18.笑顔の裏で
翌朝、朝食が終わったベレーネが第一妃宮を訪問した。
近衛騎士たちは門を守っているが、転居作業のためにドアは解放されている。
「トリシアと約束していたのだけれど、今日は通してもらえるのかしら」
ベレーネが微笑みながら告げる言葉に、近衛騎士が頷いた。
「話は伺っています。こちらへどうぞ」
近衛騎士が案内する後ろをベレーネが付いて行く。
一階の応接間に通されると、中でトリシアが近衛騎士とカードで戯れていた。
「――コール! 私はフラッシュよ!」
「……負けました。ツーペアです」
近衛騎士たちと和気あいあいとポーカーを楽しむトリシアを、ベレーネは内心で呆れながら眺めていた。
「あ、ベレーネさん! いらっしゃい!」
トリシアの言葉を聞いて、近衛騎士たちがすぐに立ち上がった。
カードを片付け、壁際へと移動していく。
近衛騎士たちが席を開けた場所へ、ベレーネが腰を下ろす。
「いつもこうやって暇をつぶしているの?」
「ええ、そうよ?
キーファーから宮廷内の出入りは許可されたけど、何をして良いかわからないし。
まだしばらくはこうしてるんじゃないかしら」
ベレーネがクスリと笑みをこぼす。
「正妃ともなれば、お茶会や夜会を開いて貴族たちと交流を深めるものよ?
不慣れでしょうけど、あなたも少しずつ覚えていかないとね」
トリシアが眉をひそめて応える。
「社交界、苦手なんですよね……。
それはそうと、前回言ってた『ローラさんの話』ってなんだったんですか?」
「それはもう済んだわ。
彼女がどうなるか、そしてあなたがどうなるかを聞いておきたかっただけ。
ローラが放逐されて、トリシアが正妃になった。
それで話すことはなくなってしまったわ」
トリシアが小首を傾げて尋ねる。
「じゃあ、今日は何をしに来たんですか?」
「おしゃべりをしに来た、じゃ駄目かしら?
話題が欲しいなら――そうね、あなたの精霊巫女の力について、聞かせてくれる?」
ベレーネの誘いに、トリシアが笑顔で応える。
「ええ、構わないわ。
精霊巫女といっても、精霊が見えて仲良くしてもらえるだけなの。
精霊たちは色んな所に居て、色んなものを見て話しを聞いてるわ。
そんな彼らから、私は色々と教えてもらえるのよ」
――姿の見えない諜報員か。厄介ね。
ベレーネが微笑んで尋ねる。
「それじゃあ、あなたは社交界で敵なしね。
怖がることなんてないんじゃない?」
トリシアが落ち込むように肩を落とした。
「そうでもないのよ。
精霊たちも心が読める訳じゃないし、文字も読めないわ。
社交界でも助けてはくれるけど、『敵なし』と言い切れるわけじゃないの」
――そう、それは良いことを聞いたわね。
ベレーネは内心で笑みを浮かべつつ、眉をひそめて告げる。
「それだと貴族相手に立ちまわるのは難しいわね。
あなたは正妃なのだから、気をつけるのよ?
不用意な正妃の発言は皇帝陛下の威信を傷つけかねないわ」
「そうみたいね……。
あ、そういえばベレーネさんはキーファーのことを名前で呼ばないのね。どうして?」
ベレーネが苦笑を浮かべて応える。
「普段は不敬だから控えているの。
私室で二人きりの時だけは、名前で呼ばせていただいてるけれど。
帝国で皇帝陛下の存在は特別なのよ。
軽々しく名前を呼んでいい方ではないの。あなたも気を付けなさい?」
トリシアが小首を傾げて告げる。
「んー、駄目なことならキーファーは『止めろ』って言うだろうし。
お義母様も止めてこないし、大丈夫じゃない?」
――両陛下にかなり取り入ってるのね。手強いわ。
「そう、なら平気だと思うけど。
あなたのことを悪く思う人から見たら、格好の攻撃の的よ?
その時に後悔しないようにね」
「ええ! わかったわ!」
――返事だけは一人前ね。
ベレーネはその後も、笑みを絶やさずに情報を収集していった。
昼近くになり、トリシアから昼食に誘われたが「それはさすがに悪いわ」と断り、第一妃宮から去っていった。
トリシアは立ち去るベレーネの背中を見送ってから呟く。
「……あの人、本当に精霊が近寄ろうとしないのよね。
今日は何が目的だったんだろう」
その後、宙を見上げたトリシアが、何度か頷いていた。
眉をひそめ、ため息をついたトリシアが立ち上がる。
「部屋に戻ります。
そろそろ引っ越しも一段落してるわよね?」
キャサリンが「はい、ご案内します」と応える。
トリシアはキャサリンに案内されながら、正妃の私室へと向かった。
****
夜になり、第一妃宮にキーファーが帰ってきた。
「……キーファー、引っ越しても私のところに来るの?」
「お前と共に夜を過ごす。そう決めた」
私はため息交じりで応える。
「シャイナさんやベレーネさんはどうするのよ?」
「側妃が後回しになっても構わんだろう。
まずはお前と世継ぎを作る。
彼女たちとはそれからだ」
涼しい顔で断言してくるキーファーに、私は抗議の声を上げる。
「私は子供を作る気はないってば!」
「正妃にそんな権利が許される訳ないだろう。
前も言ったように、お前が嫡子を先に生むのが最も国が安定する。
俺の妻なら、いい加減に覚悟を決めろ」
そうは言うけどさ……。
「だって、女の子が生まれちゃったらウィンコット王国に渡さなきゃいけないんだよ?
それは耐えられないよ」
男の子でも女の子でも、自分の子供を手放さなきゃならないなんて、そんなのは絶対に嫌だ。
キーファーが神妙な顔で私を見つめてきた。
「……では、長女の引き渡しがなければ体を許す気があるんだな?」
「それは! ……まぁ、私は妻だし?
夫に体を許すのは、仕方ないと思うけど。
――でも、引き渡す条件で私を妻にしたんでしょ?!」
キーファーがニヤリと微笑んだ。
「それは『側妃』としての条件だ。
今のお前は正妃となった。
『正妃の子供を引き渡すわけにはいかない』として、婚姻同盟を破棄する手はある。
同盟を破棄し、ウィンコット王国を攻め落す。
対外的には『ここまで荒廃したウィンコット王国は、外からの支援では立ち直れない』とでも言えばいい。
攻め落とし、帝国領として復興させていく」
「――そんな横暴、通るわけないでしょ?!」
「口実など押し通すものだ。
結果的にウィンコット王国の民が救われれば、文句も出づらい。
実際にこの一か月、あの国は荒廃の一途をたどっている。
多少の支援をしたところで焼け石に水だろう」
そんなに荒れてるの? 複雑な気分だなぁ。
私が精霊巫女の職務を放棄した結果でもある訳だし。
だけど――。
「そんな余裕、帝国にあるの?
帝国だって苦しいんでしょ?」
「少しずつだが、帝国領に豊作の兆しが見えている。
この分なら今年の税収は昨年を上回るだろう。
それを見越して兵を動員することは可能だ」
あー、精霊たちが帝国領に増えてるのかな。
私は宙を舞う光の玉に尋ねる。
「精霊さん、今の帝国領に精霊は増えてるの?」
『増えてるよー! ウィンコット王国から、どんどん逃げて来てる!』
『他の国からも少しずつ、トリシアに誘われて移住してきてるよー』
そっか、増えてるのか。
「精霊樹はどうなってるの?」
『んー、もうほとんど枯れてるみたい。
力が残ってないって、最近来た精霊が言ってたよ』
となると、ウィンコット王国は不毛の土地になっていくのかな。
確かにちょっとやそっと支援した程度じゃ、どうにもならなそうだ。
私の顔を見て、キーファーが笑みを漏らした。
「どうやら読み通りのようだな。
今のウィンコット王国の戦力なら、大きな動員をしなくても落とせるだろう。
だがヴェラーニ公爵を牽制する兵力は残さねばならん。
そうなると、俺が帝国騎士団を率いて出征する必要がある。
期間は恐らく、秋までかかるだろう」
「……本当に戦争をするつもりなの?」
「お前に子供を産ませるためには、それしか手がない。
それ以外にお前が納得して体を許す手があるなら、それも考えるが」
『体を許す』とか、ダイレクトに言ってくるなぁ……。
私は言い淀みながら応える。
「それは、その……ないと思うんだけど」
キーファーが微笑みながら私を抱きしめてきた。
「お前を真に手に入れるため、最善の手を打とう」
私のために、ウィンコット王国を滅ぼしちゃうの?!
戸惑う私に、キャサリンが告げる。
「夕食が冷めてしまいます。
それ以上のお話は食卓でどうぞ」
キーファーに肩を抱かれ、私たちはダイニングルームへと移動していった。