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冬のぬくもり

かけがえのない家族――。

 部屋を出たとき、昨日の寒波の影響で降り積もった雪が、日の光にミシミシと音を立てて徐々に溶け出していることに驚いた。あまり雪に慣れていないから、ちょっとした雨との違いに新鮮な気持ちを抱いて感動した。

 明日もまた雪が降ると予報があった。最近はコロコロと天気が変わる。


 実に不安定だ。


 子供の頃、雪が降ると嬉しくてずっと空を眺めていたのを思い出す。はしゃぐ俺を、母がにこにこと見ていたような気がする。その頃は、母の仕事のために二人で過ごせる時間は限られていたから、その視線がとてもほっとした。ずっとこのまま時間が止まればいいのになんて思ってた。


 富永の家に暮らすようになってからは、家の中で雪を見るときは一人か、正晴まさはるがそばにいた。

 本当に、義兄はよく俺の面倒を見てくれた。

 誰かがそばにいることで、俺は自分を保っていたような気がする。

 母がもういないことを、ゆっくりゆっくり受け入れていけたのは、ずっと見守ってくれる存在があったからだ。


 血は繋がっていなくとも、俺には確かに、かけがえのない家族がいた。


~~~


 千尋ちひろに会うきっかけは、突然の電話だった。

 相手は彼女ちはるの母親の代理だと名乗った。


「ちぃちゃんを引き取ってあげてください。お願いします……」


 初老の落ち着いた丁寧な声だった。 

 電話の主は、この一年に起きた事を語り始めた。


 一年前、千尋を引き取った彼女の母親・春江はるえは、しばらくして認知症を発症した。彼女はそのまま孫と暮らすのが困難になるかもしれないと思い、千尋を数少ない親戚に預けようとした。しかしどれもうまくいかず、結局千尋はたらい回しにされて、先日、また彼女の元へ戻ってきた。


 春江は、今は介護施設に入居している。

 代理と名乗る人物はその友人だと言った。


「春江さんは、ちぃちゃんをとても心配していました」


 孫の存在を忘れかけている自分ではもう育てられないと、春江は彼に相談した。

 そのとき、その声が聞こえていたのか、千尋が突然泣き出して言ったのだ。


『リョウちゃん! リョウちゃんがむかえにきてくれるもん!』


 彼は慌てて、俺を探した。

 俺と千春さんの関係を、少なくとも彼は知らなかった。


「どうかお願いします。千春ちゃんのためにも、彼女を引き取ってあげてください」


 俺は、電話口の前で呆れてため息が出そうになるのをどうにか堪えた。

 正直、頭がおかしいんじゃないかと思った。千尋を施設送りにはしたくないのだろうが、俺は男だ。しかも戸籍上、俺は千尋と何の関係もない赤の他人だ。千尋のことを本当に思うなら、血の繋がった家族の間でどうにかしようとするのが普通だろう。俺の素性なんか全く知らないくせに、信用するなんて馬鹿げている。


 ――そうだ。

 彼はどうして、千尋の言葉だけで俺に連絡を取ったのだろう?


「――あの、もしかして私の身元を調べたんですか?」


 一呼吸置いて、彼は申し訳なさそうに謝った。


「千尋ちゃんは春江……いえ、私たちの大切な孫ですから」


 それは慈愛に満ちた声だった。


 千春さんは、母親については何も語らなかった。

 ただ、内縁の夫、つまり義理の父親がいたことだけは話してくれた。


『私とあの人とは、反りが合わなかった。

 あの人には自分より、義父が必要だった。

 それだけはわかったから、私は家を出たの……』


 彼女の義父は、俺より先に義兄・正晴に連絡を取ったらしい。

 以前、千尋について彼が言おうとしていたのはたぶんこのことだったのだろう。



 俺は千尋に会おうと思った。

 会いたいと思った。


~~~


 去年の秋以来の再会。

 さすがに緊張した。


 彼女の忘れ形見。

 まだあの小さな手は、俺の手を握り返してくれるだろうか。


 三人で過ごした時間が頭の中によみがえる。


 不安で、胸が押し潰されそうだった。


「リョウちゃん?」


 第一声で名前を呼ばれて、俺はどうすればいいのかわからなかった。


 戸惑った。


 俺の空白の一年の中で、千尋は確実にその一年分の時間を身に刻んでいた。


 特に変わったなと思ったのは、彼女の髪型だった。

 千尋は自分の、母親と同じやわらかな髪質が気に入っていた。だからよく手入れをしていたし、俺が髪型を可愛いねと褒めると嬉しそうに微笑んだ。

 母の手で、肩までかからない髪をサクランボの赤いゴムで二つに括るのも好きだった。

 それなのに、今は背中まで伸びた髪をただヘアバンドで無造作に巻いただけだった。


 俺はただ呆然と、

「ああ、もう一年が経ってしまったんだ」と思った。


 千春という、恋人のいない一年。

 千春という、母のいない一年。


 誰よりもその存在を身に刻んだ少女は、きょとんとした瞳を大きく開いて、わっと泣き出した。


「ちぃ、あいたかった! ママきてくれないから、ずっとリョウちゃんまってた!」


 ぽかぽかと膝を叩かれて、思わず俺は千尋を抱きしめた。

 

 すっぽりと腕の中に入った温もり。

 

 驚いた。

 

 不意に目の奥からつんとした熱が込み上げてきた。


「リョウちゃん? いたいの?」


 どこにそんな余裕があったのか、自分も泣いているのに、千尋は俺の異変に気が付いて頭を撫でてくれた。


「ごめんね。いたかった? いたいの、いたいの、とんでけー、してあげる!」


 不意に、耳の奥で声が聞こえた。


『いたいの、いたいの、とんでけー。

 あ、おかしかった?

 ごめんね。これ、いつも私がちぃに言ってるの。

 私ね、思うのよ。これってホントに魔法だなって。

 だってちぃがそれを唱えると、本当に痛くなくなるんだもの。

 え、親バカだって? そんなことないわよ。

 これは魔法なの。唱えられたら、きっと良介だってそう思うわ』


 あの時、恥ずかしさのせいで俺は言えなかった。

 体が疲れて弱っていた自分に、

 千春さんの魔法は、本当に効いたのだ。


 そして、今も。


 俺は顔が歪むのを止められなかった。


「ううん、違うよ。……違うんだ。俺は、大丈夫だから」


 噛み殺せなかった嗚咽が漏れたとき、千尋の小さな体が強張った。

 それでも頭を撫でてくれたやさしさが無性に愛しかった。


「ごめんな、会いに来てやれなくて。ごめんな、千尋……」


 そのとき俺が言えたのは、たったそれだけだった。

 千尋は小さく、ゆるしてあげる、と涙声で呟いた。


 久しぶりに泣いた。


 そういえば彼女がいなくなってから、俺は泣けていなかったんだと今頃になって気づく。

 泣きたかったんだと気づく。


 体が、千尋の熱でほんの少し温かくなっていた。


 心が騒つかない。

 とても安心している。


 胸にしみた涙が、体の中にゆっくりと溶けていった。



 その後、

 俺は千尋の養父となった。



『肌をなでる風』の中で唯一小説らしい小説を、やっと投稿することができました。


『冬のぬくもり』は、

『季節観』の「風は吹き抜ける。また、冬が来る」の冬です。


なので、『季節観』の夏と秋にリンクする部分を飛ばしています。

それはまた『裏話』として載せますので、よかったら読んでください!


そっちには「俺」の義兄である正晴も登場します。

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