30 読み合い
ラバキア平野北部 ラバキア街道上の112号戦車
帝暦1936年5月8日 03:20
いまのところ、敵襲の気配はない。
ユーキ・ヨウダ少尉は多少、緊張が弛緩するのを感じている。敵も夜間攻撃の無謀さは熟知しているだろう。そうすると一番危険なのは夜明けのタイミングだろうか。
夜明けまではあと2、3時間というところか。
旅団本部の情報を信じるのであれば、そのころには味方と合流できるとのことだが、あてにはならない。最悪、この故障した戦車とけが人だらけの人員で応戦しなければならないだろう。
ユーキは先ほどと違いやや悲観的になり、機械油臭い戦闘室を見渡した。
急遽補完された二人は、思いのほかよくやってくれているが、廻らない砲塔と精度の悪い通信機というハード面で、不足分を補い得ない。
部下の専任曹長は相変わらず反抗的だし、操縦手は意識があるのかどうかも判然としない。まあ戦車は前進してはいるが。
いい材料が全くないな。
こういう時は、誰かと話をするのが一番だ。
ユーキは喉マイクのスイッチを入れた。
「ジュンナイト准尉」
応答はすぐだった。
「こちらジュンナイト、どうした?なにかあった?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど、カーゴの状況どうかなって」
「相変らずだよ。けが人だらけの一個分隊。まあ悪化はしてないから悪くはないけど」
「モモちゃんどう?」
「痛み止めが効いてるらしい、今はぐっすり眠ってるよ。安心しな」
「そう、よかった。ハシカケ一等兵は?」
「サーヤかい?まだ意識が戻ってない。こっちは……心配だね」
「……そう、何かあれば言ってね」
「そうさせてもらうよ、少尉。ところでウチの二人はどう、ちゃんとやってる?」
「ちゃんとやってるも何も、戦力としてほしいくらいだよ」
「あは、そりゃ高くつきますぜ、少尉殿」
「レーション一日分くらいじゃ無理そうだね。ありがとう、准尉。何かあれば随時報告してね」
「あい。もうちょっとの辛抱だ、お互い持ちこたえようぜ」
通話が終わり、ユーキは多少心が晴れるの覚えた。ジュンナイト准尉とは何かしら絆めいたものも生まれてきている(少なくともアシュカよりは)と、ほのかにそう感じたのだ。
いい材料も、探せばあるじゃない。
ユーキ・ヨウダ少尉の心持ちが揺れ動くのは、戦車の振動のせいではなかった。
「ヨウダ少尉」
突然自分の名前が呼ばれ、ユーキははっとした。
アシュカ・サイート専任曹長だった。
「ちょっとよろしいでしょうか」
「あ、はいなんでしょ」
「地図を……」
いわれるまま隣のアシュカに地図を渡す。
「ちょっと見てください」
アシュカは地図の一点を指で示す。すぐ横にアシュカがいるせいで彼女の髪の香りがふわりと漂ってきた。それは機械油のにおいにまみれた戦闘室内で、明らかに異質な感覚をもたらした。
「現在の推定位置はこの街道の湾曲部中心です。大きく曲がっているのがわかりますか」
「あ、うんそうだよね。順調に行ってると思う」
「そうです。順調に行き過ぎています。こちらは予定どおり、味方と夜明けの合流を目指しています。しかし、追跡者の存在はすでに明らかです。つまり敵の攻撃の意思も明白。しかし攻撃してこない。なぜか?」
アシュカは士官学校の教官のような物言いでユーキに質問を投げかけた。
「暗い……から?」
ユーキもまた士官学校時代の授業で、回答に自信がない時のような言いようで答えた。
「それも正解です。この暗闇では攻撃の成功率は極めて低い、また、同志撃ちの危険もある、だから敵は攻撃してこない……今は」
今は、という言葉が不吉な予言のように振りかかってきた。
「つまり夜明けを待って攻撃してくる可能性が極めて高いってことね」
アシュカの頷きに。ユーキは先ほどの予想が確信に変わるのを感じた。
「もう一つ問題があります。我々は追いかけっこをしている。私たちがネズミで敵はネコです。ちょっとサイズ感の比喩は適当ではありませんが」
アシュカの言葉が冗談なのかどうか、その顔色からは読み取れず、ユーキは笑顔を見せるべきかどうか戸惑った。彼女はそれには構わず続ける。
「この条件は常に敵が我々を追走していることを意味します。わかりますね」
「は……はい」
「常に追走している形ですが、後方からの攻撃では我々を取り逃がす可能性も高い。私が敵の指揮官なら、我々に先行して網を張る。それしかないと考えます」
「それが可能なのが……」
「そうです、この地形です。敵は、この湾曲部を馬鹿正直に追走することはしますまい。おそらくは森を抜けて……」
「我々に先駆ける、と」
「その通りです、少尉」
アシュカがほんの少し笑顔を見せた……気がした。




