23.皇太后の招待状
最前線にいるキーファーは、兵站の余剰を進軍経路の領民に施しつつ進軍を行っていた。
領民たちは好意的で、食料以外の支援の手を申し出てくるほどだった。
それほどウィンコット王国の困窮は厳しいのだ。
領主たちも、帝国軍が無駄な戦いを避け施しを行いながら進軍する様子から、占領後の協力を申し出た。
ここまでは計画通りと言える。
計画では間もなく補給物資が届くはず――だが、補給部隊の到着が遅れていた。
まだ余裕はあるが、ここで一度足を止める必要がある。
悪天候の中、兵士たちを待機させれば士気と体力に関わってくる。
まだ帝国軍に分はあるが、予想以上の被害は覚悟しなければならないだろう。
厳しい目で地図を睨むキーファーの元に、伝令の兵士が姿を見せる。
「申し上げます! 補給部隊の到着は五日ほど遅れるとのこと!
物資も予定の七割ほどになるとのことです!」
キーファーがため息をついてから応える。
「帝国で何が起こっている?」
「はっ! トリシア殿下が帝国領に減税令を布告しました!
それに反発した領主たちが帝国議会で猛反発しております!」
――減税令? このタイミングでか?
補給部隊の出発が遅れたのも、物資が予定より少ないのも減税を見越してのことだろう。
だがトリシアが独断で減税令などを思いつくはずもない。
――敵対勢力が動き出したか。
かばってやりたいが、ここから帝都までは二週間以上かかる。
部下たちに戦線を任せるのも、当初より消耗が見込まれる今は苦しい。
キーファーが陣頭指揮を執り、士気を上げながら進むしかない。
「帝都に伝えよ。
『予定通りに兵站を維持せよ』と。
トリシアの責任は帰国してから問うことにする」
「――はっ! かしこまりました!」
伝令が本営テントから駆け出していく。
その背中を一瞥した後、キーファーが地図を見つめた。
もうじきデミトリ川に差し掛かる。
斥候の報告では、王国軍は川の向こう岸に布陣しているという。
それを蹴散らすのは、まだ問題ないだろう。
だが民衆に施しを与えながら進むには兵糧が不足する。
ため息をついたキーファーが側近に告げる。
「しばらくここで足を止める。
補給部隊が到着するまで、部隊の指揮を乱すな」
側近が礼を取るのを確認すると、キーファーは本営テントを後にした。
****
減税令を布告してから三週間が経過した。
今日も私は第一妃宮でベレーネとお茶を飲んでいた。
「減税令の影響はどうなってるの?」
ベレーネが困ったように微笑んだ。
「そうねぇ……帝国議会ではトリシアの責任を問う声が大きいわ。
尤も、それを言ってるのはヴェラーニ公爵派閥だけどね」
んー、やっぱそうなるか。
「他には何が起こってるの?」
「社交界でも、あなたの『正妃の資質』を疑問視する声が増えて来てるわ。
たぶん、噂を流してるのはシャイナね。
他にも前線に送る支援物資が滞ってるって噂も聞くわ。
皇帝陛下に影響が出てるみたい」
うへぇ、キーファーに迷惑をかけちゃってるのか。
「私、どうなっちゃうのかなぁ?」
「そうねぇ……皇帝陛下が不在の間は、責任を問われるだけで済むと思う。
だけど仮に戦争で敗北すれば、あなたは正妃の資格を剥奪されかねないわ。
勝利したとしても、帝国を混乱に陥れた責任は問われるんじゃないかしら」
キーファーが無事に戻ってくれば、豊作と彼の擁護で混乱は収まると思うけど。
それまで何もしないのも良くない気がするなぁ。
「私に今、何ができるかなぁ?」
ベレーネが困ったように微笑んだ。
「ん~、本来なら正妃として、社交界で自分の意見を表明していかないと駄目な局面ね。
でもあなたは社交界に不慣れだし、余計に状況が悪化するだけじゃ無いかしら」
「そっかー。そうだよねぇ」
ベレーネが時計を見て立ち上がった。
「ごめんなさい。今日はこの後、用事があるの。
これで失礼するわね」
立ち去るベレーネを見送ってから、私は宙に舞う光の玉に尋ねる。
「ねぇ精霊さん。ベレーネは最近どういう動きをしてたの?」
『んー、ちょっと前にシャイナと会ってたよ!
でも”自分は手を出さない”って言ってたわ!』
なるほど、そういうことか……。
私はキャサリンに振り向いて告げる。
「ちょっとお義母様のところに行ってくるわ」
「――え?! 皇太后陛下のところにですか?!」
「ええ、そうよ? 何か不思議なことがある?」
キャサリンが言い淀みながら応える。
「今この状況で、皇太后陛下は動きを見せられません。
殿下が独力でこの窮地を乗り越えるのを、きっと期待しておられます」
「んー、でも私一人だと難しいところもあるし。
少し知恵を借りてくるだけよ」
そう言って、私はお義母様の私室がある五階へと向かっていった。
****
皇太后ヘレンが、宮廷で大々的なお茶会を開くと布告した。
招待状は普段彼女が親密にしている者たちではなく、帝国議会で中立派を保つ貴族たちだった。
大きな派閥には属さず、帝国のためを思い指針を決める層だ。
数だけでいえば最大派閥と言える。
そんな彼らも、ヘレンからの招待状には首を傾げた。
このタイミングで中立派をお茶会に呼び寄せるメリットが見えないのだ。
元から彼らは帝国に忠誠を誓っている。
そんな彼らと言葉を交わして、今の帝国に変化が訪れるのか。
疑問には思うが断ることもできない。
ヘレンの開くお茶会は、百人近い貴族たちで賑わった。
だが肝心の主催者、ヘレンの姿が会場にない。
不思議に思う貴族たちの前に、一人の少女――トリシアが現れた。
悪評を充分に聞いている貴族たちが、一斉に顔をしかめる。
――さては、皇太后陛下の名前を使って我らを呼び寄せたのか。
心証は最悪――そんな状況でトリシアが微笑んだ。
「みなさん、騙し討ちみたいなことをしてごめんなさい。
今日は皆さんに、精霊巫女の力を知ってもらおうと思って。
お義母様に頼み込んで、招待状を出してもらったの」
相変わらず帝国皇后らしくない所作と言葉遣い。
トリシアを蔑む眼差しが彼女を貫いて行く。
それでもトリシアは微笑み続けた。
「まず、私に逆らうとどうなるか。それを見てもらいますね」
トリシアが突然、恐ろしいことを言いだした。
彼女が宙に向かい「お願い、精霊さんたち」と告げる。
何も起こらず、貴族たちから嘲笑が漏れ始めた。
トリシアが彼らに振り向いて告げる。
「笑ってる人たち、足元をもっとよく見てみたら?」
侮蔑の笑みを浮かべながら貴族たちが足元を見る――芝が完全に枯れていた。
会場にやってきた時、この会場は青々としていた。それは間違いない。
だがトリシアに気を取られている一瞬の隙に、見渡す芝が全て枯れていた。
呆然とする貴族たちは言葉を失っている。
トリシアが笑みを絶やさずに告げる。
「私に逆らったら領地がどうなるか、これでわかったかな?
ウィンコット王国の荒廃も、私が精霊たちを連れて帝国に来たからなの。
帝国の精霊たちを連れて私が他国にいけば、帝国も王国と同じ目に遭うわよ?」
――それでは、まるで脅しているようではないか。
『味方をしなければ領地を荒廃させる』と言っているに等しい。
戸惑う貴族たちの前で、トリシアが再び宙を見た。
「お願い、精霊さんたち――でも、無理はしないでね?」
貴族たちが慌てて足元を見る。
枯れていた芝が、見る間に青々とした姿を取り戻していく。
それどころか、くるぶしを覆うほどの長さにまで成長していた。
足元を見つめて言葉を失っている貴族たちにトリシアが告げる。
「精霊さんたちが頑張ってくれれば、このくらいの実りをもたらすことはできるんだ。
今のは十人の精霊たちに力を貸してもらっただけ。
帝国全土には、数えきれないほどの精霊たちが居る。
私は彼らに『お願い』をすることができるの。
――これで、減税をしても収穫高に問題がないことが理解できたかな?」
芝を手で触って確認する貴族たちもいた。
青々とした芝は肉厚で、まるで深い森の中で育ったかのようだ。
たった一瞬で枯れていた状態からここまで植物に力を与えられる。
精霊巫女の実力をまざまざと見せつけられていた。
トリシアが笑顔で告げる。
「味方をしてくれるなら、みんなの領地は実りがもたらされて領民の暮らしが楽になるのよね。
中立派なんて日和見してないで、エストラーダ侯爵に味方してくれないかな?
帝国議会が機能してないなら、議会を迂回して前線を支援して欲しいの。
その話し合いの場は、エストラーダ侯爵が都合をつけてくれるはずよ」
貴族の一人が固唾を飲んでから口を開く。
「……ヴェラーニ公爵派閥の領地は、いったいどうするおつもりですか」
トリシアが小首を傾げて応える。
「うーん、領民が生きていけないと困るから、最低限は保証したいんだけど。
雨が降る季節だっていうのに、公爵領では雨が一滴も降らないんだって。
不思議だよね~」
――しらじらしい!
農耕地にとって、雨季の雨は必須に近い。
それが途絶えれば収穫期の前に作物が枯れ果てる。
これは『お願い』という形の『命令』、貴族たちはそう理解した。
断れば領地の破滅が待っている。
彼らの顔を見渡したトリシアが、ニコリと無邪気に微笑んだ。