3.旅の食事
汚れたリネンのドレスをはたいて、土埃を落とす。
……このドレスでベッドに入っても大丈夫なのかなぁ?
「ねぇ精霊さん、外の様子はどうなってるの?」
『扉の外には見張りが二人、窓の下にも見張りが居るよ』
ということは、逃げ出す道はないか。
仕方なくベッドに倒れ込み、ぼんやりと天井を見上げる。
帝国第四皇妃か。キーファーは『既に我が妃』って言ってた。
婚姻契約はもう終わってるってことだ。
十六歳で婚姻とか、実感が湧かない。
その相手がキーファーだなんて、それも実感がなかった。
……最初は冷たい人に見えた。
だけど、食事の間はよく笑っていたっけ。
私が口答えをしても、力で脅してくる事も蔑むこともなかった。
実の家族より、よっぽど人間として扱われたような気がする。
そんな人が夫か。
帝国の妃とか、私に務まるのかな。
それに他にもいる三人の妃――彼女たちとも、巧く関係を築けるのかな。
……逃げ出せれば一番良いんだけど、キーファーがそれを見逃すとも思えない。
私はため息をついて寝返りを打った。
夜中にこっそり逃げ出した私を、たった一晩で追い詰めた人。
きっとやり手なんだろうなぁ。
逃げ出せないなら、彼の傍で生きて行く道を探さないといけない。
自分が幸せになるために、どうしたらいいんだろう。
「ねぇ精霊さん、私はどうしたらいいと思う?」
光の玉が私の周囲を舞う。
彼らも、これからどうしたらいいのかわからないみたいだ。
もう一度ため息をついた私は、毛布に潜り込んで目を閉じた。
疲れていた私は、ストンと意識を手放していた。
****
翌朝、ドアのノックで目を覚ました。
「――トリシア殿下、トリシア殿下。起きておられますか」
私は重たい体を起こし、ふらふらとドアに近づいて応える。
「はい、起きてますが何か」
「間もなく朝食の時刻です。
食堂に下りられてください」
「わかりました」
うーん、顔を洗おうにも水場は部屋の外か。
ちょっと恥ずかしいけど、仕方がない。
私はドアを開け、外に居る騎士たちに尋ねる。
「あの、タオルはありますか? 顔を洗いたいのですけど」
騎士が笑顔で頷いた。
「すぐにお持ちします。
少々お待ちください」
なんだか嬉しそうな顔で騎士は一階に下りていった。
残った騎士に尋ねてみる。
「なんだか、騎士の方々の態度が変わりました?
何かあったのですか?」
「トリシア殿下が陛下に逆らってまで我々をかばったからですよ。
陛下に逆らえる人間は、帝国内にはおりません。
逆らえば命がない――そういうお方ですので。
その陛下に逆らった殿下を、我々は見直したのです」
「見直した、ですか。それまでどういう目で見られていたのかしら?」
騎士が言いづらそうに視線をそらした。
「その……『ウィンコット王国の出来損ない令嬢』と。
噂には、そのように聞いておりました。
ですが殿下のお心は、貴族として恥ずかしくない尊きもの。
そんな殿下を噂だけで判断していた自分たちを、恥ずかしく思うくらいです」
私は笑みをこぼしながら応える。
「大袈裟よ、私は間違いなく『出来損ないの公爵令嬢』ですもの。
作法も教養もまるで足りない、精霊巫女としても出来損ないよ。
失うものがないから怖いものがないだけ。
下手に期待されても、応える力なんてないわよ?」
「そうでしょうか? 我々には、決してそのようには見えませんでした。
陛下に毅然と物を申し上げるそのお姿、実に立派でしたよ」
なんだか褒め殺しにあってる気分だ。
戻ってきた騎士が駆け寄ってきて、笑顔で私にタオルを手渡してくれた。
「水場へご案内します」
「あら、ありがとう」
騎士に案内され、私は二階の水場へと足を向けた。
****
顔を洗い終わった私は、一階の食堂に下りていった。
キーファーは既に席に座って、料理を前に黙って待っていた。
「おはようキーファー。よく眠れたかしら?」
「少し体がかゆい。ノミが多いな、庶民の宿屋は」
「あら、それは大変ね。
今度から精霊を貸してあげましょうか?
彼らにお願いすれば、ノミ退治くらいはしてくれますわよ?」
キーファーがフッと笑って応える。
「随分と便利なのだな、精霊魔法とやらは」
「魔法と言われると、ちょっと違うかしら。
お願いをすると力を貸してくれるだけよ。
小さな力なら、私の力を使わなくても大丈夫なの」
椅子に座り、朝食を眺める。
焼き立てのパンと野菜のスープ、それに卵料理だ。
「冷める前に頂いてしまいましょう?」
「ああ、そうだな」
昨日とは味付けが違うスープを味わいながら、焼き立てのパンを口に入れる。
ふんわり香ばしいパンを堪能しながら、卵料理にも手を出す。
ふと見ると、キーファーの手が止まっていた。
「どうしたの? 口に合わなかった?」
「いや、やはりお前は美味そうに食事をするものだと感心していた。
そこまで感情を表に出す貴族令嬢など、初めて見たのでな」
私は苦笑を浮かべながら応える。
「ええ、よく叱られたわ。
だけどポジティブな感情を表に出すくらい、構わないじゃない。
それに不都合がなければ、隠す必要なんてないと思うの。
あなたも美味しい時は美味しい顔をしてみたら?
食事がもっと美味しく感じられるわよ?」
キーファーがパンを一かじりして応える。
「……これにそこまで喜ぶのは、俺には難しいな」
「まぁ、贅沢ね。
こんなに美味しい食事のどこに不満があるのかしら」
「普段から口にしている物と格が違うからな。
――だが、不思議とお前と一緒に食べていると、それなりに美味く感じる気がする。
庶民の食事だと言うのに、不思議なものだ」
「あら、それじゃあ私が調味料ということかしら?
そんな役目なら、務めてあげなくもないわよ?」
キーファーから、昨晩のような張り詰めた空気が薄れていた。
どこか緩んだ空気で、彼も朝食を口に運んでいく。
周囲に居る騎士たちも、なんだか昨晩より空気が緩んでるみたいだ。
――うんうん、食事の時くらいゆったりしたいもんね。
私はキーファーと一緒に、穏やかな朝食の時間を過ごした。
****
私はキーファーの馬に乗せられ、一行は北に向かって進んでいった。
「ねぇ、なんで私がキーファーと相乗りなの?」
「お前を一人で馬に乗せていると、いつ逃げ出すかわからんからな」
うーむ、思考を読まれてる。
他人の考えを読むのが得意なのかなぁ?
朝、あれだけ緩んだ空気なら逃げ出す隙も生まれるかと思ったのに。
私はキーファーの腕に抱え込まれるように馬に跨っていた。
これじゃあ、逃げたくても逃げ出しようがない。
私が乗ってきた馬は、騎士の一人がロープで引っ張って連れてきている。
飛び乗って逃げるのも、無理があるかー。
「キーファー、どこに向かってるの?」
「王都だ。そこで馬車に乗り換える」
いよいよ逃げ道なしか。
私は肩を落としながら、馬の首を撫でていた。
****
夕方に王都に辿り着いた私たちは、そのまま王都で一番の宿に入った。
宿では帝国の侍女たちが待っていて、私は部屋でドレスを着替えていく。
自宅で着ていた部屋着になった私は、侍女たちに囲まれながらキーファーの部屋を訪れた。
侍女ドアをノックし、「失礼いたします。トリシア殿下をお連れしました」と告げる。
中から騎士が扉を開け、私だけを招いた。
広い部屋のダイニングテーブルにキーファーが座っていた。
「なんだ、随分とみすぼらしいドレスだな」
「放っておいて。私の普段着よ」
彼の向かいの椅子に腰を下ろすと、侍女たちが料理を配膳していく。
朝とは段違いに豪華な料理が並び、私は眩暈を覚えた。
「ねぇちょっと、これって王宮の食事並に贅沢じゃない?」
「そうなのか? この地方の名物料理だとは聞いたが」
手の込んだ肉料理や立派なサラダ、ふわりとバターの香りが漂うパン。
不作で苦しんでる今の王国じゃ、滅多に食べられないものだと思う。
この辺りではあまり食べられない海鮮スープを一口飲む――なにこれ?! 味が濃い!
驚く私を、キーファーが笑みをこぼして眺めていた。
「どうした、公爵令嬢がこの程度で驚いてどうする。
貴族の口にするものとしては、取り立てて珍しいものではあるまい」
「それは豊かだったころの話よ!
今は庶民が食べる物に苦しんでるのよ?
なのにこんな贅沢な料理を、宿屋で提供するだなんて」
「俺が皇帝だからだろう。
大方、王宮から食材の融通でもしたのだろうさ。
『王宮に滞在しないか』と再三誘われたが、それを断ったからな」
私は首をかしげて尋ねる。
「どうして断ったりしたの?」
キーファーがフッと笑って告げる。
「奴らはいけ好かない。
信用のおけない奴らだ。
奴らの懐で寝泊りすれば、余計な気を回さねばならん。
そんな手間を省きたかっただけだ」
うちの王族、どんだけ信用ないんだろう……。
まぁ、身柄を売られた私が言うことじゃないけど。
私は濃い味付けの夕食をなんとか食べながら、キーファーと言葉を交わしていった。
食事が終わるとキーファーが告げる。
「トリシア、お前はもう少し貴族の食事に慣れておけ。
そんなに不味そうに食われると、俺も料理が不味くなる」
「口に合わないんだから仕方ないじゃない!
こんなに濃い味付けじゃ、舌が馬鹿になるわよ?!」
キーファーがクスリと笑った。
「それでも、だ。
宮廷に入れば、これ以上の食事が出る。
俺と共に食事をする時は、きちんと美味そうに食って見せろ」
「……努力するわ」
食事を終えた私は、キーファーに「おやすみなさい」と告げて自分の部屋に戻った。