01 戦車
ラバキア平野北部 ラバキア街道にほど近い森
帝暦1936年5月7日 15:00
うっそうと生い繁る木々をなぎ倒し、からみあう茂みを踏みつけて、一条の轍が、緑の海の奥に続いていた。森の名を「ラバキア樹海」という。
地面に刻み付けられた2本の筋を、導かれるように追って行く。やがて終着点。一両の戦車が、その巨体を静かに横たえていた。
車体のそこかしこに突き刺してある森の枝葉は、車体の輪郭を隠蔽する試み。拙いながらも一応はカモフラージュらしき細工を施しているようだ。
だから本来は戦闘車両であるはずのこの戦車も、森の一部(あるいは忘れ去られたきこり小屋)のように見せることに、ある程度は成功しているといっていい。
四六年式攻城戦車『ティタデレ』。
その外見同様、いかにも不恰好な制式名が、この鉄塊に与えられていた。
戦車の上辺部、屋根にあたる部分。戦車長用キューポラから小柄な上半身だけをのぞかせているのは、まだあどけない顔をした女の子、といってもいい年頃の少女だった。
けれども、彼女が身にまとうのは、その見掛けに似つかわしくない、黒く彩られた戦車兵の制服。さらに似つかわしくないことは、彼女の軍服の襟には”少尉”をしめす階級章が縫い付けている事だった。
グランシュタイゴン公国軍第2混成旅団第3戦車大隊第1戦車中隊第1小隊2号戦車長、ユーキ・ヨウダ少尉は、大型の双眼鏡を構えすばやくあたりをうかがうと、巣穴に潜り込むリスのように機敏にキューポラの中に滑り込んだ。その拍子に小ぶりな頭にのせた制帽が112号戦車の上部装甲板の上に脱げ落ちてしまう。慌ててそれを拾い上げたユーキは、重いハッチを勢いよく閉めたのだった。
少し息を弾ませながら、硬い革張りの戦車長シートに体を預けたユーキが、隣の砲撃手シートに座る少女へ声をかける。
「アシュカ、とりあえずあたりに気配はない。どうやら逃げ切ったみたいね」
「はい、こっちでも確認してます。正面も大丈夫そうですね。となれば、さっきの攻撃は偶発的なものでしょうか?」
『アシュカ』と呼ばれた少女は砲撃手用潜望鏡に顔を当てたまま答えた。この少女もまた、黒色の軍服の襟に曹長の階級章をつけている。どうやら少尉の部下のようだ。
「わからない。でももう殺気は消えてるわね」
「え、殺気ですか?少尉そんなのわかるんですか?」
アシュカ・サイート先任曹長は、ペリスコープから顔を離すや、ユーキに鋭い一瞥を投げた。語尾は疑問系のオブラートで包まれているが、その眼差しに、やや詰問の調子を含んでいる。
「う、まあ雰囲気よ、雰囲気」
その圧に押されたユーキは声を絞り出すのがやっと。ややうろたえた彼女にアシュカは容赦なくいい放った。
「ってかそういうの、マジでやめてください。ほんと、状況判断は客観的観測と合理的判断に基づいていただかないと。こっちは命かかってますし」
「わ、わかってるよ、アシュカ……さん」
階級は下とはいえ、先任、しかも四年兵である曹長に、ついつい敬称をつけてしまう。そんなユーキに、アシュカは畳みかけるように続けた。
「ならいいんです。想像力はもちろん一定の範囲で必要かもしれませんが、抽象的思考なんて、戦場では無用どころか害悪でしかないですからね……少尉?」
アシュカはそこまで言ってから、生気のない眼差しでユーキを見つめ、ぽそりと言った。
「は、はい?」
「死にますよ」
(うあ相かわらず当たり強いわ……)
ユーキはやや気まずい空気が残るのを感じて、アシュカの黒目だけになったような目線をそらすかのように、砲塔内部、ちょうどアシュカと背中合わせの通信手席に座る、もう一人の少女の方を振り向いた。
「モモちゃん、そっちはどう?」
『モモちゃん』と呼ばれたのは、モモ・オゾンノ上等兵。この112号戦車の通信兵だ。
素朴な風貌に相応しい、小さな声で彼女は答えた。
「……すいません、よだよ……じゃない、ヨウダ少尉、まだだめです」
目の前の通信パネルと格闘しながら、送話器に向かい本部応答願いますと、懸命に呼びかけていたモモだ。しかし通信手である彼女のヘッドセットには応答はない。つまりザーザーという空電音以外、なにも聞こえてこないのだ。
「もうずうっとコールはしてるんですけど、ぜえんっぜん応答ないんです。ノイズもひどすぎ。あ!」
はっと目を見開くモモ。その瞳がみるみる潤みはじめた。
「もしかして!本部やられちゃったんじゃ!?」
「モモちゃん、この際憶測はしないでいいから。とにかく通信の確保に専心して。あとは……」
ユーキはひとつため息をつく。
状況は最悪、というにはやや間が有るものの、限りなくそこに近づいている気がする。アシュカのささやかな反抗心など意に介してはいられない。
本隊とはぐれた。
その事実が重く、ユーキの心にのしかかっているのであった。