第10話 料理教室
「イヤです」
「そこを何とか!」
「いくら春美さんの頼みでも、イヤなものはイヤです」
湊君がここまでキッパリと私の頼みを断るのは珍しい。
でも、私も引き下がれない!
私はお辞儀して、頭の上でパンと手を合わせた。
「お願い!私を助けると思って!」
「春美さんを助けたいと思ってるから、イヤだって言ってるんです」
「・・・」
湊君は入り口を塞ぐかのように、開いたドアにもたれて腕を組んでいる。
私を部屋の中に入れる気すらないらしい。
なんて強情な。
かくなる上は!
「いけ、リザ1号!」
「・・・2号はないけどね」
私の後ろで呆れ顔になるリザ。
それでも渋々湊君の説得に取り掛かってくれた。
「湊。私もずっと実家暮らしで料理なんてできないの。
私の花嫁修業のためにも、協力してよ」
そうだ、そうだ!
が、リザがそう言っても湊君は折れない。
「リザさんの花嫁修業になら、幾らでも付き合いますよ。
春美さんのでもね。ただし、相手がマクシミリアン・コルテスじゃなければ、ですが」
「相手がマックスだろうとなかろうと、春美もいつかお嫁に行くのよ。多分ね」
多分、じゃない!
行って見せますとも!
「その時に春美が料理一つできず、恥をかくのは湊も嫌でしょ?」
「・・・」
「妹のために、一肌脱いであげてよ」
そうだ、そうだ!
・・・ん?妹?
ま、いっか。
さすがに、私に対するような不遜な態度をリザには取れないのか、
湊君は渋々扉から背を浮かせると、何も言わずに部屋の中へ入って行った。
どうやら、ついて来いという意味らしい。
「やった!リザありがとう!」
私はリザの両手を握ってピョンピョンと跳ねた。
リザが苦笑する。
「はいはい。でも、さっさとマスターしてよ?」
「まかせて!リンゴを切るくらいはできるわ!皮は剥けないけど」
「・・・」
湊君の住んでいるこのアパートメントには扉が4つしかない。
でも住んでる人はその3倍の12人。
どういうことかというと、
ここは海外からの留学生同士でシェアする専用のアパートなのだ。
1つの部屋に3人の外国人留学生が住んでいる。
だから、4部屋×3人で12人。
ちなみに「1つの部屋」と言っても、本当に1つの部屋に3人が住んでいる訳ではない。
「1つの部屋」の中には、共有であるダイニングキッチン・リビング・トイレ・お風呂の他、
個人用の小部屋が3つある。
高校の寮より安いし、色んな国の友達もできるし、生活力も身に付く、
という理由で、湊君は留学当初からここに住んでいる。
掃除や炊事も当番制できっちりやっているらしく、
私も何度かここに遊びに来てるけど、なかなか居心地がいい。
っていうか、私の部屋より綺麗だし。
「今日も綺麗に片付いてるわね」
私は、大き目の4人掛けのテーブルが置かれている12畳ほどのダイニングキッチンを見渡した。
隣のリビングも合わせて、前来た時よりも片付いている。
「春美さんとリザさんが来るって言うから、掃除したんですよ。
個人の部屋は俺のトコも含めてみんなぐちゃぐちゃです」
湊君は不機嫌な声と表情のまま、それでも冷蔵庫を開いてくれた。
一般家庭用の大きな冷蔵庫だ。
対面型のキッチンも、充分すぎるくらい大きい。
「これは対面型じゃなくて、アイランド型のキッチンです」
「アイランド型?」
「コンロやシンクは壁沿いにあるでしょう?ダイニングに対面している台はフリースペースです。
パンを捏ねたりするのに使うんですよ。まあ、俺達はそんなことやりませんけどね」
なるほど。
ダイニングキッチンの真ん中辺りに、シンクのような台が独立してポンと置いてある。
でもシンクのように凹んではおらず、本当にただの台だ。
パンを捏ねるのにも良さそうだけど、さしあたりは配膳台と言ったところか。
「朝は皿をテーブルまで運ぶのが面倒なんで、
みんなでその台の周りで立ったまま食ったりします」
「テーブルと台の間なんて1メートルもないのに」
「その1メートルが死活問題なんですよ」
そんなことで死んでたまるか。
「炊飯器の準備はこれでよし、と」
湊君が炊飯器の予約ボタンを押して、満足そうに頷く。
「なるほど。おかずの前に、ご飯の準備をしなきゃダメなのね」
「そうです。3分クッキングとは違いますからね。
メインのおかずさえ作れば、ご飯と味噌汁が自動的に出てくるってことはありません」
ごもっともだ。
さすが、3日に1回、食事を作っているだけある。
ちなみに今日は湊君が夕食当番だからか、他の2人はまだ帰ってきていない。
「じゃあ今日は、春美さんのリクエストで肉じゃがにしましょう。
今時、肉じゃがで引っかかる男はいないと思いますけどね」
「はーい」
「まず、野菜を一口大に切りましょう。春美さん、肉じゃがの材料は?」
「えーと。お肉とじゃがいもと・・・人参!」
「そうです。後、玉ねぎとしらたき。きぬさやがあると、彩りが綺麗ですよ」
「はーい、先生!」
私とリザが声を揃えて返事する。
なんか本当に3分クッキングみたいになってきた。
が、やっぱり現実は甘くない。
3分クッキングのアシスタントみたいに、「ちゃちゃっと野菜を一口大に切る」なんてこと、
できる訳ない。
「春美さん。肩の力抜いて」
「う、うん」
手をプルプル震わせながら包丁でじゃがいもの皮を剥く・・・
って、難しい!
なんか、デコボコしてるし!!
「春美。無理せずピーラー使ったら?」
「嫌よ!そんな妥協したくない!」
最初から妥協組のリザが「ま、勝手にすれば?」と鼻を鳴らしながら、
ピーラーで優雅に人参の皮を剥いていく。
オレンジ色の薄くて長い皮が、憎らしい。
ごめんね、じゃが君。
君の皮と一緒に、随分実も削ってしまったよ。
許しておくれ。
すると、私の手の中で、
「おいらの皮ももっと薄く剥いておくれよ!」と怒っているじゃが君が、
湊君によって救出された。
「時間がありませんからね。後は俺が剥きます」
「はい・・・」
「家で練習しといてください」
「はい・・・」
そしてわずか2分後。
綺麗に一口大に変身した野菜たちがまな板の上に並んだ。
「すごーい、湊君!」
「野菜を切っただけじゃないですか・・・。さあ、味付けです。
煮立っただし汁に硬い野菜から入れます」
「はーい」
「じゃがいもは煮崩れるから、最後です」
「はーい」
「それから調味料を『さしすせそ』の順番で入れます。
『さしすせそ』って知ってますよね?」
私とリザは顔を見合わせた。
「知ってる、春美?」
「ええっと・・・『さ』は砂糖、『し』は塩、『す』はお酢?かな?」
「『せ』と『そ』は?」
「うーん。分かんない。リザは?」
「分かるわけないでしょ。・・・あ!でも、もしかして『そ』はソイソースじゃない!?」
「ソイソース?って、あ、醤油のことか!なるほど!そんな感じよね!」
じゃあ『せ』は・・・ゼラチン!とか」
「なるほど!」
きゃあきゃあ言ってる私とリザを無視し、
湊君は鍋の中に人参と玉ねぎを放り込んだ。