06 二の矢
ラバキア平野北部 ラバキア街道沿いの雑木林の中
帝暦1936年5月7日 15:40
「ううん……」
草むらに消えていくヒルカモタリ兵長の背中を見おくりながら、ミュコセキー中尉は小さく唸った。
「大丈夫なのでしょうか……」
「は、ご懸念ごもっともですが、腕は確かです」
ツダマ・リイナ上級軍曹は上官の気が変わらない様にと、力強く言ってのけた。
なにしろほっといたら全隊着剣、歩兵突撃!などと言いかねない隊長だ。今はなるたけ手を打って、部隊の安全を確保しなければいけない。それが副官たる自分の任務だと、上級軍曹は確信していた。
実際にスリットが狙えるかなんてのはどうでもいい。実現可能に思わせることが肝要。ヒルカモタリがいてくれてよかった。などとリイナが思っていると、
「うん、まあいいでしょう。でも保険はかけておかないといけませんね」
「え?保険、ですか?」
リイナの顔に不安がよぎる。また妙なことを言い出さなければいいが。
「カーリン・フジョ兵長をここへ」
ミュコセキーが通りすがりの兵に声をかける。
カーリン・フジョ?リイナの知らない名だ。
しばらく待つと、先程の兵士が一人の兵卒を連れて戻ってきた。
やや背の高い少女が、二人に敬礼する。
彼女もまたヒルカモタリ同様狙撃兵である事は、持っているスプリンセント狙撃銃から明らかだった。保険ってこの事だろうか?肩にあたる程度の短い黒髪が印象的な背の高い少女は、どことなく所在なさげに立っている。
「さっきの戦車、見ましたね?」
無表情にうなずくカーリン。
「カリン。あなたの腕なら、あの戦車の覗視孔、狙えますよね?」
カリンと呼ばれたカーリン・フジョ兵長は少し首を傾げてから答えた。
「停まっていれば、7割」
「動いているときは?」
「2割」
「20パーセントですか。謙遜にしては悪くない数字ですね……」
中尉は少し笑って、リイナに言った。
「上級軍曹、この子も使います」
フジョ兵長が持ち場に戻ってから、リイナは隊長に尋ねた。
「隊長とは知己だったんですね、彼女。フジョ兵長でしたか」
「カリン……カーリン・フジョとはフジクで、同じ部隊でした」
フジク市攻防戦、この戦役でも屈指の激戦地であった事をリイナは知っていた。
「生き残りはあの子と私、そしてもうひとり。200人の中隊が3人だけに」
返す言葉もなく口をつぐむ上級軍曹。
「軍曹、あなたのお考えは正しいと私も思います。あの重装甲に通常の攻撃は通りますまい。スリットから乗員を狙うのは、私達も使ったことがある手です。私とカリンは『ミンチメーカー』とよんでいたものです」
「ミンチメーカー?」
「跳ね回るのですよ。跳弾が。戦車の装甲内部をね」
中尉の表情はいささかも変わらない。
「上級軍曹、今一度、我々の状況を確認しておきましょう。ご承知の通りあまりよくありません」
中尉と上級軍曹。もともとは同じ部隊ではなかった。さらに言うならば、現在中尉の指揮下にある十数名全員が、部隊も出自もバラバラである。
ニガタ市街を後背に望むオチト湾上陸作戦。防衛側のセルコヴァ軍は、物量で勝るグランシュタインゴン公国軍の前に大敗を喫し、ニガタ市は放棄された。
敗走するセルコヴァ部隊の一部をまとめたのがミュコセキー中尉であり、ツダマ上級軍曹であった。
ミュコセキーは第15狙撃兵連隊、ツダマは第3騎兵大隊と所属はバラバラだったが、道路に仁王立ちになり、逃げ出そうとする兵士の首根っこを捕まえ、片っ端から自分の部隊に編成している中尉をみて、部下のヒルカモタリともどもに指揮下に入ったのだった。正確には逃げ損ねてしまったわけだが、こうなった以上仕方ないとツダマ上級軍曹は割り切っていた。
そして、自分より上位がいない、というやや消極的な理由で、副官役を担っていたのがリイナ・ツダマ上級軍曹だった。
砲兵や工兵といった戦闘兵科ならならまだしも、コック、書記といった非戦闘職まで、あらゆる兵種が、行き場をなくしミュコセキーの指揮下に集まっていた。
かくいうツダマも、元はといえば大隊の主計係で、この急ごしらえの部隊に純粋な戦闘員は少ない。しかもここまでにこの小グループからも落後兵が相当数でている。戦闘集団と呼ぶには、質的にも量的にも、あまりにお粗末な一団だった。
「このまま国へ帰れば、良くて敗残兵。最悪の場合、敵前逃亡として……」
「それを避けるには手土産……いや、なにかしらの戦果が必要だと」
「全くご理解のとおりです、上級軍曹。なんとしてもあれ、あの怪物を仕留めないと。わかりますね」
「はい……」
「使える手段は全て使う。たとえそれが非常なものだとしても、です」
リイナ・ツダマ上級軍曹は彼女の言葉が、修辞でも誇張でもなく、本心であることを理解するようになっていた。
だから中尉が最後につぶやいた言葉にも、さして驚きはしなかった。
「怪物には、怪物を……」