悪役令嬢と結婚した俺は、悪魔の囁きで帝国に復讐を誓う。2
教会は既に制圧した。
「──〈神は死んだ〉。あなたのしてきた事は全て無駄だった。あなたは心の拠り所を失ったのだ」
主の血を飲み干し、泣き崩れる神父。老婆はただただ十字架を見上げ、貧困者は隅でうなだれている。富める者は自己承認欲求を満たして不気味に笑い、俺は淡い光の中を歩いている。
告解(懺悔)の時間である。
俺の告解は既に済んでいる。
人は、だれしも心の空白を持っている。満たされる事のない乾いた欲望が新たな罪を生み出すと、そのたびに敬虔なる信徒は神に許しを乞いに来るのである。
人はだれしも貧困者である。人はだれしも貪欲で、人はだれしもおのれの欲望の事しか神に請わない。一見、人の幸せを願うお祈りも、結局は巡り巡って自身の願いである事に気付ける者は、そう多くは無い……。
──だからこそ、そこに隙がある。
壁の向こうに訪れたこの伯爵は、自身のした罪で思い悩み、今年もまた告解の儀式に訪れる。俺は、いや、私はそっと優しく、そして彼の肩の緊張をほぐすように囁くのだ。
「父と子と、精霊のみ名によって──」
二人はこの世界特有のお祈りを捧げる。私は続けてそっとつぶやく。
「回心を呼びかけておられる神の声に心をひらきなさい。神の慈しみに信頼して、あなたの罪を告白しなさい」
伯爵の息は少し荒い。唾を飲み込む音が聞こえる。何度も何度も口を開いては、出かかった言葉を飲み込んでしまっている。
だが私はそっと待つ。ただひたすらに待つ。彼にこうべを垂れ、壁の向こうにそっと耳を傾け続ける……。
次第に伯爵は平静さを取り戻すが、今度はすすり泣く声で、苦しむ声で告白を開始した。
「私は……私は、とんでもない事をしてしまいました……。頭から離れない。婦人の悲鳴、赤子の泣き声が止まる時……。──私は私なりに自領を統治して来た。努力して来た。欲に負けて税を使い、少し贅沢をしてしまった事もありました。だがしかし、そんな事など……いやそれも許される事ではないが、それさえも霞む様な事をしてしまいました……」
彼は鼻をすする。強く溜息をして、何かに耐えるかの様に咳をする。
「守る為だった。家族を守る為だった。脅されていたのです。力には叶わない。強い力が私を押しつぶしてきたのです。耐えられなかった。悪魔が笑っていた……」
そして伯爵は、意を決して断言した。
「私は、私はその……私は、ある村を……襲いました……」
私はいたって平静であった。私は伯爵に優しく返す。
「告白を続けなさい」
「はい、私は……。命令だったのです。逆らえるわけがない。私には守るべき領民も、家族も居る。だからと言ってやっていいとは思わない。だが、だが相手は遥か上の存在。逆らえるわけがないのです」
「誰が命令したのですか?」
「彼は、その存在は……皇太子殿下……です……」
「そうですか。貴方は何も悪くない。人はだれしも弱い存在なのです。それで、今後あなたはどうしたいのですか?」
「私は……分かりません。次は、もしかしたら私の領民、家族、息子、娘、妻、かもしれない……。そう思うと、あの時ついた血が、洗っても洗っても落ちないあの時の悪夢を見て目を覚ますのです。どうか助言をください。どうしたら救われますか? 何をしたら許されますか? 私はもう限界、耐えられ、どうしたら、どうしたら……」
伯爵は遂に泣き崩れた。苦しみが決壊した。彼は凍えるように震え、上半身を前後している。私は優しく囁く。濁ってはならない。光を想像して、通る様な声で彼に私は〈悪魔の囁き〉を実行する。
「──あなたに悪魔が忍び寄っている。あなたは、家族を守る為に剣をふるった。そして守った。〈あなたは間違ってはいない〉。領主として、父としてすべき事をして来ただけなのです。間違っていないのならば、迷う必要はりません。あなたは、家族や領民を守る為に、剣をふるい続けるべきなのです。相手がどんな強大な悪だとしても、です。〈戦いなさい〉。──では、神の許しを求め、心から悔い改めの祈りを唱えなさい」
伯爵はその気になった。泣き続けてはいるが、決心を感じさせる語気で祈りを捧げだす。
「神よ、慈しみ深く私を顧み、豊かな哀れみによって、私の咎を許してください。悪に染まった私を洗い、罪深い私を清めてください……」
「全能の神、憐れみ深い父は、御子の死と復活によって世をご自分に立ち返らせ、罪の許しの為に精霊を注がれました。神が教会の奉仕の務めを通して、あなたに許しと平和を与えて下さいますように。私は、父と子と精霊のみ名によって、あなたの罪を許します」
「────」
「神に立ち返り、罪を許された人は幸せなのです──……」
伯爵は告解室を去って行った。足取りは確かだった。そして私は耐え切った。殺してやりたい衝動を抑えきった。そして心の中で笑ってにやけた。一歩、また一歩と前へ進んでいる、確実に。
──俺は彼に、正義と言う名の暴力の衝動を植え付けた。
俺は、次のプロフィールを一目して教会を後にする。
通りかかった広間では、帝国の現状を語り、扇動し、聴衆を震え上がらせる片目の修道士が、赤い炎の傍で、人々を異様な空気で魅了している。修道士は俺をいちべつする。俺は歩きながら十字を切ってうなづいた。修道士はわかったと人々に、怒りの杖を地に突いて、天を仰ぎ見て叫ぶ。
「──高貴で神聖な血が嘘に汚されている! 蒼天は既に死んだのだ!」