07 怪物
ラバキア平野北部 ラバキア街道沿いの雑木林の中
帝歴1936年5月7日 15:45
ずいぶん時間がたった気がする。
リイナ・ツダマ上級軍曹は上官の背中を見つめたまま、いたずらに時間を過ごしていた。
中尉は伝令を走らせたまま、何かを待っている。
怪物。中尉はそういっていたな。
怪物。もちろんなにか、というより、誰かに対する比喩なのだろうが、いったいどんな子が来るんだろう?
「すいませえん、おそくなっちゃってえ」
声がした。
いつのまにか、一人の少女が、人のよさそうな微笑を浮かべながら中尉の前に立っているではないか。
「あ、キホ・マヌアー兵長、まいりました」
「ご苦労、兵長」
「はあい」
マヌアーと名乗った兵長が、なんだか要領を得ない返事をする。
いや、まてよ。彼女はいつからここに?
まったく気配を感じなかったぞ。
達人の域に達した猟師は、密やかに忍び寄り、優しくあやすように獲物の命を得るという。
この子が、怪物?
自分のイメージとはあまりに乖離しているが、なるほど「本物」とはこういうものなのかもしれないな。リイナは一人合点したが、同時に背筋が寒くなる感覚を覚えた。
リイナの戦慄を知ってか知らずか、キホは口元に笑みを残したまま突っ立っており、またミュコセキー中尉は、そんなキホを黙ってみている。やおら中尉が口を開いた。
「ところで兵長、”彼女”は?」
「はあ、えっとう……」
ん?彼女?
「えー、そのう、それが、いつものアレでして……」
キホが歯切れ悪く答える。
「ああ、そうですか」
中尉はさして意に介さないように続けた。
「では彼女に伝えてください。『いつもの手はずで』と」
マヌアー兵長は心得たように頷づき去っていく。
どうやら怪物とは、今の兵長のことではないらしい。二人のやり取りを聞きながらリイナは自分の早とちりを悟った。
「中尉?」
「テンチャ……テンチャ・マサキ軍曹……」
中尉が端正な横顔を見せながら、独り言のようつぶやく。どうやらそれが”怪物”の名前のようだ。
「戦いは流動的なものです、上級軍曹。状況に応じて臨機応変に手を打つべきでしょう」
ニガタでは、それができなかった。中尉の悔恨である。
無論、中尉のせいではない。グランシュタイゴン公国軍の物量・練度は、ともにセルコヴァ共和国軍のそれをはるかに陵駕していた。
一介の部隊指揮官たるミュコセキー中尉ごときでは、戦局に影響を与えることなどとてもかなわなかった。無論それは中尉も分かっている。しかし、それでいてなお後悔が残るのは、やはり自分が無力であったその事実を、彼女自身が許せないからだった。