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21.ローラの直訴

 デミトリ川手前に布陣した本営テントの中、グローバス将軍が自軍の乱れた隊列を見てため息をついた。


 王宮の備蓄を放出してかき集めた二万五千の兵士。


 五千の王国騎士団も居るが、これでは指揮に応じるどころではない。


「雨天とはいえ、こうも足並みがそろわんとはな。

 しかも、雨天で布陣をすれば兵士たちの体力が削られて行く。

 困窮により士気は壊滅的。

 これで悪天候により体力が削られたら、数で勝ろうと勝ち目などあるものか」


 軍参謀が苦い顔で告げる。


「食料の備蓄を兵の招集に使いました。

 残った分を兵糧に回しても、二か月維持するのが限界かと」


 兵士たちも、家族に食料を与えるためだけに召集に応じている。


 その目的が果たされた今、命を落としてでも戦線を維持しようとする気概がある訳がない。


 逃げる隙を窺う兵士たちを見張るように憲兵や騎士団が目を光らせている。


 そんな彼らも、雨天での布陣では士気が落ちる一方だ。


 グローバス将軍がつまらなそうに鼻を鳴らした。


「陛下からは、まだ何の指示も届かんか」


「はい、伝令は送っているのですが……」


 既に結果は火を見るよりも明らか。


 こうなったら、早期に降伏して帝国軍を受け入れる方がマシだろう。


 『その交渉を行う権限が欲しい』と具申しているのだが、その返事が届かなかった。


「ウィンコット王国、五百年の歴史が途絶えるか。

 私たちは間の悪い時代に生まれたな」


「閣下、そのようなことをおっしゃらないでください。

 今は閣下だけが頼りなのです」


 グローバス将軍が、デミトリ川に架かる大橋を見やった。


 あの橋を落とせば、橋の再建には時間がかかる。


 だが民衆の不満が増大し、兵士たちの統制すら危うくなるだろう。


 帝国との降伏交渉でも不利に働く。


 なにより時間稼ぎをすれば、兵糧が尽きて自滅するだけだ。


 ――たった二か月で帝国に勝つ方法など、私が知りたいくらいだ。


 雨天で視界が悪く、工作兵を出せば敵の兵站を奪い取れるかもしれない。


 だが持ち帰る道を確保できるか、それはわからなかった。


 グローバス将軍の領地も、多数の災害で道が寸断されている。


 今や王国で通行可能な道を探す方が難しいのだ。


 国王の降伏許可が先か、帝国軍が川向こうに現れるのが先か。


 まだ見ぬ伝令を心待ちにしながら、グローバス将軍は水を呷った。





****


 キーファーが遠征に出発してから半月が経過した。


 私は日々をスコットたち近衛兵や、時折訪れるベレーネさんとのおしゃべりで費やしていた。


「トリシア、あなたも社交界に出てみたら?」


「うーん、まだ周りが『やめておけ』って言うし。

 私も一人で社交界に出られるとは思えないしねぇ」


 ベレーネが微笑みながら告げる。


「あら、こうしてお茶を飲んでるのと変わらないわ。

 夜会はパートナーが必要でしょうけど、お茶会なら大丈夫じゃない?」


「ベレーネさんと他の貴族はまた違いますよ。

 私のことを悪く見る人は、たぶんまだ大勢居ますから」


 クスクスと笑うベレーネさんの背後から、侍女が告げる。


「トリシア殿下、宮廷にローラ様がお見えです」


「え? また来たの?

 何の用事なのかしら」


「ローラ様からは『会って直接訴えたいことがある』とだけ」


 うーん、ローラとは直接会うなってキャサリンに言われてるしなぁ。


 私が返事に困っていると、ベレーネさんが告げる。


「会うくらいは会ってあげたら?

 近衛騎士が守っていれば、不安はないんじゃない?

 ――ねぇ? あなた方が居て、トリシアに怪我を許すことはないでしょう?」


 スコットが真面目な顔で応える。


「皇帝陛下からも、そのように厳命されております。

 たとえ相手がローラ様だろうと、殿下に叛意を見せるなら相応の対応をするまで」


 ベレーネさんが私に振り向いて微笑んだ。


「ね? これなら怖くないでしょう?」


「うーん、そうですね。

 会って話を聞くぐらいならいいかなぁ?」


 キャサリンが私の背後から声をかけてくる。


「なりません、トリシア殿下。

 もはやローラ様は後宮の部外者。

 話を聞くだけ無駄というものです」


 私はキャサリンに振り向いて応える。


「向こうだって、それはわかってるんじゃない?

 それでも『会って話がしたい』って言うんだし。

 聞くだけなら聞いてあげてもいいじゃない?」


 ベレーネさんが立ち上がって告げる。


「そういうことなら、私はこれで失礼するわね。

 また今度おしゃべりしましょう」


「あ、はーい。またよろしくお願いします」


 笑顔で会釈するベレーネさんを見送り、私も立ち上がった。


「スコット、準備をしてください」


 スコットたち近衛騎士が壁際から私の周囲に集まってくる。


「殿下、くれぐれも軽率な言動は慎まれますよう」


「わかってるわ。キーファーの留守を私が預かってるんだもの」


 笑顔で告げる私を見て、スコットがキャサリンと目配せをした。


 キャサリンがため息をついて告げる。


「どうか、殿下をよろしくお願いします」


 頷くスコットたちを引き連れ、私はローラさんの待つ宮廷の談話室へと向かった。





****


 私たちが談話室に入ると、ローラさんが悲痛な表情で立ち上がった。


「トリシア殿下、よかった……今回は会ってくださるのね」


 ローラさんから敬語を使われるとか、なんだか背中が痒くなるなぁ。


「それで、お話ってなんですか?」


 スコットたちが「近づかれませんように」と言ってくるので、ソファには座らずに立って返答を待つ。


 ローラさんが辛そうに眉をひそめて告げる。


「我がヴェラーニ公爵領の窮状はご存じでしょうか」


「あー、不作が続いてるんでしたっけ?

 民衆も重税で苦しんでるとか」


 ローラさんが悲しそうに頷いた。


「領地に帰った私の元に、民衆たちからの減税嘆願書が頻繁に届くんです。

 お父様に直訴してみましたが、私の言葉は聞き届けられませんでした。

 わが身の至らなさに、ただただ落胆するばかりです……」


 私は小首を傾げて尋ねる。


「それで、ローラさんが訴えたいことってなんですか?」


「はい……正妃であるトリシア殿下なら、あるいはなんとかできないかと。

 どうでしょうか、お考えいただけませんか」


 うーん、私にヴェラーニ公爵を説得しろってこと?


「それは難しいんじゃないかなぁ。

 あの人、私の言うことなんて聞きそうにないし」


 ローラさんが静かに頷いた。


「確かに、お父様を狙い撃ちした減税命令など反発しか招かないでしょう。

 それを機に、帝国に反旗を翻してもおかしくありません。

 ――ですが帝国領に一律しての減税令なら、お父様も逆らいにくいはずです!」


 私は眉をひそめているスコットに尋ねる。


「私にそんな権限なんてあるの?」


「……皇帝陛下が不在の今、殿下が命じれば通すことは可能でしょう。

 ですが今は戦時、皇帝陛下も税収を見込んで出征しております。

 それが目減りするとなると、出征中の帝国軍も危うくなるかと」


 それは困るなぁ。


 んー、でも目減りしなきゃいいのかな?


 私は宙を舞う光の玉に尋ねる。


「ねぇ精霊さん、もっと頑張れたりする?」


『トリシアのお願いなら、頑張ってもいいよー』


「――あ、でも消えちゃうほど頑張らなくていいからね?」


『そうなの? それなら喜んで頑張るよー!』


 よし、これで収穫は予定より上がるはずだ。


 私はローラさんを見てニカッと笑う。


「わかったわローラさん。

 私が帝国領に一律減税令を出してみる。

 エストラーダ侯爵にでも相談すれば、なんとかなるんじゃないかな」


 ローラさんが深々と私に頭を下げた。


「どうか領民のため、よろしくお願いいたします」


 あのローラさんが、私に頭を下げるなんて。


 よっぽど領民が苦しい思いをしてるんだな。


「任せといて! 必ず何とかしてあげるから!」


 私の笑顔を見て、ローラさんは涙を流して喜んで頷いた。





****


 談話室を辞去したローラは、微笑みながら廊下を歩いていた。


 ――あの手紙の通り、こんなに巧くいくだなんて!


 あとはあの愚鈍な田舎娘が、手紙の主の手のひらで踊るだけ。


 一律減税令が出れば、お父様も予定通りの行動に出る。


 そうなれば、もう田舎娘の命運も尽きる。


 高笑いしたいのを耐えながら、ローラは宮廷を出て馬車に乗りこんだ。


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