13.不貞
ローラが声を荒げて叫ぶ。
「――何を根拠にそんなことを言うの、この田舎娘は!」
トリシアがフッと笑みを作って応える。
「精霊たちが教えてくれるのよ。
彼らは嫌いな人の秘密はいくらでも教えてくれるの。
ローラさんがその人と『とっても親密』なことも、全てね!
精霊たちは全部見て知ってるのよ!」
キーファーがローラを睨み付けて告げる。
「トリシアの発言、お前たちは認めるか」
ローラが慌てて声を上げる。
「認める訳がないでしょう?!
根も葉もない出まかせよ!」
今度は騎士風の貴族男性を睨み付け、キーファーが告げる。
「皇妃に手を出すのは、通常なら極刑だ。
だが今この場で事実を認めるなら、命だけは助けよう。
――どうする? 認めるか? それとも命を捨てるか?
これから俺は、総力を上げてお前たちの密通を調べ上げる。
逃げ切れると思うなよ?」
騎士風の貴族男性も顔面蒼白になり、震えながら迷っていた。
ローラと目配せをするが、彼女も混乱している。
ただ首を横に振るだけのローラを見て、騎士風の貴族男性がうなだれた。
「……はい、事実を認めます」
周囲が騒然としていく。
正妃が側近の騎士と密通をしていた――大醜聞だ。
ホールに居るヴェラーニ公爵も、顔をしかめて見守っていた。
これでローラの正妃としての立場は事実上なくなった。
世継ぎを作る前の不義密通など言語道断。
キーファーが冷たい眼差しでローラを見据える。
「わかっているだろうが、自分がどうなるか理解しているか」
ローラは蒼白になりながら震えて何も応えない。
「俺の顔に泥を塗った報い、その命で――」
その言葉を言いかけたキーファーの後頭部を、トリシアが音がなるほど勢い良く叩いた。
混乱するキーファーに、トリシアが指を突き付けて告げる。
「そうやってすぐに命を奪おうとしないで!
魔が差すぐらい、誰にだってあり得る話よ?!
ローラさんにも温情くらい与えられないの? 自分の妻でしょう?!」
キーファーが目を白黒させながらトリシアを見つめた。
「……俺に『ローラを許せ』と、そう言ったのか?」
「そうよ! 少なくとも、命を奪われるようなことまではしてないわ!」
毅然とキーファーと言いあうトリシアを、周囲の貴族たちは困惑しながら見守っていた。
キーファーが大きく息を吐いてから告げる。
「……いいだろう。ローラの件は母上に相談する。
それで極刑となれば、トリシアも諦めるか?」
「えー? お義母様がそんなことするかなぁ?
たぶんしないと思うんだけど」
「母上は厳しい方だ。特に不誠実な真似を嫌う。
今回のようなことは、充分に母上の怒りを買うだろう」
トリシアが手を打ち鳴らして告げる。
「じゃあ、私がお義母様にも助命を嘆願すればいいのね!」
シャイナが戸惑いながらトリシアに尋ねる。
「あなた、皇太后陛下に意見を述べると、そう言ったの?!
どれだけ命知らずなのよ?!」
トリシアは小首をかしげて応える。
「えー? 大丈夫よ。
お義母様は無法な真似なんて、きっとなさらないわ」
皇太后を公の場で『お義母様』と呼ぶ――それ自体が不敬と言える。
平然と不敬をして見せるトリシアに、ホールの貴族たちは恐れすら感じていた。
――命知らずにも程がある。
ざわめく貴族たちを掻き分け、一人の老婦人が姿を見せる――ヘレン皇太后だ。
ヘレンがニコニコと微笑みながら告げる。
「なんだか騒がしい夜ね。
あなたたちだけじゃ、事態の収拾が難しいかしら」
「――母上、いらしてたのですか?!」
キーファーの言葉にヘレンが頷いた。
「様子を見るだけで帰るつもりだったけれど……そうもいかないみたいね。
――ローラ、あなたは事実を認めるのかしら」
震えながらローラが言葉を絞り出す。
「……認め、ます」
ヘレンがトリシアを見て尋ねる。
「トリシアは、噂を認めるのかしら」
「噂? さっきローラが言っていた話ですか?
――あんなの、出鱈目に決まってるじゃないですか!
私はまだ、男性を知らないままなんですからね!」
突然の激白に、さすがのヘレンも呆気にとられた。
「……まさか、あなたまだ清い体なの?
二週間もキーファーと夜を共にして?」
「ええ、そうですよ?
添い寝はしてますけど、手は出されてません!」
困惑するヘレンがキーファーを見つめた。
「本当なの? あなた、まさか不能にでもなったの?」
キーファーは不機嫌そうに眉をひそめた。
「不能ではありません。
母上も変なことを仰らないで頂きたい」
ヘレンがため息をついて頷いた。
「よくわかりました。
今回のことは私が預かります。
ローラとその浮気相手の処遇も、私が決めることにするわ。
――トリシア、また今度遊びにいらっしゃい」
「はい、お義母様!」
トリシアの笑顔に見送られ、ヘレンはホールから去っていった。
キーファーが周囲を見回すと、既にシャイナの姿はない。
――形勢不利と見て、早々に姿を消したか。
「トリシア、用事は済んだ。帰るぞ」
「――え?! もう帰るの?!」
キーファーに背中を押されるように、トリシアもホールを後にした。
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帰りの馬車の中で、キーファーが疲れたようにため息をついた。
「まさか、母上が来ていたとはな」
「ほんとだね。驚いちゃった」
私の言葉に、キーファーが呆れるような顔になった。
「お前な……なんで母上があの場に居たと思ってるんだ?」
「なんでって……なんでだろう?
キーファーはわかるの?」
ため息をつきながらキーファーが告げる。
「母上はトリシアが俺に害をなす存在か、見極めたかったんだろう」
「害をなすって……失礼ね。
私は善良な貴族令嬢――とは違うか、皇妃よ?
それに、害をなす存在だったらどうだっていうのよ?」
キーファーが窓の外を眺めながら応える。
「……おそらく、お前の抹殺に動かれたと思う。
最低でも国内から追い出す方針だったんじゃないだろうか」
え、お義母様が私を抹殺?
あんなに精霊たちが懐いてる優しい人が?
まっさかぁ~……。
「考えられないわねぇ」
キーファーが深いため息をついた。
「お前は能天気が過ぎる。
母上は『また遊びに来い』と言っていたが、決して油断するなよ。
あれでも前皇妃であり、現皇太后だ。
帝国のためならお前を切り捨てるくらい、紅茶を飲みながらやってみせるとも」
「そもそも! 私の何がキーファーの害になるって言うのよ!」
「自覚がないか。
皇帝たるもの、冷徹に事を運ばねばならない。
そこに私情を挟むべきではない。
最適なタイミングで最善の手を打つ。
それでこそ広大な帝国を治められるというものだ」
私はきょとんとしながら小首を傾げる。
「キーファーはそうやって来てるじゃない。
やり過ぎるから私が止めるくらいには」
私が見つめて居ると、キーファーがこちらに振り向いて告げる。
「今日の出来事、あの場合の最善はローラと浮気相手を極刑にすることだった。
皇帝の妻が不貞を働くなど、あってはならない。
そもそもが、あの場でローラの不貞を暴くべきでもなかった。
公にならなければ、内々に処理することもできたのだ」
「それは……そうかもしれないけど。
でも、自分のことを棚に上げて他人を責めるなんて、筋が違うわ。
私を蔑むだけじゃなく、彼女は『近衛騎士たちやキーファーが私に惑わされた』なんて言いだしたのよ?
みんな女性に惑わされるような軟弱な意思を持つ人たちじゃないわ!」
なぜかキーファーが黙り込んでしまった。
うつむいたまま、何かを考えこむように眉間にしわを寄せている。
「……そうか、私の意思が弱いか」
私はムッとしながら応える。
「何を聞いていたの?
キーファーは意思が強くて、帝国のために毎日頑張ってるでしょう?
私なんかに惑わされる人じゃないわよ、あなたは」
「……そう、在れるだろうか」
「疑問形で言わない!
あなたは既に意志が強いの!
もっと自分に自信を持ちなさい!」
キーファーが寂しそうな笑みを私に向けた。
「そうだな。トリシアがそう言うなら、そんな自分で在ろう」
「キーファー……」
なんだか、いつもの彼らしくない。
そんな私とキーファーを乗せ、馬車は宮廷へと戻っていった。