5.いざ宮廷へ
宮廷に着くと、キーファーと共に馬車を降りる。
宮廷の入り口では騎士たちが左右に居並び、剣を掲げて道を作っていた。
キーファーが私の背中を押しながら、悠々とその道を通り抜けていく。
私は戸惑いながら、周囲を見回しつつ足を動かした。
騎士たちは、みんな緊張した面持ちだ。
キーファーが私に告げる。
「これはお前を歓迎するセレモニーだ。
騎士たちが掲げる剣は、『お前に剣を捧げる』という意味を持つ。
トリシアよ、お前は正式に帝国の妃として迎えられているのだ」
「急にそんなこと言わないでよ?!
緊張してくるでしょう!」
キーファーが楽しげな声を上げる。
「他の妃も受けた歓迎だ。気にすることはない。
――お前の部屋も用意させてある。
まずはそこへ案内しよう」
大きな正門を潜り抜け、私たちは赤い絨毯が敷かれた広い廊下を進んでいった。
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私が案内されたのは、宮廷から渡り廊下を経た三階建ての建物だった。
「ここがお前の妃宮だ。
狭いが我慢しろ」
いや、狭いって……公爵邸並に大きいんですが。
「こんな大きな建物を、私一人が使うの?
何に使うのよ?」
「日常生活に必要な設備と、客を迎える設備。
子供が生まれれば、子供部屋も妃宮に作られる。
それを考えれば、窮屈だと思うがな」
――子供。
その一言で、思わずキーファーから距離を取った。
私の様子を見て、キーファーがクスリと笑った。
「どうした? 妃なら当然、子供を産むのが務めだ。
それがわからん年齢でもあるまい」
「……私は子供なんて、作る気ないからね!」
「珍しい奴だな。
妃宮において子供の有無は大きな違いになる。
お前の影響力が乏しいままになるが、構わんのか」
そりゃあ、後継ぎを生めば母親の発言力は増すだろうけど。
『長女が生まれたらウィンコット王国に引き渡せ』なんて言われて、ホイホイ子供を作れるか!
私がムスッとしていると、キーファーが楽し気に告げる。
「まあいい。お前はまだ若い。
今すぐ子供を作らずとも、周囲も許してくれるだろう。
――だが、今夜はお前の部屋に行く。意味は分かるな?」
私はゾッとして自分の体を両腕で抱きしめた。
そんな私を、キーファーは楽し気に見つめている。
「今夜のお前がどんな反応をするのか、楽しみだよ」
「――私は! 全く楽しみじゃありません!」
楽し気な笑い声をあげながら、キーファーが妃宮に入って行く。
私は彼と慎重に距離を取りながら、その背中について行った。
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大きな階段を上り切り、三階の一部屋に辿り着く。
大きな窓、広いオープンスペースのリビング、隣り合ったダイニングスペース。
奥のドアの向こうには、天蓋付きのベッドも見えている。
壁にはバラを描いた壁紙が敷き詰められ、調度品も公爵家より格式の高そうなものが揃っていた。
侍女が十人ほど壁際で待機する中、キーファーが私に告げる。
「ここがお前の私室だ。
しばらくは実家から持ってきた衣服で過ごせ。
すぐにお前のドレスも新調してやる」
「そんな、国家が苦しい時にドレスなんて新調する必要はないわよ」
「わかっていないな。
第三側妃とはいえ、お前は俺の妻だ。
そんな女がみすぼらしい恰好をしていれば、皇室の名誉に傷がつく。
ドレスが用意でき次第、お前を歓迎する夜会も開く。
公爵令嬢なら、その程度は慣れておけ」
私は口の中でぶつぶつと呟く。
「そんなこと言われても、夜会とかほとんど参加しなかったし……」
『公爵家の恥』と呼ばれた私は、社交界に出ても笑い者にされるだけだった。
だから自然と社交界から距離を取り、家と聖教会を往復する毎日になっていった。
そんな私に『社交界に慣れろ』とか言われても、無理難題というものだ。
キーファーがため息をついて告げる。
「ともかく、すぐに一番マシなドレスに着替えろ。
今、お前の荷物を運びこんでくる。
まずは母上に挨拶をせねばならんからな」
私はきょとんとして尋ねる。
「お母さん? キーファーの?」
「ああそうだ。母上は皇太后として第一妃宮に住まわれている。
敵に回すと厄介だぞ?
母上の影響力は、未だ社交界で根強いからな」
うぇ~、面倒な人を相手にしないといけないのか。
仲良く……は無理でも、せめて嫌われないようにできればいいんだけど。
憂鬱な私の肩をキーファーが叩き「まぁ頑張れよ」と言い残して去っていった。
私はため息をついて、リビングのソファに腰を下ろした。
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私の荷物がどんどん運び込まれて行き、侍女たちがドレスを確認していった。
「……どれも酷いですね。トリシア殿下は本当に公爵令嬢だったのですか?」
「それを言わないで……。自分が惨めになるから」
まともなドレスなんて、作ってもらったことはなかった。
私はいつもリンディの引き立て役。
敢えてみすぼらしい格好をさせて、私を笑い者にすることで周囲は楽しんでいるようだった。
私を蔑むリンディの顔が浮かぶ――彼女、今頃はどうしてるんだろう。
優秀な妹だったけど、これから苦境を迎えるウィンコット王国の王子妃になるんだよなぁ。
国民からの反感を一番受けそうな立場だ。
なんせ『精霊巫女の妹』なんだから、国が荒廃すれば民衆は彼女に救いを求める。
その時に何もできなければ、彼女に対する好感度は下がる一方だろう。
そんなことを考えていたら、侍女たちが私の着替えを終わらせていた。
姿見で確認を取る――うん、まぁいつも通りの私だ。
リネンのドレスの中でも、装飾が施されているだけマシに見える。
「申し訳ありません。
せめて何か宝飾品を追加できれば良いのですが」
そんな物、私の持ち込んだ私物にはほとんどない。
せいぜい銀のシンプルなアクセサリーがあるだけだ。
私は笑いながら応える。
「気にしないで! アクセサリーだけ豪華でもみっともないし!
今はこれで通すしかないわよ!」
私の笑顔で、侍女たちの緊張がほぐれた気がした。
怒られるとでも思ったのかなぁ?
「えーと、それじゃあ私はどうしたらいいのかしら?」
「はい、時間が来れば陛下が迎えに来られるかと」
「そう? それじゃあリビングでお茶でも飲ませてもらうわね」
私は軽い足取りでクローゼットを出てリビングのソファに座る。
私は紅茶の給仕を受けながら、侍女たちに気さくに語りかけていった。
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ウィンコット王国では、華やかなお茶会が開かれていた。
パトリック王子とリンディが開く、定例茶会だ。
有力貴族たちだけを招いたこのお茶会は、参加することがステータスとなる。
参加者たちは優越感を顔に溢れさせながら、パトリックやリンディと言葉を交わしていった。
「ところで、あの『出来損ない巫女』は今頃どうしてますやら」
リンディが鼻を鳴らして応える。
「トリシアなら、いままで通りじゃないかしら。
あんな子に皇帝の妃なんて務まる訳がないのよ。
せめて公爵家の家名に泥を塗らないようにして欲しいものね」
「まったくですな! ハハハ!」
一方でパトリック王子は憂いた表情を見せていた。
国内で上がってくる不作の報告が増えている。
帝国からの支援は、もうしばらく時間がかかる。
このままだと民衆の暴動が起こりかねなかった。
今はなんとか『近いうちに帝国の援助がある』と布告して不満を抑えているが、いつまで持つか。
「パトリック殿下、どうかなさいまして?」
リンディの言葉に、パトリック王子が顔を上げた。
「――いや、なんでもないよリンディ」
リンディは国内の様子など興味が無いようだ。
彼女の興味は社交界のみ――貴族社会にしか目が向いていない。
王子妃として、それでいいのだろうか。
そう考えるも、パトリック王子自身、何ができる訳でもなかった。
微笑みを顔に張り付けたパトリック王子は、貴族たちとの噂話に参加していった。
――せめて、今くらいは憂鬱なことを忘れてしまおう。
トリシアの無様な姿を想像して笑い合い、虚しい時間が過ぎていった。