05 静寂
ラバキア平野北部 ラバキア街道近くの112号戦車
帝暦1936年5月7日 15:50
総重量100トンを超える物体が動くのは、それ自体が壮観ですらあった。
2基の水冷式Ⅴ型12気筒ディーゼルエンジンが、アイドリング状態から徐々に回転数を上げていくと、振動と騒音が加速度的に増していった。
すでに112号車内の通話はままならない。乗員たちは互いの意志を伝えるのに喉マイク式の車内通話機を用いた。
「ミャオ、微速後退。少し先が拓けている。そこで車体旋回ね」
「アイサー、シャチョー殿」
先ほどとはうって変わって調子の良いミャオだ。戦車の操縦が芯から好きらしい。軽い鼻歌でも出そうだったが、いかんせん大型戦車は全く速度がでない。おまけに後退ときている。ちょっと興を削がれるミャオであった。
次いでユーキはカーゴルーム備え付けの送受話器への通話ボタンを押す。
「准尉、両側面に警戒。さっきのロケットも森からだったよ」
その指示にしばらく間をおいて、ジュンナイト准尉の声が聞こえてくる。
「了解……つ、ガンポート……貼り付け……」
戦車の最後尾にあるカーゴルームは、移動する装甲躑弾兵のためのスペースであるとともに、カーゴの左右後方に開いた銃眼から150度程度の射撃が可能となっていた。小口径のライフルでも、陣地走破時の両面制圧射撃には充分だ。もちろん通常時にはこのように、索敵の目を増やす役割もあった。場慣れしたジュンナイトは、ユーキの指示通り既にそこに部下を配置しているようだ。
戦車は急をしのいでいた林道を抜け、元いたラバキア街道にもどっていた。
街道はアラハバキ帝国の港湾都市ニガタと商都サエカゴヤナを結ぶ通商の大動脈、と言えば聞こえはいいが、実際は街道とは名ばかりの、未舗装の道路が延々続いている。
(危ない気はしてたんだよな)
先行した部隊の行軍でデコボコになった道を見送りながら、モモ・オゾンノ上等兵は思いかえしていた。
彼女の通信手席にもスリットが四角く穿たれ、後備機銃までも備わっている。
通常時の通信業務に加え、戦闘時には後方監視だけでなく、武器の操作も任されていたのだ。
ただでさえ故障がちな無線機の整備にてこずっているのに、どう考えても自分の仕事は多すぎるんじゃないかしら?モモが常日頃、不満に思っている事のひとつだった。
後方警戒厳に、などと少尉からは言われているが、モモはさっきまでの緊張感から開放され、狭いスリットから、通り過ぎた道をなんとなく見ている。横長に広がる世界が、今のモモのすべてだった。
敵さんが出てきたらどうしよう。まず報告かな?いやいや先に撃っちゃわないと怒られるかな?サイート曹長怖いからな。
あれこれ考え始めるときりがなかった。
(お家帰りたいな……)
背中の少尉たちに聞こえないよう、そっとため息をつくモモだった。
出発時から調子の悪かった左エンジンが、いよいよ妙な音を立てはじめ、点検と補修のため本隊と分かれることになった。それがケチのつきはじめだったような気がするな、と、モモは思いだしていた。
ニガタ陥落後、時をおかずサエカゴヤナ攻略に向かう師団本隊は、たかが戦車一両の脱落などかまわず先を急ぐ。電撃戦だ。
応急処置が終わり次第、本隊を追走するはずだったが、修理に存外、手こずってしまった。
果てしなく続くかと思われた軍列も、部隊最後尾の野戦病院中隊が路肩に停まる112号車を追い抜き、砲塔を後ろ向きにした後衛の戦車が騒々しく通り過ぎると、もう後続はない。
ふいに訪れた静寂。
モモは急に不安になり、車上に腰掛け何やら話し合っている中尉たちを見あげた。
「素直に街道進むと間に合いませんね。予定通りなら我々がつく頃には本隊は宿営地を出発しています」
サイート曹長の言うことはいつもながら合理的に聞こえる。
「どうします少尉、本隊と追いかけっこしますか?」
「そっかあ、んじゃあれね、近道しないと近道」
装甲の上では少尉と曹長が地図とにらめっこを始め、ミャオが下からぴょんぴょん跳ねながらそれをのぞき込んでいた。
「これ、ここ林道みたいのない?」
「ですね、これでしょうか」
「ここ抜ければさ、一時間は稼げそうじゃない?」
「確かに……でも不案内な土地で、しかも林道となると、危険では?」
曹長は慎重論を出したが、少尉の作戦に間に合わない、の一言で押し切られた感じだ。
なにより自分から言い出した事実も、強く反対できない理由だったようだ。
結論が出た。112号は部隊に急ぎ合流すべく、林道を使い森をぬけるルートを選ぶ。
モモが自分の予感の正しかったことを知るのに、そう時間はかからなかった。
脱落した戦車など、跋扈する敵勢力には、お誂向きな標的に過ぎなかったのだ。