《幕間》第4.5話:ぬくもり、というもの
※本作品は異世界転生ファンタジーです。
※主人公最強/チート要素含みます。
※残虐表現、死亡描写を含む場合があります。
戦いの夜が明けた早朝。朝靄がかすかに立ち込める中庭に、リリアナの姿があった。
鳥のさえずりが徐々に戻り始め、昨夜の戦いの痕跡を少しずつ消していく。それでも、空気の中には微かに焦げた匂いが残り、石畳の隙間には黒ずんだ染みが刻まれている。
リリアナは一人、白い石のベンチに腰掛け、自分の指先をじっと見つめていた。朝の光が肌を淡く照らす。
「この手は、本来、剣を振るうためのものだったはずなのに」
彼女は小さく呟く。声に出さないつもりだったのに、想いが溢れてしまった。指を開いたり閉じたりしながら、その感覚を確かめるように。
剣を握る手。魔法を紡ぐ手。
自分を守るための、強さの象徴。
あの瞬間の光景が鮮明に蘇る。
オズワルド卿の放った言葉の刃。自分の血統を暴かれた時の、体の芯を貫く冷たさ。
そして——。
アーサーが自分のために立ち上がった瞬間。
漆黒の影が彼の周りを舞い、剣となって形を成していく様。不気味とも言える闇の力が、彼の身体から湧き上がる光景。本来なら恐れるべきその力が、自分を守るために使われる皮肉。
彼が何も言わず、ただ自分を庇うように前に立った時の背中。
リリアナは軽く息を吐き、目を閉じる。
「……許嫁の男性に守られるようでは、女としての恥ですから」
かつて自分が口にした言葉が、脳裏に浮かぶ。あの時の自信に満ちた自分の声。
(あの時の私は、本当にあれで良かったのかしら)
七歳の頃——両親の元を離れ、名門貴族の養女となったあの日。「あなたは半分エルフの血を引いている。だからこそ、誰よりも強くあらねば。弱さを見せれば、それが命取りになる」と、義母に厳しく言い聞かせられた記憶が甦る。
そして十二歳の時、初めて剣の腕前を褒められた際に涙を見せた自分を、義母が冷ややかな目で見つめていたこと。
「感情を表に出すのは弱さの証。頼ることは、裏切られることと同義」
それから始めた素振り。一、二、三……。
朝の鍛錬は日課だった。けれど今日は、動きに集中できない。
「十五、十六……」
動きながらも、思考は昨夜に留まったまま。
あの夜、彼の指が自分の手を握った感触が、まだ残っている。
「……なぜ、私を?」
彼の動機を考えながら、剣を振り続ける。
振りぬいた先に、アーサーの姿が見えるような錯覚。
「私のことなど、何も知らないはず、なのに……」
銀色の剣先が朝日に輝き、一瞬、影の力を帯びた黒い剣のように見えた気がした。あの漆黒の力。本来なら恐ろしいはずなのに、どうして安心感を覚えたのだろう。あの影は、彼の何を表しているのだろうか。
「三十八、三十九……」
剣を振る腕の中に、不思議な感覚が芽生えていく。胸の奥に生まれた温かな感情に、リリアナは戸惑いを覚える。
(これは何? 弱さ? 甘え?)
いつも一人で戦ってきた。背中を任せる相手などいなかった。エルフの血を引くという秘密を抱え、常に周囲の目を気にしながら生きてきた。一度だけ、幼い頃に心を許した侍女に打ち明けたことが、翌日には屋敷中に広まり、その侍女は姿を消した。以来、自分の弱さを他人に知られることは、最も避けるべきことだと心に刻んだ。
だが、あの瞬間——アーサーがなにも言わず、彼女を守るために立ち上がった時——何かが音を立てて崩れ落ちた気がした。長年築いてきた壁の一部が、音もなく崩れていく感覚。
「四十九、五十……」
息を整えながら、リリアナは剣を下ろす。汗が細かな雫となって、頬を伝う。
(頼れる存在がいること。それがこんなにも心を軽くするとは)
彼の手の感触が、まだ指先に残っている気がする。力強くも優しい、温かな感触。
無意識のうちに、言葉が口から滑り出る。
「……守られるのも、案外悪くないかもしれませんね」
言葉にしてすぐ、自分の口から出た意味に気づく。
「な、なにを言ってるの私……っ!」
思わず両手で頬を覆う。顔が熱い。
(……ばか、何言ってるのよ私。)
誰もいないとわかっていても、背筋がむず痒くなる。
「ばかばかばか、なんて弱気な……」
剣を再び構え、一からやり直す。
だが今度は、昨日までとは違う感情で剣を振るっていることに気がついた。
「一、二、三……」
それは、自分を守るための剣ではなく、誰かを守るための剣だった。
(でも……)
彼がいたから立ち上がれた。
彼の言葉があったから、強くなれた。
「十五、十六……」
誰かに背中を預けるということは、決して"恥"なんかじゃない。
強くあることと、誰かに信頼されることは両立できるのだと、少しだけ知る。
「三十、三十一……」
それは弱さではなく、新たな強さの形。
一人では担えない重さを、二人で支える術。
「四十九、五十!」
最後の一振りを終え、リリアナは深く息を吸った。
朝の空気が肺いっぱいに広がる。
小さな笑みを浮かべて、ゆっくりと溜まった息を吐き出す。翡翠色の瞳に、微かな光を宿して。
まだ屋敷の中、遠くにいるはずのアーサーに向かって、心の中でひとことだけ囁く。
「……借りは必ず返します、アーサー様。次は私がお守りする番。フェアな関係ですから——まあ、今回だけの特別措置と思ってください」
最後の言葉に、彼女自身も気づかぬうちに、柔らかな微笑みが添えられていた。
花の香りが微かに漂い、彼女の背に朝日が差し込む。
薔薇色に染まる空の下、リリアナの決意は、静かに、しかし確かに固まっていった。
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次回からいよいよ物語が動き出します。
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