10 凶兆
ラバキア平野北部 ラバキア街道上の112号戦車
帝暦1936年5月7日 16:55
蜂の巣をひっくり返したような戦車の混乱は増幅していた。狙撃銃による攻撃は、この戦車の外殻に僅かな傷しか与えなかったが、搭乗員には思いのほかダメージ(それも精神的な方向で)をあたえたようだった。
ミャオはとにかく戦車を前に進めようとアクセルペダルとハンドルレバーを急かしげに動かしている。少なくとも道を逸れず前進させているつもりだった。操縦手用の覗視孔の視界は絶望的だったし、かといって天井のハッチから顔を出すわけにもいかない。何しろ外にはスナイパーが殺意をもって潜んでいるのだ。だから自分の戦車が正確に前進しているかはわからなかったが、少なくとも頭上のボスがなにか言い始めるまでは、このままでいよう、そう決めていた。
「いやー!イヤーだー!」
通信手席のモモは泣き叫びながら機銃を連射していた。いや、正確にはもはや射撃はしていなかった。100発のベルト弾倉はすでに後方の虚空に撃ち尽くしていたから、弾倉交換をしないかぎり引き金を引いても何も出ないのだが、モモはそれにすら気づかない。とにかく何かをしていなければ気が変になってしまう。
「イヤーだー!イヤー!」
いまのモモにできるのは、力いっぱい引き金を引くことと、力いっぱい泣くことだけなのだ。
「モモ!うるさい!」
「ベミリア!榴弾!」
アシュカはさっきからその二言しか叫んでいなかった。前者はともかく、後者は確実に指示に従ってくれている。こういうときは頼りになるな。アシュカはベミリアの沈着ぶりに舌を巻いていた。
彼女の「装填よし!」の頼もしい声とともに撃発ペダルを踏む。もう何度繰り返したか数えてはいなかった。一時の方向に固定された砲塔では、もとより狙うすべがない。脅しにもならないかもしれない。
でも、とりあえず大砲を撃つ、前に進む。少なくとも戦車としての役割は果たしてるじゃないかね。アシュカはひとりほくそえんだ。
ユーキももちろん、車内の混乱に巻き込まれている。
攻撃(正確には”攻勢防御”とでも呼ぶべき性格のものだったが)の方はサイート曹長が上手くやってくれているようだ。だから彼女は戦車の進行にのみ、専心できた。
「ミャオ!絶対に止めない!走り続ける!」
ミャオが頷いたかどうかは戦車の振動で定かではなかったが、取り合えず道を外れず前進しているようだ。まずはこれでいい。ユーキはそう考えた。
だいぶ落ち着きを取り戻し、戦車長用のペリスコープから外を観る。少し先で森が切れている。その先は開豁地のようだ。あそこまで行けば、狙撃手の隠れ家となる森からは脱出できるだろう。
もうひといきだ。
左の繁みにマズルフラッシュを確認したのはその瞬間だった。




