9.共寝
夕食が終わると、私は食後の紅茶を飲みながら小さく息をつく。
「あれで本当に足りるの? 私には丁度いい量だったけど」
「お前よりパンを多く取っている。
充分に腹は膨れている。
――それより、お前はウィンコット王国から精霊を連れてきているのか?」
私はおずおずと頷いた。
「私の周囲に居る子たちだけだけどね。
みんな私の周りから離れようとしないから」
「では、先ほどの俺を弾いた精霊魔法、あれはいつでも使えるのか?」
「精霊たちにお願いすれば、たぶん使えるわよ?
――だから、無理やり私を手に入れようとしても無駄だからね!」
キーファーがクスリと笑みを浮かべる。
「どうやらそのようだな。
お前が連れてきた精霊は、母上に懐いたのか?」
「んー、帝国の精霊たちがお義母様に懐いてたから、一緒になって遊んでたみたい。
精霊たちに国境は関係ないもの」
「帝国に精霊が居るのか?
初耳だな……。
てっきりウィンコット王国にしか居ないものだと思っていたが」
私は紅茶を一口飲んでから応える。
「私も初めて見て驚いたわ。
精霊たちがいない土地って、不毛の大地になるらしいの。
作物が育つ土地には、少なくとも精霊が住んでることになるわね」
「そうか、そういうものなのか……」
キーファーは紅茶を見つめながらつぶやいていた。
ふと目を上げたキーファーが私に尋ねる。
「精霊王について、何か知っているか?
精霊樹については?」
私はきょとんとしながら応える。
「あなた、詳しいわね……。
教わったのは、『とっても昔に精霊王様がウィンコット王国の国王と契約を交わした』ってことぐらいよ。
その時に精霊樹を授かったんですって」
「その精霊樹、新たに授かることは可能か?」
私は眉をひそめて応える。
「知らないわ、そんな方法。
たとえ可能だとしても、私はぜーったいにやらないしね。
精霊樹に頼ったら国が歪むだけよ。
あんなものはない方がいいの」
「何故だ? 国家に豊作をもたらす力だろうに」
「豊作をもたらす代償に、精霊たちの存在を失うのよ。
精霊たちが言うには、『精霊樹がある場所に吸い寄せられる』らしいから、それで精霊が尽きないんだと思うけど。
私はあんな悲痛な叫び、二度と聞きたくないわ」
私の言葉に、キーファーが納得するように何度か頷いた。
「そうか、それで精霊巫女の職務を放棄して『出来損ない巫女』と呼ばれるようになったのか」
私は上目遣いでキーファーを見据えた。
「そうだけど……悪い?」
「いや? トリシアらしいと思ってな」
なにそれ?! どういう意味?!
立ち上がったキーファーが告げる。
「俺は隣室で入浴してくる。
お前も入浴を済ませておけ。
長旅の疲れを今日中に取っておくんだ」
「余計なお世話です!
私は若いから、このくらいは一晩寝れば回復するわよ!」
キーファーが微笑んで告げる。
「俺の疲れが取れん。
今夜はお前と共に寝る。これは決定事項だ。
夫婦の初夜としては色気がないが、共に眠るぐらいはしろ」
私はため息をついて応える。
「本当に横暴なんだから……。
でも手を出さないって約束するなら、それぐらいは応じてあげるわ」
「では、後でな」
そう言ってキーファーは侍女たちを数人連れ、私の部屋から立ち去った。
私は紅茶を飲み干してため息をつく。
「初夜か……絶対に体は守って見せるわよ!」
意気込む私も立ち上がり、侍女たちに案内されるままに入浴の準備を始めた。
****
入浴を終えた私はネグリジェに着替え、ベッドに潜り込んでいた。
――男性と一緒のベッドで寝るとか、どうしよう?! そりゃ、夫ではあるけど!
空に舞う光の玉に向かってそっと呟く。
「精霊さんたち、お願いね」
『大丈夫! 私たちが守ってあげる!』
その言葉に、私は胸をなでおろしていた。
しばらくするとキーファーがリラックスした服装で現れた。
紫色の生地に金色の刺繍が施されたナイトガウン……派手だなぁ。
キーファーが侍女たちに手を挙げると、侍女が全員部屋の外へ出ていった。
二人きりになったベッドルームで、キーファーがベッドに腰を下ろす。
「いいか、手は出さんから俺を弾くなよ?」
「……いいわよ?
でも精霊さんたちが守ってくれるのを、止める気もないからね?」
ベッドの端っこで縮こまっていると、キーファーも布団の中に入ってくる。
「どうした、もっとこっちに寄れ。
それでは『共に寝る』ことにならん」
うー、仕方ないか。
手は出さないなら、それぐらいは我慢しても。
私は少しずつキーファーに近づいて行く。
「もっとこっちに来い。
精霊が守るのだろう?
何を恐れている」
「――怖がってなんかないもん!」
いいわよ! 近寄ってやろうじゃない!
私はベッドの中央で待つキーファーの隣まで近寄ってあげた。
心臓が煩いのを必死に我慢する。
隣に自分以外の体温がある――そんな経験は初めてだ。
キーファーの手が伸びてきて、私の頭を抱え込んだ。
「――ちょっと! 手を出さないんじゃなかったの?!」
「これぐらいは許せ。夫婦なのだろう?」
ぐぬぬ、精霊たちも反応しないし、無害ってことなのかな……。
私は火照る顔を隠すように、キーファーの胸に顔を埋めていた。
……本当に大丈夫かな。
急に『気が変わった』とか言って、襲ってこないかな。
精霊さんたち、頼んだからね!
やけに静かなキーファーが気になって、そっと顔を上げてみる。
キーファーは私の頭を抱えたまま、目を閉じて寝息を立てていた。
「……何よ、そんなに疲れてたの?」
私の言葉にもキーファーは反応しない。
本当に眠っているらしいと知って、私は大きく息をついた。
「どうやら、今夜は無事に過ごせそうね……」
とはいえ、この姿勢は心臓が落ち着かない。
私はしばらく寝付けないまま、キーファーに抱きしめられていた。
だけど長旅の疲れなのか、ゆっくりと私の意識もまどろんでいく。
そのまま私はキーファーの香りを感じながら、そっと意識を手放した。
****
朝になり、キャサリンがトリシアのベッドルームのドアを開ける。
背後では他の侍女たちが朝食の準備を進めていた。
ベッドに歩み寄るキャサリンの目の前には、寝乱れもせずにトリシアを胸に抱きしめるキーファーの姿がある。
トリシアもまた、穏やかに寝息を立てていた。
――ありえない。
キーファーは歴戦の軍人でもある。
その彼が、こうも近くで人の気配がしても目を覚ます様子がない。
トリシアの隣はキーファーにとって、心安らぐ場所なのだろう。
こんなことは他の妃の部屋では起こらなかったことだ。
少なくとも、キャサリンは耳にしたことがない。
「……陛下、朝でございます。ご起床下さい」
声に反応するようにキーファーがぱちりと目を開く。
「そうか、今は何時だ?」
明瞭な声に、キャサリンが応える。
「はい。七時を回ったところでございます」
キーファーが小さくため息をついた。
「……ではのんびりとしていられないか。
おいトリシア、朝だぞ」
トリシアの眉がしかめられ、もぞもぞと布団に潜り込んでいく。
キーファーがフッと笑みを浮かべて告げる。
「しょうがない奴だな。
『若いから一晩で回復する』んじゃなかったのか?
それとも、今からでも手を出してほしいのか?」
キーファーがトリシアの背中を優しく叩くと、何度目かでトリシアが眠たそうに目を開いた。
「……ん、誰よ。聖教会の時間なら余裕があるでしょ」
「何を寝ぼけている。帝国に聖教会などないぞ」
「――キーファー?! え?! 朝なの?!」
弾けるように胸から離れたトリシアを、キーファーが優しい笑みで見つめていた。
「よく眠っていたな。
俺の腕の中は寝心地が良かったか?」
トリシアが真っ赤な顔で声を上げる。
「そ、そんなわけないでしょ!
着替えるから出てって!」
「言われんでもそうする」
微笑みながらベッドから起き上がったキーファーは、そのまま隣室へ着替えに向かった。
トリシアが真っ赤な顔のまま、呆然とその背中を見送る。
――やはりトリシア殿下は、この帝国を変えるかもしれない。
キャサリンは表情を殺したまま、期待を胸にトリシアの支度を手伝っていった。