6.皇太后
「トリシア殿下、陛下がお見えです」
私は侍女に笑顔で応える。
「あら、やっと来たの? わかったわ」
ソファから立ち上がり、侍女たちに「また後でね」と告げて部屋を出る。
階段を降りていくと、一階のロビーで待っていたキーファーが私を見て眉をひそめた。
「……トリシア、それが『一番マシ』なのか」
私は笑顔で頷いた。
「ええ、そうよ? 無い物は仕方ないじゃない?
お義母様に早く合いに行きましょう?」
キーファーが意外そうな顔で私を見た。
「……お前、母上を義母と認めたのか?」
私は唇を尖らせて応える。
「さすがに妃宮を与えられたら、覚悟ぐらい決まるわよ。
これからここで生きて行かなきゃいけないんだし。
お義母様ってどんな人なの?」
キーファーが楽し気に微笑んだ。
「厳しい方だが、優しい方でもある。
気に入られさえすれば、お前の味方になってくれるだろう。
――お前がどう対応するのか、楽しみにしておこう」
私は小首をかしげつつも頷いた。
どういう意味かはわからないけど、会って話して、合わなかったら疎遠になればいい!
社交界で敵を作るかもしれないけど、そうなったら社交界に出なくても良くなるし!
子供を作るつもりがない私からしたら、味方なんて身の回りに居れば充分!
私は気楽な気分でキーファーと一緒に、宮廷に向かって歩いて行った。
****
宮廷の廊下を経て、再び宮廷の裏側に出る。
目の前にはお城のように立派な建物が見えている。
「……もしかして、あれが妃宮なの?」
「そう、第一妃宮だ。
母上と正妃ローラが住まう場所だからな。
宮廷の次に大きな建物だ」
私は呆気にとられながら、キーファーに背中を押されて足を動かした。
第一妃宮の門番たちが、緊張した面持ちで敬礼をする。
彼らの間を通り抜け、第一妃宮に私は足を踏み入れた。
宮廷と大差ないほど豪華な作り。
広いロビーには調度品や肖像画などが並ぶ。
天井には大きなシャンデリアがあって、明かりを灯していた。
「なんで昼間から火を付けてるのよ……」
「広いからな。明かりがないと暗くて顔が見えん」
良く見ると、窓の数が少ない。
一階はどうやら外敵対策なのか、窓を少なくしているようだ。
そのせいで屋内が暗いんだな。
ロビー正面の大階段を登っていき、第一妃宮の五階に到着する。
廊下を歩いて行くと、従者や使用人たちが作業の手を止めて私たちに頭を下げていた。
「人が多いわね、ここ」
「広いからな。当然、世話をする人間も増える」
廊下の突きあたりのドアをキーファーがノックした。
「母上、トリシアを連れて参りました」
ドアが開き、中から侍女がお辞儀をして告げる。
「奥でお待ちです」
キーファーが頷くと、私を連れて室内に足を踏み入れた。
****
そこはどうやら、お義母様の私室らしい。
私の部屋の四倍くらいありそうな部屋のリビングで、ソファに老婦人が一人座っていた。
煌びやかなベルベットの青いドレス、大粒の宝石をあしらった宝飾品に身を包み、『これでもか』と地位をアピールしていた。
扇子で顔を隠した老婦人がキーファーを見て告げる。
「精霊巫女トリシア、だったかしら」
「はい、母上。
本日ウィンコット王国より帰還いたしました。
あちらで婚姻契約も済ませております」
老婦人――お義母様が扇子の向こうで頷いた。
「トリシア、私がキーファーの母、ヘレンよ。
あなたの噂は『色々と』耳にしてるわ」
私は笑顔で応える。
「初めまして! トリシアです、お義母様!
帝国は初めてなので、失礼をするかもしれませんが、その時は遠慮なく叱ってくださいね!」
お義母様、そしてキーファーが目を見開いて私を見つめて居た。
「……あなた、自分が何を言っているか理解しているの?」
私はきょとんとしてお義母様の顔を見つめ返した。
「何って……『初めまして』の挨拶ですよ?
何もおかしなことはないと思いますけど」
お義母様が顔を隠しながら眉をひそめた。
「噂通り、『出来損ないの公爵令嬢』というのは本当みたいね。
作法も礼儀もなってない。本当にこんな子を妃にするの? キーファー」
キーファーが咳払いをしてから応える。
「帝国の耕作力を上げるためにも、彼女の力は必要です。
ウィンコット王国に対しても有利に働きます。
彼女の扱い次第で、大きな戦いを避けつつウィンコット王国を落とすことも可能です」
お義母様が怪訝な目付きで私を見つめた。
「そちらについても『出来損ないの精霊巫女』という噂を聞いてるけれど。
本当に帝国に実りをもたらすことができるのかしら。
――どうなの? トリシア」
私はニコニコと笑顔のまま応える。
「はい! それは精霊たちが保証してくれました!
少し時間はかかりますが、少しずつこの国は豊かになっていくと思いますよ?
――それより、そんな風に顔を隠さず、きちんと顔を見せてくださいませんか?
お義母様の顔がわからないと、話しづらいんですけど」
お義母様が軽く咳払いをして告げる。
「……まず、最初に言っておくわ。
私のことは皇太后陛下とお呼びなさい。
あなたと私は格が違うの。
それをきちんと弁えなさい」
私は小首をかしげながら応える。
「でも、お義母様はお義母様ですよね?
今は家族しかいない訳ですし、位で呼ぶ必要はないのでは?
それとも、お義母様は私のことが嫌いですか?」
お義母様が顔をそらしてため息を漏らした。
「好き嫌いの問題ではないと言っているのだけれど。
言ってもわからないとか、あなたの家はどんな教育を施していたのかしら」
私は楽しくなりながらお義母様に応える。
「はい! 最初はまともに講義を受けさせてもらえました!
でもあまりに覚えが悪いので、すぐに講師が私を見放しまして!
それからは形だけの講義を受けてたんですよ?」
キーファーが戸惑うように私に尋ねる。
「トリシア、母上のおっしゃるように少し控えろ。
なぜそれほどグイグイと前に出るんだ」
私はキーファーに振り向いて応える。
「だって、精霊たちが楽しそうにお義母様の周りを舞ってるんです。
精霊たちって、優しい人が大好きなんですよ。
あれほど精霊たちに好かれる人なら、きっと仲良くなれると思って」
私の目には、お義母様が多くの精霊たちに囲まれてるように見えた。
その中には帝国の精霊たちも多く混じってる。
精霊たちの笑い声を聞くと、私もついつい頬が緩んでしまう。
ニコニコしている私を、お義母様は呆気に取られて見つめていた。
「……あなた、本当に精霊が見えるの?」
「はい! なんせ精霊巫女なので!
小さい頃から、ずっと見えてました!
今でも大切な友達です!」
お義母様が戸惑うように尋ねてくる。
「精霊たちは、何かを言ってるの?」
「今は笑い声だけですね。
聞いてもきっと、お義母様の秘密は教えてくれないと思います。
精霊たちって、大好きな人の秘密は決して言わないんです」
お義母様の目から力が抜けていった。
「そう……私はそんなに精霊に好かれているの?」
「これだけ好かれている人は、ウィンコット王国でも見たことがないですよ?
私以外に精霊たちが懐く人なんて、初めて見たぐらいです。
きっとお義母様は、この国のために色んなことを経験してこられたのですね」
お義母様が扇子を下ろし、微笑んで告げる。
「――トリシア、今後あなたには『お義母様』と呼ぶことを許します。
何か困ったことがあったら、いつでも相談にいらっしゃい。
私にできることなら手を回してあげます」
「ありがとうございます!
どうにもならなくなったら、その時はお願いに来ますね!」
私はお義母様と微笑み合った。
キーファーは私たちを見て、呆然とした顔をしていた。