17.エストラーダ侯爵
壇上から降りた私たちに、一人の壮年貴族が近寄ってきた。
彼はキーファーに臣下の礼を取った後、私に向き直って告げる。
「お初にお目にかかります。
私はアンドリュー・エストラーダ侯爵と申します。
トリシア殿下には、以後お見知りおき下さいますよう」
私は戸惑いながらも、微笑んで応える。
「トリシアですわ。
エストラーダ侯爵ですわね。
――ねぇキーファー、この人はどんな人なの?」
キーファーが苦笑を浮かべながら応える。
「だから、余計なことを口にするな。
――こいつはヴェラーニ公爵と争う派閥の一人だ。
文官だが、信は置ける」
へぇ、キーファーが『信頼できる』って言いきるんだ。
私はニコリと笑顔を見せてエストラーダ侯爵に告げる。
「私とも仲良くしてくださいね!」
戸惑う様子のエストラーダ侯爵が応える。
「え、ええ。もちろん構いませんとも。
しかし……ウェスト公爵家の令嬢とおっしゃっておられませんでしたか。
失礼ですが、とてもそのようには見えません」
私は照れ笑いを浮かべながら応える。
「故郷でも『出来損ない公爵令嬢』と言われてましたから。
品がないのも教養がないのも、自覚してますわ。
至らない点も多いと思いますけど、その時は教えてくださいね!」
「それはもちろん、私にできることならば。
しかし、精霊巫女が実りをもたらすと言うならば、ウィンコット王国はよくあなたを手放しましたね」
私は眉をひそめて応える。
「故郷では『出来損ない巫女』とも呼ばれてましたから。
精霊たちを犠牲にする故郷のやり方に我慢できなくて、反抗してましたの。
でも精霊たちを犠牲にしなくても、力を貸してもらうだけで実りは増えますのよ?」
キーファーが不思議そうな顔で尋ねてくる。
「どうした、トリシア。
お前にしては妙に人懐っこいな」
「だって! エストラーダ侯爵の周りには帝国の精霊たちが懐いて舞ってますから!
この人は信頼できるって、精霊たちが言ってます。
お義母様ほどじゃないけど、これだけ精霊が懐いてる人が悪い人の訳がないです!」
エストラーダ侯爵が楽しそうに微笑んだ。
「なるほど、精霊巫女……精霊たちの声を聞けるのですね。
では、ヴェラーニ公爵はどう見えるんですか?」
「彼の周りには精霊が近寄りませんね。みんな逃げていきます。
領地も実りが乏しくて、不作に困ってるんじゃないですか?
ヴェラーニ公爵と親しそうな人は、みんな精霊が嫌ってるように見えます」
キーファーが笑みをこぼしながら告げる。
「書類も見ずに収穫高を言い当てるか。
その通り、ヴェラーニ公爵の農地は不作が続いている。
一方で軍事力が高く、それを他の領地に貸し付けて経営を回している。
帝国でも屈指の精強兵団――裏を返せば、農民が兵士にならざるを得ない土地とも言える」
なるほど、農業をやっても食べていけないから兵士に志願するのか。
兵数が多いから軍事力が強くなっていくんだな。
だけど先の戦争で疲弊して、領民が苦しんでるとも言ってたっけ。
兵士たちも減ってるだろうし、貸し付ける兵力も足りてないんだろうな。
エストラーダ侯爵が頷いて告げる。
「トリシア殿下の人となり、確かに拝見しました。
我が派閥も今後は殿下を支援するよう動きましょう。
何か困ったことがあれば、いつでもご相談ください。
――では、これで失礼します」
エストラーダ侯爵が立ち去ると、他の貴族たちも近寄ってきた。
キーファーが言うには、エストラーダ侯爵派閥の貴族たちらしい。
彼らとも名前を交換して、挨拶を交わしていく。
それ以外の貴族は……様子見、なのかな。
近寄らず、遠くから見てくるだけだ。
ヴェラーニ公爵たちは、敵意をむき出しの視線で見つめてくる。
ローラさんの命を助けたのに、なんで恨まれるんだろう?
その晩は下位貴族たちがさらに何人か挨拶に来たぐらいで終わった。
私は宮廷の夜会料理を味わいつつ、夜を過ごしていった。
****
夜会が終わりを迎える間近、私に近づいてくる女性が居た。
髪の長い、大人びた女性だ。
「ご機嫌よう陛下。
――トリシアさん、初めまして。
私はベレーネよ。
前回は会えなくて寂しかったわ」
「――ベレーネさん?!
あの時はごめんなさい!
キーファーから『外に出るな』って言われてたから、仕方なく。
これからは大丈夫だと思うから、是非お話ししませんか?」
キーファーが冷淡な表情で告げる。
「トリシア、今はお前が正妃。
ベレーネは第二側妃だ。
格はお前が上なのだから、正妃らしく振る舞え」
「正妃らしくって……急に言われても無理だよ。
それに、お話しするだけなら別に構わないでしょ?」
ため息交じりでキーファーが告げる。
「侍女と近衛騎士の忠告には耳を傾けろ。
あとはお前の好きにして構わん」
ベレーネさんが微笑んで告げる。
「――決まりね。
明日、あなたのところに伺うわ。
住まいは第四妃宮のまま?
それとも、第一妃宮なのかしら?」
私がキーファーを見ると、彼が応える。
「明日から第一妃宮に移る。
慌ただしいだろうが、トリシアもその間は暇だろう。
話をして時間を潰してやれ」
「――だって!
キーファーのお許しが出たから、明日会いましょうね!」
ベレーネさんが頷いた。
「そうね、では午前中に少しお邪魔するわね。
あまり長いしても邪魔になるでしょうし」
「えー?! お昼も一緒に食べて、午後も話しましょうよ!
側妃とはいえ、同じ皇妃同士! 仲良くしましょう!」
ベレーネさんが困ったように微笑んだ。
「皇妃同士、ね。でも皇帝陛下の寵愛はあなたが独占してるじゃない」
私はキーファーに振り向いて告げる。
「そうよ! 他の妃のところにもきちんと通わないと!
私のところに入り浸っていたら不公平よ?!」
キーファーが困り顔で応える。
「お前……それはここで言うべきことじゃない。
それに、どこに泊まるかは俺の勝手だ。
お前たち妃だろうと、俺を縛り付けるのは許さん」
「私を縛り付けてるのはキーファーでしょー?!
毎晩私を抱きしめて眠るだけなのが、そんなに楽しいの?!」
キーファーがニヤリと微笑んだ。
「ああ、楽しいとも。だから今夜もお前のところに泊まる」
「私の言ってたこと、ちゃんと聞いていたのー?!」
ベレーネさんがクスクスと笑みをこぼした。
「トリシアさん、変わってるわね。
とても正妃には見えないわ」
「……どうせ品性も教養もない女ですよ!
仕方ないじゃない! そういう育ちなんだから!」
「そういう意味じゃないわ。
あなた、後宮には向かない人ね」
そりゃあ、貴族社会のさらに秘境、後宮での身の振り方なんて知らないけどさ。
だけど私は私以外には成れないんだから、このままいくしかないし!
ベレーネさんが「じゃあ、また明日ね」と言って会釈をして去っていった。
私はぽつりと呟く。
「ベレーネさん、良い人だね」
キーファーがベレーネさんの背中を見つめながら応える。
「精霊たちはどうだったんだ?」
「え? あれ? そういえば、彼女の周りには精霊がいなかったかな……なんでだろう?」
「そういうことだ。気をつけておけ」
どういうこと? あんなにいい人に見えるのに、実は悪い人ってこと?
うーん、貴族社会って難しい……。
その夜はシャイナさんは現れず、夜会は幕を閉じた。