第七話 アルテミス博物館のチャンドラ
翌日、昼ごはんを食べた後、ラジオとロックはモノレールに乗って博物館がある駅にむかった。マヤちゃんは、今日も仕事を休めなかった。
テレビでやっていた宇宙予報によると、明日の朝、太陽の表面で大きな爆発が起こるらしい。そうなると、最悪の場合、基地の機械類にトラブルが起こり、月の住民の命に関わる。マヤちゃんは、もしもトラブルが起こった時のことまで考えて「今夜は泊りになる」と、沈んだ声で謝っていた。
博物館の中にはこれまでの月の開発の歴史や、月面で活動するための機械、月で起こる珍しい自然現象などがブースに分かれて展示されていた。最後の展示ブースは月で発掘された岩石だった。
薄暗い博物館の中、ラジオとロックはペンダントの石とよく似た石はないか、展示物を食い入るように見ていった。
「こんにちは。君は月の石に興味があるのかい?」
ラジオのお父さんよりも年上の男性がそこにいた。ラジオよりも浅黒い肌の色をしていて、硬そうな黒い髪をしっかり整えている。
「私は、このアルテミス博物館で主任研究員をしているチャンドラだよ。とても熱心に見ているね」
チャンドラは笑顔を浮かべている。ラジオのような子どもが科学に興味をもってくれることが嬉しいようで、どんどんと展示物について説明をしてくれた。ミヅキと同じように、科学者は自分が好きなことを話すときは早口になっていく。次第にジェスチャーも交えながら、劇を見ているような熱のこもった説明になっていった。
あまりにも熱心に説明しすぎたチャンドラは、肩で息をしながら、額から汗を垂らしていた。チャンドラが少し落ち着いたのを見計らって、ラジオはペンダントの石を見せながら質問した。
「チャンドラさん、この石見たことありますか?」
チャンドラはラジオから石を受け取り、ポケットから出した眼鏡型コンピューターをかけて、石の成分を分析しだした。さっきまで興奮しながら自分の好きなことを説明していたチャンドラとは全く別人のように何も言わない。
「これは珍しい。われわれ専門家の間でルナタイトと呼ばれる物質だよ。ほとんど何もわかっていな未知の石だよ」
「ルナタイト?」
「正式にはまだ認められていないが、ずっと遠くの宇宙で生まれた石と言われている。隕石の中にわずかに含まれて、この月に落ちることがあるんだ。地球にはないものだよ」
ルナタイト。ずっと遠い宇宙で生まれた石。ラジオの中にあったぼんやりとした石のイメージが、ペンでなぞったようにはっきりしたものになってきた。
しかし、また新しい疑問がわいてくる。地球にない石をなぜ母さんが持っていたんだ。 ラジオは、母さんに近づいたようで、ぐっと遠くなったような気持ちにもなった。
「ラジオ君、もしよかったらだけど、その石を今夜一日だけ貸してもらえないかな。本当に貴重な石で、今後の科学を大きく発展させる可能性があるんだ。少し調べさせてほしい。この博物館にも本物のルナタイトは一つもないんだよ」
ラジオは迷った。チャンドラが言うように、この珍しい石は科学の発展に大きく影響するかもしれない。でも、これは今までラジオが肌身離さず持っていた大事な母さんの思い出だ。たとえ一晩でも誰かに預けるのは不安だった。
「ラジオ、無理しないで本当の気持ちでいいんだよ」
ロックが心配そうにささやいた。ラジオの頭の中に大きな天秤があったら、ぐらぐらと揺れていつまでも落ち着かないだろう。ラジオにとっては大きな決断をすることになる。
時間にしては少しでも、ラジオは悩みに悩んで、ついに答えを出した。
「……わかりました。今夜一日だけなら。でも、これ、ぼくにとって本当に大切な母さんの石なんです。だから、その……」
「わかっている。絶対に傷一つつけないよ。ラジオ君、ありがとう」
チャンドラは両手でラジオの右手をがっつり握りしめ、大喜びで何度もお礼を言った。
「いいの?」
ロックがまたラジオの耳元でささやいた。
「うん。ちょっと不安だけど、でも石の秘密が少しでも分かれば、ぼくにとってもいいことだから」
ラジオはチャンドラと連絡コードを交換した。ペンダントを受け取ったチャンドラはラジオたちが見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。
博物館を出ると、すでに日が沈んでいた。
「ロック、もしかして母さんの石はすごい秘密をもっているのかも。石について何かわかったとき、ぼく、母さんに近づけるような気がするよ」
「ルナタイトなんて石、本当にあるのかな」
自分で検索してみても分からなかったロックは、ふてくされているようだった。ラジオが「まあまあ」とロックをなだめていると、ロックのモニターが青白く光った。
「ラジオ、ミヅキから連絡だ」
ロックがミヅキの立体映像を映し出した。ミヅキはあいさつもほどほどに、慌ただしく話し始めた。
「ラジオ、今どこ? 昨日はごめんね。あの主任、話長くてさ」
主任の話をしたとたん、後ろからジョーイの咳払いが聞こえる。
「ぼくもミヅキに伝えたいことがあるんだ。今、アルテミス博物館に来たんだよ。そこで、チャンドラさんって人から、この石のことを教えてもらえたんだ。ルナタイトっていう、滅多にない石なんだって」
「ルナタイト? 聞いたことない」
「ほらね。ミヅキだって初耳だってさ」
ロックが間髪入れずに割り込んだ。
「私もそっちは専門じゃないからね。ちょっと調べてみる。ありがと、また連絡するね」
ミヅキは簡単な別れのあいさつをすると映像を切ってしまった。あいかわらず、こうすると決めたらまっすぐ突き進んでいく。
世界は広いようでせまい。世界には百億人もの人間がいるのに、石のことを知っているチャンドラさんと出会えるなんて。自分が欲しいと願う答えは、案外、身近な人がもっているのかもしれない。
母さんは、いったいぼくに何を残してくれたのだろう。それが分かった時、ラジオは自分のことが今よりもずっと分かるような気がした。