8.膝枕
キーファーは私の部屋にまで上がりこんで、リビングのソファで横になっていた。
私はそんな彼に捕まってしまい、膝枕を強要されていた。
「……ねぇ、重たいんだけど」
「俺は太ってなどいないが」
なら! なんでこんなに重たいの?!
「ドレスがしわになるんだけど?!」
「庶民の服と大差ない恰好で何を言うか。
しわが嫌なら捨てればいいだろう」
どうあっても動こうとしないつもりだな?
私は小さく息をついた。
「そんなにローラさんや側妃に会いたくないの?」
「……なぜそう思った?」
私は光る玉を指さして告げる。
「精霊たちがそう言ってるのよ。
『キーファーは他の妃が苦手なんだ』って。
ローラさんは仕方ないとして、苦手ならどうして他国から妃を取ったりしたのよ?」
「……相手国の反抗を抑え込むためだ。
娘の命がかかっていれば、そう簡単には歯向かえん」
私は呆れながら応える。
「帝国のために自分の気持ちを押し殺したの?
キーファーってもしかして、ものすごいお人好し?」
「トリシアに言われると、なんだか腹が立つな。
どの口がそんなことを言うんだ?」
「この口だけど何か?」
キーファーが上を向いて私の頬を引っ張った。
「そうか、この口か。では黙らせてやろうか」
「いふぁい! いふぁいってふぁ!」
キーファーが手を放し、私の方に向かって寝返りを打った。
「お前は黙って枕になっていればいい」
う、キーファーの低い声がお腹に響いてくすぐったい。
「ちょっとキーファー、しゃべらないでよ。
――っていうか、淑女に対して失礼じゃない?! この姿勢!」
「妻に対する夫の姿勢なら問題あるまい。
お前も俺との婚姻は覚悟が決まったと言っただろうが」
「だからしゃべるなー!
くすぐったいのよ!」
「そうか、では歌でも歌ってやろうか」
「お願いだからしゃべらないでってば!
お腹をくすぐられてるのと変わらないのよ!」
「ではお前も黙って枕をしていろ」
くっそー! ああ言えばこう言う!
だけど腰をがっちり抱え込まれていて、動きたくても動けない。
ため息をついた私は、何故か笑いを我慢してる様子の侍女たちに告げる。
「……お茶、お替りもらえる?」
****
夕方になり、第四妃宮から侍女頭キャサリンが外に出てきた。
それを見た近衛騎士スコットが彼女を呼び止める。
「おいキャサリン、陛下の様子はどうなんだ?」
キャサリンが足を止め、スコットに澄まし顔で振り向いて応える。
「今はトリシア殿下の膝でゆっくりとお休みです。
間もなく夕食ですので、そろそろご起床頂きますが」
スコットが眉をひそめた。
「陛下が側妃の膝枕で寝ていると、そう言ったのか?」
「そう聞こえませんでしたか?」
――今まで、正妃の膝枕すら話に聞いたことはない。
表情を変えないキャサリンにスコットが困惑しながら尋ねる。
「他に何か、気付いたことはあるか。
トリシア殿下の様子でも構わん」
キャサリンが小さく息をついて応える。
「忙しい時間に、なんですかいったい。
――陛下は楽しそうにトリシア殿下と会話をしておられましたよ。
トリシア殿下は、もう妃宮に順応し始めてます。
たくましい方ですね、殿下は」
「その……陛下と殿下の仲はどうなんだ?」
「かなり親し気に言葉を交わしておいででしたよ。
率直な物言いをなさるトリシア殿下は、陛下と相性が良いのでは?」
――そんな馬鹿な。
余計な一言で刑罰を受けた兵士や騎士ならいくらでもいる。
率直な言葉を投げかけられて、陛下が逆に距離を縮めている?
戸惑うスコットがキャサリンに尋ねる。
「最後にいいか? お前はトリシア殿下をどう見る?」
「……あの方なら、宮廷の空気を変えてしまわれるかもしれませんね。
あるいは帝国の貴族社会の空気すら、変えてしまわれても不思議ではありません。
見る者にそんな気持ちを抱かせる方だと思います」
キャサリンが会釈をして宮廷の厨房へと歩いて行く。
スコットはその背中を見送りつつ、何が起こっているのかを考え始めた。
****
侍女頭のキャサリンが部屋に戻ってきて告げる。
「トリシア殿下、夕食の支度が整いました。
陛下をお起こし頂けますでしょう」
私は思わず言葉を漏らす。
「え、私が?」
「側妃たる殿下以外、誰がおられますか」
私はゆっくりと視線を膝の上で眠るキーファーに向けた。
だって、なんだかすごい気持ちよさそうに寝てるし。
起こすのはなんだか悪い気がするなぁ。
「……もう少し、寝かせてあげられないかしら」
「すでに二時間は寝ておられます。
これ以上は夜の睡眠にも影響が出ますので、おやめになった方がよろしいかと」
そっか、皇帝の健康管理も従者の役目だからか。
私はそっと彼の肩をゆすりながら声をかける。
「ちょっとキーファー、そろそろ起きて。夕食だって」
「ん……」
声を出したけど、キーファーに起きる気配がない。
今度は耳元でささやいてみる。
「キーファー。夕食だってば。起きて」
今度は反応がない――と思ったら、彼の手が私の後頭部を掴んだ。
キーファーが目を開き、私の顔に向かって顔を近づけてくる。
咄嗟に私は「精霊さん!」と声を上げ、彼らに助けを願った。
パチンという破裂音がして、キーファーの顔が弾けるように離れていった。
私は慌ててソファから立ち上がり、キーファーの頭をソファに残して窓辺へ逃げ出す。
うるさい心臓を手で押さえつつ、息を荒げて告げる。
「――ちょっと! 不意打ちで唇を奪おうとかどういうつもり?!」
キーファーはニヤリと微笑んで、ゆっくりと起き上がった。
「夫が妻に口付けをすることに、何か疑問があったか?」
「大有りよ! 私は体も唇も許す気はないの!」
「膝枕は許しただろうに」
「それは――そのくらいなら、構わないかなって思っただけよ!」
キーファーが楽しげな顔で立ち上がり、こちらに手を差し出した。
「夕食だ。テーブルに着こう」
私は窓際から動けないまま、その手を見つめていた。
「……そうか、そんなに警戒させたか。
では先に座っているぞ」
キーファーがつまらなそうに私に背を向け、ダイニングテーブルに向かった。
私はそれを確認すると、恐る恐る後をついて行った。
……なんだか、また侍女たちが笑いを噛み殺してる?
何が楽しいのかな、いったい。
****
テーブルに並んだ夕食を見て、私は思わず意表を突かれていた。
サラダと鶏肉を使った料理に、川魚の蒸し焼きと根菜と豆の冷製スープ。
あとは大きめのパンが籠に入ってるぐらいだ。
「ねぇキャサリン、これってキーファーの食事なのよね?」
「はい、陛下の献立でございます」
食事に手を付けているキーファーに思わず尋ねる。
「なんだか質素じゃない? 足りるの?」
「余らせても仕方あるまい。
肉と野菜、パンは充分に揃っている。
体を壊すことにはならん」
ウィンコット王国の宿屋で食べた食事より、むしろ質素に見えた。
私もパンを手に取り、軽くちぎって口に含む――甘い?!
「ちょっと! なにこの甘さ! バターを使い過ぎじゃないの?!」
「俺の献立だからな。
俺たちは塩気が足りないと調子が悪くなる。
体を動かさんトリシアには、少し塩分が多いかもな」
そっか、筋肉があるし体を動かす人ってそうなのか。
スープを口に含んでみたけど、こちらはマイルドな味付けだった。
キーファーはパンをモリモリと食べていき、他の料理も万遍なく減らしていく。
魚料理や肉料理は――これも味付けが濃いな?!
「ちょっとキーファー、こんなに味付けが来いと体を壊すんじゃない?!」
「口に合わなければ、別の料理を用意させるが?」
「う、それは……そこまでしてもらうと、調理人が大変だし。
今日は我慢して食べるわよ」
キーファーがフッと笑みを浮かべた。
「ではお前の食事は薄味にするよう、通達を出しておこう」
私は頷いて食事を進めながら、キーファーに尋ねる。
「ねぇキーファー。私、馬に乗りたいんだけど許してもらえるかな?」
「馬にか? なぜだ」
「なぜって……好きだからよ。
馬に乗って野を駆けていると、風がとっても気持ち良いじゃない?」
キーファーの視線が私を見つめてくる。
「……そうか、それほど好きか。
ではトリシアのための乗馬服を用意させておこう。
ドレスでは馬具に引っかかって、乗りにくかろう」
私はおずおずと頷いた。
「そうしてくれるならありがたいけど……。
いつ頃用意できるの?」
「明日には用意させる。
午後から俺と一緒に馬を走らせよう。
腹ごなしには丁度いいだろう」
明日?! 今言いだしたことを、明日の午後までに用意するの?!
「キーファー、わがままを言い過ぎると周囲が困るわよ?」
「俺は皇帝だからな。
その程度の強権を発動しても、誰も文句は言わん」
「それなら私が文句を言うわ!
もう日も落ちてるのよ?!
午後までに間に合わせるなんて言ったら、担当の人が夜も仕事することになるじゃない!」
キーファーが楽しそうに微笑んだ。
「その程度のことを気にするな。
お前は側妃、俺の妻だ。
トリシアにもわがままを言う権利くらいはある。
他の妃と同程度にはな」
「いーいーまーせーんー!」
「だがもう決めた。明日の午後は馬を走らせる」
「横暴皇帝! それじゃあ家臣が付いてこないわよ?!」
フッと笑ったキーファーが口元に指を当てた。
「食事中はもう少し静かにしろ。当然のマナーだぞ」
こいつ~?! 誰が怒らせてるのよ!
私は黙って乱暴にパンを噛みちぎり、スープで流し込んでいく。
そんな私の様子を、キーファーは嬉しそうに目を細めて見つめていた。