですぅ~」
「リザさん!!!」
こうしてサリーさんをまじえ、優雅な(?)ティータイムが始まったのだった。
「コニャックとチーズケーキって合う?」
コニャックの入ったグラス片手にチーズケーキを食べるリザに、
私は眉を寄せながら訊ねた。
「本当の酒好きは、酒をつまみに酒を飲むのよ。
当然、デザートのお供もお酒。ね、サリーさん」
「ええ」
そう言って頷くサリーさんは、細いグラスに入った真っ赤なビールを飲んでいる。
「なんですか、それ?」
「レッド・アイよ」
レッド・アイ?
「ビールとトマトジュースを混ぜたものなの。昔はここに生卵を入れていて、
それが赤い目みたいに見えたことから、そういう名前になったのよ」
ビール・・・
トマトジュース・・・
生卵・・・
赤い目・・・
うえっ!
「わあ、綺麗なビールですね」
信じられないことにユリアちゃんが興味津々にレッド・アイを覗き込む。
「ちょっと飲んでみる?」
「はい!」
「ハルミは?」
うっ。
これを飲め、と!?
「・・・飲みます」
顔を引きつらせながら、なんとかそう答える。
ここは年下のユリアちゃんに負けてる場合じゃない!
私は覚悟を決めると、不気味に赤く輝くレッド・アイをゴクッと一口飲んだ。
その結果・・・
「うげぇ~~~~」
「美味し~い!」
私は慌ててコーヒーを口の中に入れた。
「ダメ!何これ!?全然ダメ!!」
「ええ?美味しいじゃないですか!ジュースみたい!」
し、信じられない!
これのどこが美味しいの!?
生卵こそ入っていないけど、
ビールでもなくトマトジュースでもなく・・・微妙!の一言に尽きる!!!
リザがふふんっと鼻で笑う。
「ちょっとちょっと春美。レッド・アイは比較的飲みやすいお酒なのよ?
そんなんじゃ春美は酒豪にはなれないわね。
逆に16歳なのにこの味を美味しいって言い切れるなんて、
ユリアちゃんは酒豪の素質があるわね」
そんな素質はいりません。
カルアミルク万歳!
私が青い顔でコーヒーをゴクゴク飲んでいると、
ユリアちゃんが感動の面持ちでレッドアイの香りをかぎながら呟いた。
「ケーキもアイスティもお酒も美味しくって、雰囲気がとっても可愛くって・・・
いいお店ですね。ユリア、こんなお店で働いてみたいなぁ」
「あら。じゃあ、働いてみる?」
「へ?」
サリーさんの言葉に、
私とユリアちゃんとリザは、思わず顔を見合わせた。