4.俺の心は俺のもの
宿屋を出て、私はキーファーと馬車に乗りこんだ。
さすが皇帝が長旅をする馬車だけあって、大きくてゆったりと座れるソファまで付いている。
中央にはテーブルがあり、まるで小さな部屋が動いてるみたいだ。
私はキーファーと二人きりで馬車に乗り、侍女たちの乗る馬車が後ろに続く。
騎士たちは馬に乗って、馬車の周囲を護衛していた。
王都市民の視線を受けながら王都の外に出ると、そこには帝国軍らしき軍隊が待機していた。
私たちの乗る馬車を前後から挟み込むように軍隊が隊列を組み、ゆっくりと進んでいく。
「凄いわね……何人連れて来てるの?」
「五千だ。一応は友好国という体裁だしな」
「……友好国を訪れるのに、五千人も兵士が必要なの?」
キーファーがニヤリと微笑んだ。
「俺の命を狙う奴は国内外に居る。
この程度はどうしても必要になる」
私は呆気に取られてしまった。
「国内もって……誰が命を狙うのよ」
キーファーが鼻を鳴らして応える。
「兄上だ。未だに皇位相続に納得していないらしくてな。
父上が病床で『俺に皇位を譲る』と言わなければ、面倒にはならなかったんだが」
「お父さん、病気だったの?」
キーファーが頷いて応える。
「ああ、心臓の病だ。
『兄上が毒を盛った』という奴も居るが、真相は定かじゃない。
父上亡きあとは俺が国を率いて、周辺国を平定していった。
忙しい三年間だったよ」
私は思わず声を上げる。
「ええ?! たった三年で周辺国を攻め落としたっていうの?!」
「領土問題で揉めていたからな。
放置しておけば攻め込まれる。
だから先手を打って攻め落とした。
そのうち二国から妃を取り、側妃としている」
「……キーファー、何歳なの?」
「俺か? 二十五だ」
ってことは、二十二歳で皇位を継いで皇帝になったのか。
とんでもなく若い皇帝なんじゃない?
でも、たった三年で三か国を攻め落としたんだから、きっと優秀な軍人なのだろう。
……ん?
「ということは、キーファーは私より九歳も年上なの?」
「そういうことになるな。
妃の中では、お前が最年少だ。
他の妃は二十前後、せいぜい仲良くしておけ」
できるかなぁ……私、貴族と仲良くなるの下手だしなぁ。
「側妃は国外の人って言ったけど、じゃあ正妃はどういう人なの?」
「国内の有力貴族の令嬢だ。
以前からしつこく言い寄られてうんざりしていたんだがな。
皇位を継ぎ、国内を安定させるのに必要だから婚姻した。
おかげで兄上の牽制もできているが、縁を切れるなら切りたいところだ」
私はため息交じりに告げる。
「あなたねぇ……妻に対してそれは酷いんじゃない?」
「仕方あるまい。『馬が合わん』という奴だ。
お前とは別の意味で我が強くてな。
俺を自分の意のままにしようとしてくる。
それが気に食わん」
私は脱力しながら応える。
「私を意のままにしようとしてるキーファーが言っても、説得力がないわよ」
キーファーがニヤリと微笑んだ。
「俺の心は俺だけのものだ。
他の誰かの思う通りになどさせるものか。
そして俺は皇帝として、手に入れたものは必ず服従させてみせる」
だめだこりゃ。似たもの夫婦って奴?
もしかしたら同族嫌悪って奴かもしれない。
お互いがこんな認識でいたら、夫婦の関係なんて冷めきってそうだなぁ。
その後も私はキーファーから、帝国の情報を少しずつ教わっていった。
****
一か月ほどの旅程を経て、私たちはクロムエル帝国の帝都グロスティンに辿り着いた。
ウィンコット王国の王都とは比べ物にならない大きさに、私は度肝を抜かれていた。
これ、王都が三つくらい中に入るんじゃない?
帝国軍の行軍を、民衆が旗を振って声援を送る。
その声は私が乗る馬車にも向けられているようだった。
「キーファー、人気者なの?」
「民衆は強い統治者を好む。
三年で三か国を平定した俺は、相応に民衆の支持を得ている。
尤もそれは、一度の敗北で全て失われる程度の脆いものだがな」
なんだか皇帝も大変なんだな……。
気苦労が多そうだ。
窓から外を覗くと、私の顔を見た民衆がさらに声を大きくした。
びっくりして窓から下がった私に、キーファーが楽し気に告げる。
「お前のことも、民衆は待ち焦がれているぞ」
私は振り向いて小首を傾げた。
「どういうこと? どうして私を待つの?」
「『ウィンコット王国の精霊巫女が豊作を与える』という話は、この国にも伝わっている。
三年間戦争続きだった我が国も、台所事情が豊かとはいえない。
疲弊した民衆は、お前が豊作をもたらすことを願っているのさ」
私は眉をひそめて応える。
「私にそんな力なんてないんだけど?
それに疲弊した帝国が、ウィンコット王国に支援なんてできるの?」
「当面は問題がない。
だがお前が豊作をもたらさなければ、いずれ融通する資源がなくなる。
他国より国内が優先なのは言うまでもないだろう?」
私はため息をついて精霊たちに尋ねる。
「ねぇ精霊さん、私にそんな力なんてあるの?」
『心配要らないよ! この国はすぐに豊かになっていくから!』
「え? なんで?
だってこの国には精霊樹がないじゃない。
どうやって豊かにするのよ?」
『精霊たちがこの国に集まってくるからね!
正確には精霊巫女の傍に精霊が集まってくるんだ!
逆にウィンコット王国からは、精霊がどんどん居なくなるよ!」
それって、王国がさらに苦しくなっていくってこと?
私は眉をひそめて精霊に尋ねる。
「大丈夫なの? それって」
『トリシアがこの国に来た以上、後戻りはできないよ!
仲間たちも少しずつこちらに移動してくるころだから!』
どうやら、どうにもならないらしい。
精霊樹に存在を捧げなくても、精霊が居るだけで豊かになっていくってこと?
私が頭を抱えてると、ふと普段の精霊たちとは違う色の光の玉を見つけた。
「あなた、見かけない子ね」
『初めまして! 私は帝国の精霊よ!
あなたが精霊巫女なのね!
傍に居ると、とっても元気になる気がするわ!
まるで精霊王様の傍に居る時みたい!』
「帝国にも精霊が居たの?」
光の玉がクルンと舞った。
『勿論よ? ウィンコット王国ほどじゃないけど、帝国にも精霊は住んでいるわ。
そうでなければ、この国の土地が不毛の大地になってしまうもの』
その言葉に、なんだか嫌な予感がした。
「ねぇそれってまさか、ウィンコット王国はこれから――」
『そうよ? これから精霊が居なくなると、不毛の土地が広がっていくわ。
でも自業自得ね。精霊巫女をないがしろにしてきたのだから。
精霊樹の契約に頼り過ぎて、欲張り過ぎたばちが当たったのよ』
私は小首をかしげて精霊たちに尋ねる。
「頼り過ぎって、どういうことなの?」
他の精霊たちが私に応える。
『精霊樹は本来、苦しいときに力を貸してくれるだけの存在なんだ。
でもウィンコット王国は契約を悪用して、必要がない時もその力を使っていたんだよ』
『歴代の精霊巫女も、僕たちの姿が見える子は居なかったの。
トリシアみたいに心を痛めてくれる巫女が、今まで居なかったのよ』
そうなのか……大丈夫かな、ウィンコット王国。
キーファーが楽し気に微笑んで告げる。
「精霊たちとの会話か? どういうことか、俺にも教えろ」
「え?! えーと……とりあえず、あなたの目的は果たせそうかなって」
私は視線をそらしながら言葉を濁した。
全てを教えると、キーファーはウィンコット王国を切り捨ててしまいそうだ。
お荷物になるとわかって、放置するような人じゃないと思うし。
キーファーが鼻を鳴らして笑みをこぼした。
「そうか、この国に実りをもたらすなら結構だ」
……どうやら、納得はしてくれたかな?
私たちを乗せた馬車は、帝都をゆっくりと行軍しながら宮廷へと向かっていった。