32.コール
ベレーネさんが連れていかれ、部屋に静けさが戻った。
お義母様がゆっくりと口を開く。
「これで、キーファーの妃はトリシアだけになってしまったわね」
キーファーが余裕を持った笑みで応える。
「正妃たるトリシアが残っていれば、何の問題もありません。
ウィンコット王国の攻略も終わり、憂いはなくなりました。
シュタインバーン王国とフェルランド王国はしばらく監視が必要でしょうが、大した問題でもない。
王族の抹殺をもって国家を解体するだけの話です」
お義母様が頷いて私を見た。
「トリシア、わかっているわね?
あなたには帝国の、キーファーの嫡子を生んでもらいます。
もう『長女を引き渡したくない』なんて言い訳は通用しないわよ?」
私は躊躇いながら応える。
「……それは理解しています。
でも、シャイナさんとベレーネさんの件が終わるまでは待ってもらえませんか」
お義母様が小さく息をついた。
「仕方ないわね。それくらいは待ってあげます。
――キーファー、わかっているわね?」
「ええ、母上。
速やかに事を運びましょう。
俺のトリシアを暗殺しようとした輩に、かける情けは有りません」
私はため息交じりで告げる。
「ねぇキーファー、お義母様の前でくらい皇帝らしくしなよ。
『俺のトリシア』って、もしかして無意識で言ってる?」
「いや? わかって言っているが」
「――少しは自重しなさい!
こっちが恥ずかしいでしょ!」
「お前も『私のキーファー』と言っても構わんぞ? 許す」
「誰が言うか!」
お義母様がクスクスと笑みを漏らしながら告げる。
「やっぱりトリシアはたくましいわね。
あなたなら、この帝国の皇后としてもやっていけるでしょう。
――でも、作法と教養は勉強して頂戴」
私は顔をしかめながら応える。
「え~?! 苦手なんですよ、それ!
小さい頃からまるでできなかったんですから!」
キーファーが微笑みながら告げる。
「こんな皇后が居てもいいでしょう。
トリシアがそこらの貴族令嬢のように気取ってしまったら、俺の愛が覚めてしまいそうだ」
お義母様が苦笑交じりで応える。
「あなた、トリシアがそんなに大切なの?」
「もちろんですとも。疑う必要などないくらいに」
私は顔が熱くなるのを自覚しながらキーファーに告げる。
「だから! 恥ずかしいことをお義母様の前で言わないで!」
「では二人きりの時に思う存分囁いてやろう。
夜を楽しみに待っているといい」
「何も分かってないな?! そういうことを言うな!」
お義母様が楽し気に笑い声を上げた。
私も照れ笑いをしながら頭を掻く。
キーファーは満足そうに微笑んでいた。
こうして、後宮における一連の事件は幕を閉じた。
****
数日後、ベレーネさんが処刑されたらしい。
『しかるべき処置』がなんなのか、それは怖くて聞けなかった。
フェルランド王国から呼び寄せた王族も、全員処刑されたそうだ。
さらにしばらくして、シャイナさんの処刑が行われたとキーファーから聞いた。
令嬢たちは無事に解放され、シュタインバーン王国に戻されたそうだ。
彼女たちを脅迫していた王族は、シャイナさんと一緒に処刑された。
これで両王国は王族を失い、帝国の一領地へと変わることになる。
シャイナさんとベレーネさんの一件が片付くまで、キーファーは私と添い寝をし続けてくれた。
……仲良くなれると思ってたんだけどなぁ。
妃同士が仲良くするなんて、できないのかなぁ。
悩んでいる私を、キーファーは優しく抱きしめてくれた。
彼に抱きかかえられていると、暗いことを考えなくて済む自分を見つけた。
安らぎを感じる場所が、ここにはある――。
私はキーファーの匂いに包まれながら、穏やかな夜を過ごしていった。
事態が終結して一週間後、キーファーが私に告げる。
「少し遅れたが、戦勝の夜会を開く。
騎士たちに報償を与えねばならんしな。
トリシアも皇后として参加しろ」
「うえぇ~、強制参加~?!
故郷を攻め落としたお祝いをするとか、複雑な気分なんだけど!」
キーファーがクスリと笑みをこぼす。
「安心しろ、戦死者は一人もいない。
統治者が変わっただけだ。
祝うのに支障が出ることはない」
うー、それならまだ、お祝いしてもいいかなぁ?
キーファーが私の額に優しく口付けをしていく。
……なんか、遠征前より甘えん坊になってないか?
****
戦勝夜会の当日、私は白いドレスに身を包んでキーファーの隣に立っていた。
功労者の表彰が始まり、キーファーが一人で壇上に向かっていく。
キーファーが名前を読み上げると、貴族が一人ずつ前に出てきて報償を告げられていく。
――おや? なんだか今夜の貴族たちは、少し空気が緩んでるような。
私は傍にいるスコットに尋ねる。
「ねぇ、どうしてみんなリラックスしてるのかな」
スコットが微笑みながら小声で応えてくる。
「皇帝陛下の空気が普段より柔らかいからですよ。
トリシア殿下が傍におられると、陛下の空気が目に見えて変わります。
それで皆がリラックスして見えるのでしょう」
あー、そういうことなのか。
そういえば最初にあったころのキーファーは、もっと冷たくてトゲトゲしてる感じだったしなぁ。
厳しい所は相変わらずだけど、最近は妃宮の外でも微笑むことも増えてきた気がする。
表彰式を終えるとキーファーが私のところに戻ってくる。
その顔にはやっぱり微笑みが浮かんでいた。
……私を見るだけで微笑むとか、皇帝としてどうなんだろう?
皇帝の在り方に悩みながら、キーファーを迎える。
「浮気などしていなかっただろうな」
「こんな短時間でできるか!
そもそも浮気なんてするか!」
笑い声を上げるキーファーを、貴族たちが微笑みながら眺めている。
……まぁ、宮廷の空気が柔らかくなるならこれでもいいか。
「トリシア、ワルツは踊れるようになったか」
「前から踊れますー! 下手なのは変わらないけど!」
キーファーが小さく息をついた。
「少しは上達しておけ――では行くか」
私たちはワルツの輪に混ざり、白い花を咲かせていった。
****
夜会が終わり、キーファーと一緒に第一妃宮に戻ってくる。
入浴してナイトガウンに着替え終わったキーファーが、ベッドルームで待つ私に告げる。
「そろそろ心の準備はできたか」
私はベッドに腰かけ、躊躇いながら応える。
「それは……まぁ、一応」
キーファーが私を抱きかかえ、ベッドの中央に降ろした。
「では――本当の夫婦になるとしようか」
私は火照った顔を持て余しながら応える。
「え?! もう?! もう少し待つとか――」
「その時間は充分に与えたはずだ。
お前も正妃なら、決める時はきちんと決めてみせろ」
私はキーファーから目を逸らしながら応える。
「えっと……じゃ、じゃあ、お手柔らかにお願いします……」
「心配せずとも、無理強いはせん」
キーファーの顔が近づいてきて、私たちは初めての口付けを交わした。
****
ベビーベッドで眠る息子を眺め、キーファーが微笑んでいた。
「やはりお前によく似ている子だな」
私は二歳になる長女を抱きかかえながら応える。
「えー、そう? 目はキーファーそっくりだと思うけど」
キーファーが息子を抱きかかえながら告げる。
「お前が帝国を継ぐ男だ。大きく、強くなれよ」
「キーファー、赤ん坊に言ってもわからないってば」
彼の視線が、私の胸で眠る長女に移る。
「それで、精霊巫女の力はどうなったんだ?」
「んー、まだわからないよ。
六歳前後になってからじゃないかな。私がそうだったし。
この子が次の精霊巫女になったら、私は精霊たちを見る力を失っちゃう。
――そう思うと、少し惜しいかも」
今も部屋中に漂う光の玉。
小さい頃から見てきた精霊たちを、いつかは見ることができなくなってしまう。
キーファーが考えこむように口を開く。
「……お前が精霊巫女の力を失うと、ウィンコット王国の復興に支障をきたすな」
「この子が巫女になると決まったわけじゃないし、今からお願いしておけば精霊たちは頑張ってくれると思うよ?」
今は精霊たちにお願いして、定期的にウィンコット王国に滞在してもらっている。
精霊たちが戻ったウィンコット王国は、不自然な長雨や日照りがなくなったそうだ。
だけどすぐに戻ってきてしまうので、収穫はあまり安定しないみたい。
あの地に精霊が根付くまで、まだ数年はかかるだろう。
目を覚まして泣き出した赤ん坊たちを、私たちは慌ててあやしていく。
二人で赤ん坊を抱きかかえながら泣きやませ、安堵して一息つく。
「……赤ん坊を育てるのって、大変だね」
「なに、これも経験だ。
無理をせずとも乳母も居る。
疲れたら交代すればいいだけだ」
うーん、権力者の特権。
いつかはこの子たちが大きくなって、この帝国を背負っていく。
――背負える子になるよう、教育していかないと!
「この子たちはどんな子になるかな? キーファーみたいになるかな?」
「案外、トリシアみたいな子供になるかもしれんぞ?
なんせお前の子供だからな」
「キーファーの子供でもあるっちゅーの!
どっちの個性が強いか、勝負よ!」
キーファーが微笑みながら「その勝負、乗った」と応えた。
――この結果がわかるのは数年後。
私はその日が来るのを楽しみにしながら、子供たちの顔を見つめた。