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第6話

自慢じゃないが、俺、ひ弱なわりに小学校・中学校と無遅刻、無欠席だった。その輝かしい功績が、ここにきて途絶えてしまった。無念でならない。

その日の夕方意外な客があった。銀子である。

俺の家に友達が来ることなんて、今まで多分一度もなかったはずだ。母親はうきうきしながらお菓子と紅茶を置いて部屋から出て行った。

あれ?俺の分なくねぇ?普通、二人分出すだろ、母よ!

「ゆきぴろ、初めての取材だってはりきっていたじゃない?

 そんな昨日の今日で熱出したなんて聞いたから心配したよ。」

そう言って、銀子は俺にすすめられる前に茶菓子に手を出した。

いや、いいんだけどね。別に、俺腹へってないし。

「喜びなさい。ゆきぴろの為に、今日の授業分のノートを全部コピーしてきてあげたんだから。」

その瞬間、銀子がおたふくではなく天使に思えた。

「まじで!やった。超嬉しい。

 でも、誰のを?銀子はノートをとらないだろ?」

「上條に借りた。几帳面そうだからね。」

「上條君か。確かに、コレ超きれいにまとめてある。助かった~。」

「あはは。本当に勉強好きなんだね。そんなに喜んでくれるんなら、持ってきたかいがあるなー。ところで、どうだったの?昨日の取材は。」

俺は、ドイツ文学研究部での顛末を話した。

「へえ。濃いわね。

 ゆきぴろ、彼らの迫力にあてられちゃったのね。かわいそうに。

 で、これがその時もらった資料ね。」

銀子は、なにげなくぱらぱらとめくった。が、とたんにフリーズしてしまった。

あれ?銀子、はまっちゃった?

あ、これなんかスイッチはいちゃったぞ。

銀子が別の世界に行ってしまったので、俺はこれ幸いと銀子の持ってきてくれたノートのコピーを取り出す。今日、授業に出られなかったのが気がかりでしょうがなかったから、水を得た魚のようにさっそく机に向かい、今日の授業分を勉強し始めた。

かなり時間がたった後、部屋のドアがノックされた。

母親が顔を出し、勉強している俺、プリントを凝視している銀子をみて一瞬息をのんだのが分かった。

確かに変だよな、この状況。普通はわきあいあいと話でもするよな。

「銀子さん?もしよかったら夕飯食べていかない?」

と、母親が聞いてきた。

時計をみるともう、7時。いつのまにか、かなりの時間が過ぎていた。

「あ、すいません。お気遣いなく。

 もうこんな時間になっていたんですね。帰らなくっちゃ。

 家に電話をして迎えにきてもらいます。」

「あら、そう?

 ゆっくりしてもらっていいのよ?

 …それじゃ、おじゃましたわね。」

母親はいそいそと出て行った。

「ゆきぴろ、電話するよ?」

「うん、どうぞ。」

銀子はピンクのスマホを取り出し電話をかけた。意外にも色々な飾りがついていて、かわいい。デコっている。

「あ、じい?

 今から帰るから車まわしてちょうだい。

 それから、パウル・ツェラーンに関する書籍や論文を至急手配して。

 ええ、私の帰るまでにね。

 はい、ありがとう。

 それじゃ。」

…。

俺が、だまっていると、銀子は嬉々として話し出した。

「この詩、ものすごいわよ。

 死の香りが濃厚で、怖いくらい美しいの。」

「へえ。」

「今日、ちょっと色々調べてみるから、明日簡単に説明できると思うわ。

 こんなに夢中になるのって久しぶり。

 きたーーって感じ。

 なんだか、うきうきしちゃうね。」

いや、久しぶりじゃないと思うぞ。

銀子はいつも何かに夢中になっている。まぁ、うきうきできるのはいいことだ。

っていうかそれよりも!

「じいって何?」

「じい?うちの執事よ?」

「執事…ですか。」

「ああ、今はやりの漫画に出てくるみたいなイケ面執事とかじゃなくって、ちびまるこちゃんに出てくる花輪君とこのヒデじいみたいな執事なんだけどね。」

いや、あのそういうことではなくて。イケ面執事とかいう前にそもそも一般家庭に執事とかいないんですけど!

執事がいるってことは、お屋敷があって使用人が多数いるってことなんじゃないのか?

「銀子って、お譲様なの?」

「ウフフ。ゆきぴろ、普通お譲様なのって聞かれて誰もはいそうですとは答えないと思うよ?」

いや、銀子なら言いそうなんだけど。

「確かにちょっとだけ裕福だとは思うわよ。」

普段謙遜しないやつが、微妙な謙遜するとなぜだか知らないが腹がたつな。嫌みにしか聞こえない。

俺は自分の家が銀子にどう映るかちょっと気になった。郊外に立つすぐにも崩壊しそうなぼろい一軒家。

ふむ。心を無にする時だ。

すると、銀子のスマホが鳴った。

「はい。分かりました。今から行きます。」

そう答えて、電話をきると、俺に言った。

「ゆきぴろ、迎えが来たから帰るね。

 元気そうでよかったよ。」

「こっちこそ、コピーありがとう。めちゃくちゃ助かった。

 下まで送るよ。」

俺の部屋は二階にある。二人で狭い階段をみしみしいわせながら降りていった。

「おばさま、お邪魔しました。

 失礼します。」

銀子が、キッチンにいる俺の母親に向かって声をかけた。

「あらあら、おかまいもしませんで…。

 学校での幸博はどんな感じかしら。

 この子ったら、うちでは勉強しかしないのよ。」

母がいそいそと、見送りに出てきた。

「学校でも、授業中とかめちゃくちゃ真剣ですよ。

 うかつに話しかけたら不機嫌な対応なんです。

 でも、そんなところが、幸博君らしくてちょっと面白いです。」

「あら、そう言ってもらえるなんて、ありがたいわ。

 この子、不器用だから心配なんです。

 幸博、いいお友達ができたわね。」

いいお友達か…。

「…うん。」

俺は、なんとも気恥ずかしくなって、ぼそっと返事をした。

「銀子ちゃん、またいらっしゃいね。」

「はい。ありがとうございます。」

玄関を開けると、門の前には古いロールスロイスが。多分、第二次世界大戦あたりに製造された超レアものじゃないかと思う…。

スーツ姿の運転手がドアの前に直立不動で待機していた。

銀子が近づくとすっと、後ろのドアをあける。

「じゃ、また明日。」

「う、うん。また。」

銀子が革張りのシートに座ると運転手はゆっくりとドアを閉め、足早に運転席へまわった。

俺は、母と二人でぽかんとしながら手をふった。

銀子って謎だ。

やっぱり、人外生物なんだ。きっと人間に扮した宇宙人あたりだろう。

「ゆきぴろ、大丈夫?」

なんだよ、大丈夫って。

瞳の奴が、昨日からさも小さな子供に対するように接してくるのが気にくわない。

「だって、最近忘れていたけど、ゆきぴろってめちゃくちゃ繊細なんだもの。

 僕、過保護なママの心境なのよ。」

…余計なお世話だ。

「幸博、ご飯にするわよ。」

母親の声に、答えるようにお腹が鳴る。

瞳は、俺のお腹を指して言った。

「うふふ、喜んでいるね?」

そうみたいだ。胃がめちゃくちゃ、動いている。

自己主張しているのか?餌が欲しいと。

俺は要望に応えるためにいそいそと食事へ向かった。



銀子はその夜夢中になって、ユダヤの詩人パウル・ツェラーンについて調べまくったようで、翌朝開口一番にこう言った。

「理論武装はばっちりよ。

 なんなら、今日ドイツ文学研究部にのりこんで行って、彼らを論破することもできるわ。

 ゆきぴろのかたきをとってあげるわよ?」

俺はあわてて言った。

「いや、いい。ただ俺が軟弱なだけなんだから。

 いいよ。

 本当にいいから。ね?」

銀子は口をふくらませて、

「つまんなーーーい」

と、すねていた。まじで!勘弁して。

銀子なら本当に彼らをけちょんけちょんにしてしまいそうで怖い。後に禍根を残すようなことは、お願いだから、や・め・て。

「そのかわり、昨日の成果をゆきぴろは聞かなくちゃいけないんだからね!」

銀子の話を聞く方が眼鏡戦隊の議論よりも全然いい。

いざこざを起こさないでくれるのならば、そのくらいのこと甘んじて受けようではないか!

俺がこくこくうなずくと、銀子はまじめくさって詩人の話をとうとうと始めた。

あ、ちょっとトランス状態?

銀子の話を要約すると、こうだ。

彼の詩人はユダヤ人であるが故に第二次世界大戦下、両親と多くの同胞を強制収容所で失った。

また、彼自身も強制労働に従事した経験がある。

銀子曰く、その心の傷が彼の詩作の原動力になっているので、彼の詩は読む者に心をえぐるような強烈な印象を与えるのだそうだ。

詩人は多言語を操ったが、詩の創作にあたっては、自身と同胞に危害を与えたものたちの言葉であり、かつ自身の母語でもあるドイツ語を選んだ。

俺が一番心に残ったのは、彼と彼の両親との別れについてのエピソードだ。

詩人の故郷にもナチズムの魔の手が迫る中、彼の両親は一時的な避難をする気がなく、荷物を詰め込んで連行される為の準備をしていた。運命のその日、両親へ避難するように説得するのを断念した詩人は一人、家を出る。両親は自分の後について隠れ家に来るものと考えての行動だった。両親が彼について来ていないのに気づいた時には、外出制限時間を超えていたので、彼は両親を迎えに引き返すことはできなかった。

次の日の朝、自宅に戻ると両親は連れ去られており、その後、父の病死(銃殺されたとも言われている)と、母が首を撃ち抜かれて殺されたことを知ることになる。

衝撃的な事実だった。

俺は詩人のことで頭がいっぱいになった。

両親と最後になったあの別れの時を、彼は後悔せずにはいられなかっただろう。自分の説得次第で父も母も、もしかしたら死をまぬがれたかもしれないから。

結局彼は、生き延びることができたのに、亡命先のパリで最期は自ら命を絶ってしまっている。

自分がもし、彼の詩人だったらと考える。

最愛の両親や、親しかった友人、親族が殺されても、時は無常に流れていく。

祖国を追われてやっと平和を手に入れても、今度は置かれた状況の落差に胸を痛めたのではないだろうか。

自分だけが生き残ったことに対する罪悪感はどれほどのものだろう。

つらい記憶は思い出さないようにするか、抱えて生きるかのどっちかだと思う。

彼はきっと、後者だったんだ。

自分の民族が世界から消される危機。恐怖。

祖国がないということはどういうことだろう。常にマイノリティーであるということは。

孤立。迫害。被害者意識。そして、圧倒的な孤独。

「こらこら、ゆきぴろ!

 あんまり思い詰めない。」

ひたすら、心をとらわれている俺に瞳が話しかけてきた。うん。分かってる。でも、…考えてしまうんだ。

どうして、ってね。不条理を挙げればきりがないんだけど。どうして、ってね。

「まぁ、分かるけどね。

 ほどほどにね。

 あ~。ゆきぴろがもっと高校生男子らしく、色恋に目覚めてくれないかな~。

 恋をすると、人生はさ、毎日薔薇色って言うじゃない!朝目覚めた時から世界が変わるって~。

 僕もはやく、そんな経験してみたいんだよね。

 だから、ゆきぴろ、もっと浮わついてよ~。

 結局、リョーコとも進展しないし。ぷん、ぷん。

 最近、リョーコと学校で会う機会もめっきり減ったじゃないか~。」

そうは、言われてもなぁ。陣さんは陣さんで、俺は俺で部活動とか忙しいし。

って、なんだよ。

俺は別に、陣さんのことが、そのす…す…好きだとかそんなんじゃないぞ。ばか!

「ゆきぴろって、ゆきぴろって。

 はぁ。

 いつまでたっても純なんだね。

 そのままでいて欲しいような?でもいい加減、本能に目覚めて欲しいような?

 なによりも、このままなのは僕がつまんないー。」

瞳がじとーーっと見つめてくる。

俺は、そっぽをむいて知らん顔。

すると、野太い声がした。

「幸博自身が恋をしていなくても、ワタシは幸博が懸想されているとふんでおる!」

一番色恋に関係なさそうなビスマルクが声をかけてきた。

はぁ。何言っているんだよ。

俺に恋する女子なんていないだろう。

どう考えたって、おかしいだろう?

それだけは、はっきりと断言できる。自分で言うのも悲しいが、それを俺はむしろ確信することができるぞ!

ビスマルクはいかめしい顔を少し和らげ、嬉しそうに言う。

「いやいや、これは絶対だと思う。」

「いやに、自信ありげな感じだね。

 何?興味湧くじゃない。

 右足君は誰がゆきぴろを好きだと思うの?」

いつの間にかキューピッドのコスプレ姿になった瞳はうきうきしながら聞いている。

あ、宙返りした。そんなに浮かれなくても。

でも瞳の奴、笑っているけどその目がいつになくマジだ。こえーよ。

あの、勝手に盛り上がられても困るんですけど…。

「はっはっは。

 男子たるものそのようなことではいかんぞ。据え膳食わぬは男の恥という言葉を知っているだろう。

 いいではないか。」

…意味分かって発言しているんだろうか。

薄々気づいていたんだが右足、バカだろう。

「な…、なんだと。

 言うにことかいて、き…貴様何を言うか!無礼な!」

かっかするビスマルクはタコの様に顔を真っ赤にさせている。

そこを、にやにやしながら瞳が制す。

…瞳の奴が、一番たちが悪いな。

「まぁ、まぁ、右足君。おさえて、おさえて。

 で、誰なの?ゆきぴろなんかに恋をするなんて奇特なお人は?」

こいつ、やっぱりむかつく。

「おお。

 それがな、銀子だ!」

立派なお髭をそっとなでながら自信満々でビスマルクは言った。

「銀子!

 へぇ。

 またそれは…。

 どうしてそう思うの?」

「学校を休んだ幸博の為にノートのコピーをとって家までわざわざ届けにきてくれただろう?

 それに、幸博のかたきをとるために、論破できるほどの知識を一日で身につけたじゃないか!

 あれは、かなりの労力だぞ!」

何を言っているんだ。銀子のきまぐれに決まっているじゃないか。あれは人外生物だぞ。普通の人間の尺度が通用する相手じゃないんだ。

俺の思考を無視して、瞳は右足に同意する。

「うん。確かに、言われてみると銀子の行動の裏側にラブがないとは言い切れないかも。」

我が意を得たりと、ばかりに右足は深くうなずく。

「そうだろう?

 ふっふっふ。

 ワタシは銀子を押すぞ!

 いいじゃないか。生物学的にも最高だ。あれはよいDNAを持っておる。

 足も毛穴を見る限り立派な毛根を所有しているに違いない!」

結局、毛かよ。おい。

そういえば、右足のやつ以前にも銀子に3,000点とか言っていたな。単におまえが銀子を気に入っているだけじゃないか。

「でもさ、ゆきぴろ。

 銀子はよくいろんな話をしてくれるじゃない。

 価値観を共有したいっていうのはさ、ラブが動機にあるっていうの、案外否定できないんじゃないかな?」

いつになく、瞳が真摯なまなざしでせまってくる。

なんだよ。

…なんだよ、二人して。

そんなに、見るなよ。

特にビスマルク、顔が近い。

おっさんの顔でそんなに近づくな!

「ゆきぴろ、ちゃかさない!

 もし、さ。仮に銀子がゆきぴろを好きだったらさ。

 どうするの?」

瞳に呼応するようにギンと目を大きくして右足も後に続く。

「そうだ。幸博!

 どうするのだ?」

ええ。銀子が、俺を。

銀子が、俺を。

銀子が、俺を。

銀子が、俺を。

(エンドレスリピート)

俺の頭はオーバーヒート。


そんな中、銀子からメッセージが届いた。写真もついている。

添付データを開くと戦車のプラモデルが映っていた。

「かなりうまく作れたと思わない?このデキ最高!

 塗装がやばくない?

 去年一人で那覇まで行ったのに、台風が来ちゃったから基地がさら地になってた!

 ショック!

 せっかく色々見てやろうと思っていたのに。(ぴえん)」


…。

返事を打つ気持ちの余力なし。

その日の夜、熱がでた。


幸い週末だから学校を休まなくてすむのが唯一の救いだなぁと、眠りに落ちながら思うあたり、俺ってやっぱ筋金入りのガリ勉だな。

ところが次の日、意外にも熱はすんなり下がっていた。

知恵熱だったのだろうか?…恥ずかしいな。

俺は銀子のことを考えないようにする為に、パウル・ツェラーンの一番有名な『死のフーガ』という詩を読んだ。

そして、また思考のループに陥ってしまった。

死。

そのイメージは16歳の俺にはとても、とても強烈だった。

そして、おかしな話だがそれはとても、とても魅力的だった。

時折、そのイメージを邪魔するように銀子のことが頭をよぎる。

俺の頭はなんだかもうぐちゃぐちゃ。

いてもたってもいられなくなって、物置に置いてあったシャベルを手にした。それをかかえ、自転車でこぎだす。

シャベルは右肩にかけたんだが、なんとも邪魔だ。こぎにくい。俺は蛇行運転しながらゆっくりふらふらと進んで行く。(良い子はまねしないでね!)

本日は晴天。日本晴れ。青い空が見渡す限り、広がっている。

どうやったら自転車でシャベルを持ってうまくこげるのかを思考錯誤しているうちに、いつもの通学路を走っている。

特に目的地を決めていたわけではなかったが、気がつくと学校近くの川べりに来ていた。

あまりにあつく陽炎がアスファルトの上でゆれている。

こんなに暑いんじゃ休日の昼間から誰も外に出ようという気をおこさないのだろうなぁ。人が少ない。直射日光をわざわざ浴びに来る変わりものは俺くらいのようだ。

俺は真っ青な空を見た。

一つ、息を吸うと、シャベルを手に無心で穴を掘り始めた。

きっと『死のフーガ』に触発されていたんだろう。

穴を掘る。掘る。掘る。

ひ弱な俺が掘っても、ちっとも掘れない。

汗がひたすら流れ出る。暑い。心も熱い。

ふいに、土を空にむかってまいてみた。当然自分に降りかかる。俺は汗と土でどろどろだ。

「何してんだ?」

振り返ると、本山がいた。

どうやら部活の帰りらしい。いぶかしげな表情で近づいてきた。

「もやもやする思いをぶつけていたんだ。」

俺がそう言っても本山はばかにする風でもなくシャベルを俺の手からとった。

次の瞬間驚く俺をよそに、本山も土を掘って真上にまき散らし、頭からかぶっていた。

「げ、土が口に入った。」

しきりにぺっぺとつばをはいている。

なんだか、おかしくて俺は笑ってしまった。

すると、本山も笑っていた。

本山はシャベルを立てて寄りかかっている。

「分かるよ。

 どうしようもなく焦燥にかられたりすることあるよな。」

「へえ。

 本山君でもそんなことがあるんだ。」

そう言うと、本山は涼やかな目もとを細め笑った。

「あるさ。

 余裕なんてないよ、全然。

 好きな子のことになると、もう全然だめだ。」

そう言って、草原にぱたりと寝ころんだ。

俺も、無造作に寝ころんだ。

空はひたすら青かった。

「あっちーな。」

本山はつぶやいた。汗が後から後からつたってゆく。

俺もぽつりとつぶやいた。

「空を深淵に見たててみたんだ。」

本山は体を起して、こっちをみた。

「え?」

俺は、独り言のように続けた。

「それで、土を空に向かって撒いてみたけど、だめだった。

 自分に降ってきた。

 当たり前なんだけど、なぜか安心した。」

本山は空を見て言った。

「空を深淵に見たてるか。

 うん。足がすくむな。こんなに真っ青で吸い込まれそうな青空に落ちて行くと思うと、恐怖すら感じる。

 なんで、そんなあべこべなこと考えるんだ?」

「昨日聞かされた論説で、そんな記述があったんだ。」

「あ、まてよ。その話、俺も聞いた。

 銀子だろ?

 確か、パウル・ツェラーンの『子午線』って言っていたかな?」

「そうそう。それ。」

二人でしばらく青空を眺めていた。ぎんぎらぎんに照りつく太陽。大声でなく蝉。

じっとりとひたすら熱かった。

そして、空はやっぱり青かった。

「我々はどこから来たか 我々とは何か 我々はどこへ行くのか。」

本山がふいに言った。

「ゴーギャンの絵画の題名だったっけ?」

「うん。

 死に接したら、特に強く意識する問いだよな。」

流石に、寺の息子。死に接する機会も多いんだろうなぁ。庭に墓があるくらいだもんねぇ。

『我々はどこから来たか 我々とは何か 我々はどこへ行くのか』、ね。うん。

「答えのない永遠の命題か。

 人は、科学、宗教、哲学、色んな手段で答えを見い出そうとしている。」

俺は両手を空にのばした。

空は依然として、遠かった。

「初対面で、嫌な口聞いて悪かったな。」

本山はぽつりと言った。

俺は上半身を起こして本山に言った。

「うん。

 陣さんにも同じようなこと、言ったんだって?」

「げ。それ、知られているんだ。」

本山は、ばつが悪そうだった。

「本山君って、銀子とどういう関係なの?

 接点が見えないんだけど。」

本山は少し、照れくさそうに笑った。いつもツンツンしている男前がはにかむ様子がなんだか意外だった。

「俺の片思い。

 中学の時、陣を目当てにハンドボールの大会に来ていた銀子に一目惚れしたんだ。」

…。

…。

銀子に、一目惚れ。

…。

…。

銀子に、一目惚れ。

え?

え?

俺がぽかんとするなか、本山は話を続ける。

「俺って、自分で言うのもなんだけど、もてるんだ。

 女子に意識されているのも分かるし、それって当たり前だった。

 けど、銀子は別。

 俺のことなんてまるで眼中にないんだよな。当時は、陣に腹が立つほど嫉妬して、思わずレズじゃないかと心配して、焦って変なこと聞いて。

 そして、お前。

 今まで、男と話なんかしなかったやつが、男と楽しそうに話をしているだろ。

 お前に、おかまかって聞いたのは、そうだといいと思ったからなんだ。実際、山根って、中性的だしな。

 な、俺、全然余裕ないんだ。」

蓼食う虫も好き好きとはいうが、本山!目を覚ませ!

相手は、人外のおたふくだぞ!

なにも、あんなのに恋なんかしなくても。

なんで銀子なんだ?

おかしいだろ!

そんな、俺の煩悶をよそに、本山はマジに聞いてくる。

「おまえって、銀子のことどう思う?」

…。

ないわー。絶対ないわー。

「僕?いい友達だよ。

 何、僕のことなんか気にしているんだよ。君ならたいていの女子は落とせるんじゃないか?」

本山は顔を背けて人差し指で頬をぽりぽりとかいた。なんだか、すねているみたいだ。

やだ、かわいい。男の俺をきゅんとさせている場合じゃないぞ。

俺は、猛烈に本山の肩をゆさぶって言ってやりたかった。

なんでこともあろうに銀子なんだ?って。

本山はぼそりと言う。

「たいていの女子に、あいつはあてはまらないんだよな。」

「確かに。」

「俺、こないだ銀子に何気なく聞いてみたんだ。

 好きなやつはいるのかって。」

え。それって何気ない?むしろ核心ついちゃってるよね?

本山!おまえ、なんて一直線なやつなんだ。俺にも銀子のことをどう思っているのか率直に聞いてくるし。直球ばっかりじゃないか。

でも、そういうのが恋なのか?誰もがうらやむ男前からも余裕ってやつを奪っちゃうのが恋ってやつのマジックなのか?

って、銀子の好きなやつか。誰だ?

俺はどぎまぎした。…お、お、俺か?

「銀子なんって答えていた?」

俺は緊張のあまり、声が震えていた。

本山はとたん渋い顔になって答えた。

「どこぞの国の王子の名前をあげていた。」

「はあ?」

「なんでも、世界のロイヤルファミリー特集でみつけたんだそうな。

 あいつ、それに狙いをつけて綿密な人生計画までしていた。」

「…。

 本山君には言いづらいけど、なんかその王子が気の毒に思えてしまう。」

「はは。

 冷静に考えると、普通ならあんな子、手に負えないよな。

 でも、簡単には諦められないんだ。

 俺は、それだけの価値がある子だと思っているよ。」

「…。」

俺はいっきに疲れてしまった。

銀子のことで悩んでいたのはなんだったんだ?

でも、銀子が好きなのが俺じゃなくて本当によかった。

まじで!色んな意味で!

本山が首からかけたタオルで汗と泥をぬぐいながら言った。

「なぁ、ちょっと暑すぎだよな。

 かき氷、食いに行かね?」

「あ、それいいね。」

「だろ?」

そうして二人、かき氷を食べに行った。

やっぱり、シャベルが邪魔で蛇行運転する俺。本山に愉快そうに笑われた。

手動で機械を動かして細かい氷を作っている昔ながらの店が近くにある。そこの軒先に腰掛け、氷を食べた。

風鈴が涼しい音を時折奏でる。

泥まみれのまま食べたそれは今まで食べたどのかき氷よりもうまかった。

俺達はみぞれを注文した。水がいいから、ここの氷はみぞれで食べるのが一番なんだ。

「そう言えば、お前はいないの?」

本山がせっせと口に氷をかきこみながら聞いてきた。

「何が?」

「好きなやつ。」

「…。」

俺は赤面して、スプーンを落としてしまった。落としたそれを俺はハンカチでこまめにぬぐう。

本山はにやにやしながら聞いてくる。

「なんだよ。誰なんだ?」

俺はもごもごしながら言った。

「よく、分からないけど、陣さんが気になるかな。」

すると、今度は本山がスプーンを落とした。

なんだよ。なんで固まっているんだよ。

本山はスプーンを拾いながら目をふせて聞いてきた。

「おまえって、陣が試合に出ているのを観たことあるか?」

落としたスプーンを本山がズボンでごしごしとこするのが見えた。

「いや、ないけど。」

すると、本山は渋い顔をして言った。

「観に行ってみるといいよ。」

「なんだよ。」

「ハンドル握ったら人格変わるっていう話あるだろ?」

「ああ。」

「陣も、そのタイプだ。…試合を観に行けよ。

 ぶっちゃけ、すごいぞ…。」

「…。」

それから、二人で黙々とかき氷をかきこんだ。

きっと、互いに互いをもの好きなやつだと思っているんだろう。


その日から、本山は気の合う友達となった。


本山と別れ一人になると、瞳が腹をかかえて出てきた。

「あはは。

 流石銀子、恋愛にしてもスケールがでかい!

 超うける。」

何笑っているんだよ。おまえらのせいで、俺がどんなに悩んだか。

くそ。なんか、めちゃくちゃばかみたいじゃないか。

「いやいや、それこそが青春。まさに青き春!

 けっこう、けっこう。」

ビスマルクが満足そうにひげをなでる。

な・に・が、けっこう、けっこうだ。このバカちんが!

もとはと言えば、お前が変なこと言ったせいじゃないか。

腹立つ~。

「そういや、ゆきぴろ!」

なんだよ!話しかけるなよ。

「新聞部の取材ってどうなったの?」

しまった。忘れていた。

パウル・ツェラーンのことなら記事はかけるんだけど。あいつらの活動については全然記事なんてかけないぞ。

「じゃ、もう一度行くしかないな。」

なんでもないようにビスマルクが言う。

げ。また、あの眼鏡レンジャーと会わなくちゃいけないのか?

「何を、腰ぬけな。

 男子たる者、リベンジするくらいの気概がなくてはいかん。」

ビスマルクがギロっとにらむのを、瞳が「まぁまぁ」と、とりなすかと思いきや、

「社会勉強♪社会勉強♪

 ね?」

と、逆に一緒になってすすめる有り様。

くそっ。

あーー。月曜日、学校に行きたくない~。

「勉強大好きのゆきぴろから、めずらしい発言が聞けたものだね♪

 大丈夫だよ。こないだこなかった他の部員と一緒に行けばいいんだから。」

…他の部員、あいつら来てくれるのだろうか。

はぁ。

まぁ、考えても仕方ないか。

よく考えたら、入学してからずっと、俺の生活はどたばたしている。なんか、ちょっとげんなりするな。

先が思いやられるが、中学の時のように波風たたぬ世界でぼっちでいるよりは、よっぽど充実している。友達もできたしな。

とにかく、今日は帰ってさっさと風呂に入るか。一刻も早く、汗と泥を流してさっぱりしたい。

俺は、瞳とビスマルクを無視してさくさく進み、自転車にまたがる。

「そうだ!がんばれ、ゆきぴろ!

 いけいけ、ゆきぴろ!

 負けるな、ゆきぴろ!」

何を浮かれているんだか、瞳はいつになくはしゃいでいる。羽をぱたぱた言わせて、このくそ暑いのに俺の周りを行ったり、来たり。

う・る・さ・い、瞳!

ぶんぶん飛んで、まさに『五月蠅』、だな。

俺の多難だけれども、能動的な日々がにわかに色づき始めようとしている。俺は高揚していた。

DAY by day.

惜しむべき毎日だ。

今日の俺と明日の俺、違いはわずかだが、日々積み重なって着実に違う俺へと変化していく。子供でもなく、大人でもないこの過渡期に、俺はたくさんの経験をして、もっともっと色んなことを知って吸収して…。

「ちょっと、ちょっと。何を一人で勝手に盛り上がっているの。

 あえてあえてつっこまなかったけど、ゆきぴろの初恋、全力で応援する気満々なんだからね!」

俺の思考をちゃかすように、キューピッドのコスプレ姿の瞳は、はちきれんばかりの笑顔でVサインをした。

はぁ。頭痛がしてきた。

とりあえず、俺は陣さんの試合を観に行きたい。

よろよろと自転車をこぎながら帰路につく俺の頭の中では『煌めく時に捕らわれて』のサビが大音量でエンドレス・リフレイン。

夕日に染められた世界が眩しいほどに輝いている。



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