魔女とコーヒー
都市のど真ん中にあるさびれた店がある。
といっても、その店は、外観は空き家にしかみえない、そこに入るものも、そこにあることも、そこに人がいることも周囲の人間にはわからない。その店は一部の人間にしか観測できず、利用できない。その店は、“魂”を失った魔女にだけその店は見ることができる。
ある魔女が一目でそれとわかる服(古びた帽子とぼろぼろのコスチューム)をきて、店に来店した。彼女の姿を見る人間はいない、彼女は魔力を補給しにきたのだ。彼女はいっぱいのコーヒーを注文した。店主は眼鏡をした長髪の男性で、心地よく彼女を迎え、コーヒーを彼女の座った中央テーブルへと運ぶ。
ズズズ、ズズ。
思い切って飲み干した。するとどうだろう、彼女の姿は、しわがのび、みずみずしい髪がのび、背筋がのび、若返りはじめた。
『これはどこのコーヒーだい?』
『この町の“涙”ですよ』
この町には古くから言い伝えがある、魔女は、村や町で虐げられたものたちを囲い、かぎられた集落をつくる。それはスラムの中にあって、その中は楽園なのだという。そして魔女と魔女は協力してその楽園を繁盛させているのだという。その集落を“魔女の涙”と人々は呼んだ。
『して、この前の“カラス”はどうなった?』
店主は後ろ髪を結びつつ、エプロンを直し、平然といった。
『“駆除”しました』
この店は、“魔女の涙”を管理する。人々の精気と死から、どす黒い魔力を集めてコーヒーとまぜ合わせ
魔女に提供する。魔女はそれを飲み、気力を保ち、魔力を保つ。唐突におろおろと魔女は涙を流す。すでに枯れはてたと思われた涙を、ある“カラス”のために流すのだった。
『あれは、優しい子じゃった、だがあれは生来うそつきじゃった、それが、我々のおきてを破る結果になったのじゃ』
『泣いているのですか?掟の中でしか我々は生きられない、都市にも捨てられ町でも忌み嫌われる我々は』
『あの子の“死”から生まれた魔力、我々はそれをまた糧にして』
『やめてください、やる気が失せるじゃないですか』
この町の魔女は、精気と死から魔力をえて、町の隅で虐げられた人々をかこっていきる。裏切りものと、自分たちに敵意を向けたものを魔力の糧として。
若くなった魔女は、またもや感傷にひたったようにぽつりぽつりと語りだす。
『私の旦那も、裏切りによって処刑された、ずいぶん、ずいぶん前の事だった』
『ええ、知っていますよ、あなたに何度もそのことをきかされた』
『だがお前と私とは100年も年が違うぞ』
『ええ』
魔女が話すには、かつてこの村はまるごと魔女を信仰しており、天変地異の恐怖と不安がその村を襲うたびに、魔女が手助けをしてきた。だが大いなる宗教が世界を覆うころ、魔女たちの信仰は異端とされ、宗教は“異端”祭祀は“魔女”という名前をつけられ、迫害された。その“異端狩り”に加担したのが彼女の夫だった。
『私は彼を告発した、それが良いことかどうか迷っているのだ』
『それは?』
店主は魔女を睨め付けるようにいった。腰の小刀に手を伸ばしながら……。
『我々“コトリの協会”の審判に対する疑問ですか?』
『いや、違う、“昔話”じゃ、審判に告げ口せず死んだ友人もいたと、そして“審判”に見つからず生き延びた友人も』
店主はすっと真顔になって魔女をみつめる。
『裏切りを考えておいでで?必要ならいつでもその命を頂戴いたします、苦い苦いコーヒーの一滴として、この町の糧になるでしょう』
『それには及ばぬ、それはまた今度、ただ、時折無性に心が空になる、あの時裏切ったのは、私なのか、彼なのか、そして、生き延びる先に、追い詰められた我々と同じものを助けるうちに、私の心の空白は満たされていくのか』
そういって、老婆だった女性は、綺麗になった顔を曇らせ、席を立ち、その場をあとにした。
カランコロン、ドアベルが音を鳴らす、店主だけが店に残り、ぽつり口走る。
『だれも、その過去の苦しみと喜びを知りながら、いまだ死の恐怖に勝つことはできずにいる、ただそれだけですよ』
魔女は長寿を約束される。この店主も似たようなものだった。だがその代わりに多くの苦悩を背負うのだ。自分だけ生き延びることと、後悔しながら、裏切りものを処分することと、そして正直な傷ついた仲間を生きながらえさせる事と、複雑な思いを抱えて。