第5話
ゲリラ豪雨もあたりまえになってきて、日本列島が熱帯雨林化しているのをひしひしと感じる梅雨も明け、季節は初夏を迎えようとしていた。
今日も朝から蒸し暑い。
熱いだけでも気がめいるのに蝉のうるさい鳴き声がさらに癇に障る。
少しの涼を求めて、皆、下敷きでぱたぱたとあおいでいる教室はちょっと異様な感じがする。
今日もいつものように一日が終わろうとしていた。
銀子は、せっせと俺に趣味をおすすめしてくる。アニメやドラマや演劇、クラシックとジャンルは幅広い。
(BLはさすがにご勘弁願った)
「価値観を共有する為には労力を惜しまないわよ。」
と言って、いそいそとプレゼンするのだ。俺は大した感想も言えないのに。何をどう見込まれたものか…。
いや、まてよ。俺の中に銀子の趣味を受け入れる要素があるっていうのを見越しての行動だよな?
うーーん。
だがおかげで、俺の小さな世界は確かに広がったような気がする。
玉塚歌劇や歌舞伎の世界を理解するのはちょっと、俺には厳しかった。
なぜって?あれは、睡眠導入剤の役割を果たすのだ。寝付けない時にお勧め。すぐに寝られる。効果は絶大。あくまで、俺の場合の話だ。
ところで、アジア系のカルチャーが熱い。全く興味なかったが意外といける。
俺、最近世界的に有名な韓流の某アイドルグループにはまっている。おおっぴらには言えないけど。だって、男子高校生が男のアイドルが好きだなんて、おおっぴらには言えないじゃん?人間、どんな時でも客観性を持っていなくちゃいけないからな。だから、俺は好きなことは誰にも言っていない。
彼らダンスも、曲もいい。のれるんだ。特に、グループのリーダーが最高。男の俺から見てもかっこいい。
最新曲のPVなんて見始めたらエンドレスだ。めちゃくちゃ、熱い!最高だぜ?
こないだ初めて美容室デビューをして、髪型を韓流に寄せてみた。アシンメトリーの髪型なんだ。自分的にはちょっとした高校デビューのつもりだったのだけど、誰も気づいてくれなかった…。地味に悲しい。
使ったことなかったワックスも手に入れて毎日朝からちょちょっとスタイリングをしている。できあがりは、悪くないはずだ。ちょっとだけアイドルスターに近づけたようで嬉しい。卒業したらカラーにも挑戦してみたい。
って、コレ銀子の洗脳か?
あれ?
銀子の布教活動、もとい啓蒙活動(?)も、功を奏しているようだ。
また、中華ドラマにもはまっている。華流というらしい。
漫画的な超人がでてくるのが面白い。
俺的に心くすぐられるのが以下の中華時代劇あるあるだ。
・血を吐く(色んなパターンの吐き方がある)
・空を飛ぶ(なんちゃってで飛ぶ場合と剣に乗ってガッツリ飛ぶパターンがある)
・薬が魔法のように効果覿面(針治療も効果覿面/現代医学を超えるレベル)
・体のツボをつけば人間の動きがとまる
(逆につぼをつけば動けるようになる)
・崖から落ちても死なない(ただし主要キャラに限る)
・主人公がドアマット(踏みつけに)にされる
(恋の相手役〔ヒロインorヒロー〕もドアマットにされる)
つっこみどころ満載だが妙に癖になる。
1話45分のドラマがだいたい60話、70話もある。時間泥棒だな。
中華の3Dアニメのクオリティもやばい。
某FFゲームのような映像美。
アジアカルチャー熱気がたまらなく面白いと思う。
大学に進学したらアジア系の言語の講義をとるものいいかもしれないな。
銀子にはオスマン帝国を題材にしたドラマも勧められているのだが…はまるのがこわい。
夢中になるものが増えたおかげで勉強がおろそかになってきているのが今後の課題だ。
いまさらだとは思ったが、本山と銀子の接点について、こないだ銀子に聞いてみた。
「ああ?本山君?
うっふっふ。
ね、ゆきぴろって、ギャップ好き?」
「ギャップ?」
「そうそう、ギャップ!」
「よく、分らないな。」
「分からないの?
私、ギャップに弱くってさ。
本山君がただのイケ面じゃないことを知って、興味が湧いちゃったの!
再び『友達になってね攻撃』を発動しちゃったんだ♪」
なんて、無謀なことを…。
俺は、銀子が本山にひどいことを言われていないか心配になった。
だって、ああいう外見のいい奴は、外見がよくないやつや、ちょっと普通じゃないやつのことを、たいていよく知りもせずにばかにするだろう? 俺が卑屈なだけか?でも、俺の経験上はそうなんだ。
「大丈夫だった?」
俺が聞くと、銀子はきょとんと言った。
「大丈夫って、何が?」
「…。いや。」
「変なゆきぴろ。
でさ、ギャップってなんだと思う?
彼ね、実は寺の息子なのよ!」
「へえ。それのどこがギャップなの?」
「え?だって、面白いと思わない?いまどきの男子と伝統的な寺の組み合わせが!」
「よく分らないけど、萌と関係があるの?」
「そう、それ、萌~なの!」(恍惚)
銀子は、どんな時も、どこまでも銀子なのだと、俺はある意味感心させられる。
俺は、本山が銀子のことを傷つけなかったようなのでちょっと安心した。
話はそれで終わったものだと思ったが、本山に関する話はなおも続いた。興味のあることを夢中で話す銀子はどんな時よりも生き生きとしている。
「でね、本山君のお家って、もちろん寺だから庭にお墓がたくさんあるんだって。」
「へえ。」
「それでね、本山君が小学校の高学年だったある日の草木も眠る丑三つ時にね、庭からカーン、カーンって音が聞こえてきて目が覚めてしまったんだって。」
え!ちょっと、いきなり話の流れが怪談になっていないか?
俺、めっちゃくちゃびびりだから正直困るんだけどなぁ。コレ聞いて今日、家に帰ってトイレ行けなくなったらどうすんだよ。
いや、それよりも風呂だな。風呂の方が困る。
だって、シャンプーしている時に、後ろに何かいるかもしれないとか考えると、めっちゃめちゃ怖いじゃないか。
でも、怖いと思っていても聞きたくなるのが人間心理の不思議さだよな。
俺は、話の展開をちょっと期待しながら銀子に尋ねた。
「丑三つ時って正確には何時なのかな?」
「ええとね。午前2時から2時半だよ。」
「流石、秀才。
さっと答えが出てくるなんてすごいね。」
「エッヘン。まかせて。
それでね、本山君はその音がどうしても気になって庭にそっと一人で出てみたんだって。」
「へぇ。勇気あるなぁ。
俺だったら布団かぶって気付かないふりして寝る。」
「ウフフ。ゆきぴろらしい。
そしたらね、なんと庭の真ん中にある一本の木の所に白装束を着た女の人がいたんだって!」
「え…。それってもしかして…?」
「そう、額にろうそく二本さしてたって。
呪いの儀式だよね。あの、藁人形に釘をさすって言う。」
「げぇ。それ、幽霊じゃないじゃん、人間じゃん。
こえーー。むしろ、幽霊より怖い。
ってか、普通にそれ不法侵入だよね?
通報したのかな?」
「本山君、気付かれないようにそのまま布団に戻って寝たって言ってたよ。」
「わぁ。それも変。普通、親を起こすとかしないか?
豪胆って言えば、豪胆なのかも知れないけど…。」
「そうねぇ。寝ぼけているんだと思ったんだって。確かに、リアルじゃないかも。
本山君には言わなかったんだけど、あの儀式って呪っているところを誰かに見られたら、いけないんだよね。
確か、見られた相手を殺さなくちゃいけないって聞いたことがある。」
「…。壮絶。」
「だよね~。
本山君、その女の人に見つからなくってよかったよねぇ。」
「見つかった時のセリフって決まっているよね。」
二人同時に声が重なった。
「み~た~な~。」
ふふふと、笑い合って、俺は言った。
「いくらなんでも、子供相手に…殺すなんて、そこまでするかなぁ。」
「するでしょ。
だってまともな神経していたら、そもそもそんなことを夜中にやらないって。
本山君、次の日にその木を見に行ったら、幹に釘でさした穴がちゃんとあったって言っていたわよ。」
「げーー。
寝ぼけていたんじゃないってことかぁ。びびっただろうなぁ。」
「ね~。今でもしっかりと残っているんだって。」
「まさか、今でもその女の人、定期的に通っていたりしないよな。
釘で刺した穴が増えていたりして…。」
「まさか。…定期的って、いくらなんでもないと思うけどね。
嫌なリピーターよ、それ。
あ、でも今度聞いとこう。
でも、呪いなんて、よくやるわよね。
『人を呪わば穴二つ』って言うのにねぇ。」
「それ慣用句だっけ?『人を呪わば穴二つ』。
呪った人も呪われた人も殺されるって意味だよね。
本当にそうなのかな。」
「そうね。慣用句になるぐらいだものね。
戒めの為に言われているのかもしれないけど。
そう言われてみれば、気になるわ。
うん、どうなのかしら。
そもそも呪いって世界中であるわよね、古今東西。
…気になるじゃない。」
銀子がまた変なことに夢中になりそうな予感がする。
ああ、銀子の奴、明後日の方向見て何やらめちゃくちゃ考えているぞ。
やっぱり、俺は巻き込まれることになるんだろうな。むむむ。
どうせなら本山に、寺でクリスマスはどうするのかを聞いてもらいたい。
本山が子供の頃、家にサンタは来たのだろうか?煙突はもちろんないだろうしなぁ。墓石をまたいでやって来るっていうサンタはちょっと面白いかも。ホラーサンタ!
変なスイッチが入ってしまった銀子のことはほっといて、陣さんの話をしよう。
陣さんとは、あれから銀子を通さずともちょくちょく話せるようになった。
彼女には、なんというか華があるんだ。一緒にいると、ぱっと世界が明るくなるように感じる。
ただ、ああやっぱり銀子の友達なんだなって思ったことが一つある。彼女が、恥ずかしそうに自作のポエムノートを見せてくれた時だ。
俺は、期待に満ちた陣さんの輝く瞳にプレッシャーを感じつつページをめくった。
~色立体~
強烈な存在感。そして主張のない静寂。
それは、見る者の気分、感性で変じる。
全てを手にすることは不可。されど、可能性は無限大。
日々入れ替わる色模様。
答えが出ぬまま混じり合え。
明日にはきっと見つけるはず。
そう、自分だけの色が。
うーん。正直分らない。
色立体って、美術室で見たことあるぞ。色の明度と彩度が一目瞭然に分かるように立体的に配置されたものだよなぁ。
むむむ。
ちらっと見ると、陣さんが依然として期待に満ちたあの目で俺を見ている。
コメントに窮した俺は冷や汗が出てきた。
焦って、次のページをめくってみる。
~恒星~
真昼の星が悲しくて、木漏れ日を見えない星に例えた。
太陽に消された無数の星たち。
夜になっても、今度は都会の光に消されてしまう。
私も同じ。かたすみで光る小さな存在。
だけど、星たちは自分の銀河では主人公。
そして私も、自分の人生の主人公。
そうよ。どう輝くは私次第だわ。
後悔しても納得できるように歩いて行けば、星くずのように光る軌跡が残るはず。
おお、こっちは、なんとなく共感できるかも。
でも、読んでいてちょっと恥ずかしいのはなぜだろうか。むずむずするなぁ。
俺は、なんともコメントに困ってしまった。
それで、正直に、
「よく、分らないけど、でも共感できるよ」
と、言った。
陣さんは、それで満足してくれたらしく、また恥ずかしそうに笑った。
俺はついついその笑顔にみとれてしまう。
彼女、体育会系と思いきや文学少女の一面もあったんだなぁ。それが、なんとも意外だった。
そうか、こういうことが銀子の言っていたギャップってやつなのかな?
もっと陣さんを知りたい。心臓がトクトクと音を立てた。
そんな矢先、帰宅しようとしていた俺は、部活前の本山と陣さんが体育館の前で二人いっしょに楽しそうに話しているところを目撃してしまった。
いつの間に、あの二人は仲良くなったんだろう。
地味にショックを感じる。
部活の練習場所が同じだもんなぁ。そりゃ、毎日顔を合わせるよなぁ。
背の高さといい、二人の持つ人目を引く華やかさといい、正直絵になるような光景だった。
その時俺は、いいようのない胸の痛みを覚えて…。そして、本山がとても憎らしく思えたのだった。
「ふふふ。ゆきぴろ、恋だね!」
瞳の奴が、キューピッドのコスプレ姿で現れた。
「今日から僕は、恋の伝道師さ!」
…相変わらず理解し難いから。たのむから、余計なことはしないでくれ。
「あれ、恋している自覚、すでにあった?否定しないんだね。」
恋って、恋って、恋なのか?俺が?陣さんに?
よく分からないぞ。
「そうかな?
しらばっくれても無駄だよ?
僕は君の目だからね。君が、よくリョーコを探して瞳をさまよわせているのに気がつかないとでも?」
そうかな?なんかマインドコントロールして無理やり話をすすめてないか?
自慢じゃないが、俺は誰と話をする時も今もってどきどきするんだぞ。情けない話だが。
まぁ、人と話せるようになっただけ進歩だと思っている。そんな状態で、恋なんてできるわけもないじゃないか。
すると、芝居がかったしぐさで、さも分かってないなーという表情をして、瞳が言う。
「…。恋なんて、知らないうちにかかってしまう病気なんだよ、ベイベー。気がついた時には手遅れなのさ!
初心者のゆきぴろには自覚すること自体が遠い話みたいだね。
僕、ゆきぴろがリョーコに恋しているに3,000点!」
なんだよ、なんで3,000点なんだ?何点満点だよ。
右足が、野太い声で続く。
「じゃ、ワタシは銀子に3,000点!」
銀子。絶対、ありえないと思う。断言できるぞ。
「じゃ、僕は、2組の上杉さんに2,000点!」
って、この声、誰だよ。左足か?上杉さんなんて、知らないし。
体毛が薄いからって理由じゃないよな?
「僕は、本山君に2,000点!」
って、俺はおかまじゃないっつーの。
ネタにするなよ!
もうつっこまないからな。
「僕は、8組の鈴木さんに4,000点!
あの上腕二頭筋がたまらなく魅力的。超最高。
芸術品だよ?」
上腕二頭筋って、ピンポイントだな。さては、お前、腕だな。
どんな女子だよ。逆に興味がわくじゃないか。
っていうかもう、知らない!
またいつものように、唐突な自分自身の部位達の勝手な言葉に振り回された、俺。
だけど、あの時の二人の姿は染みのように、妙に心に焼きついてじくじく痛い。
部活の話をしよう。
散々どの部に入るか迷ったあげく、俺は新聞部に入った。新聞部の取材を通して俺の小さな世界がもっと広がるんじゃないかと思ったんだ。
取材をするにあたって人と話すのは苦手なんてこと、言っていられないだろう?
そういう意味でも、いい機会だと思うんだ。『習うより、慣れろ』っていうし。
いざ、ミジンコのような俺のコミュニケーション能力を育まん!
今年の新入部員は俺を含め15人。上級生との垣根もなく、わきあいあいとしたいい部だ。
一人、友達ができた。俺と同じ様なタイプのおとなしい奴。そいつ、いつもノートを持っているんだ。いつも記事が書けるようにってね。
中村っていうんだが、意気投合したのは、歴史の話がきっかけだった。
俺、幕末が大好きなんだ。そして、中村もそう。あいつは、坂本竜馬が好きなんだ。
坂本竜馬には逸話が絶えない。バックには謎の人物がいるっていう話から始まる絵空事のような陰謀説まである。中村は、その話をきっかけに様々な幕末の陰謀説に夢中になったんだそうだ。そして、今の社会でも、陰謀説というのは数限りなくある。
中村は一人考えた。
誰が世界を動かしているのか?
何が時代を動かすのか?
世界はどうなっていくのか?
そうしてある時、今生きているこの時代も歴史の一部なんだということに、はっと気づいたんだそうだ。それで彼はジャーナリストになって、歴史になっていくこの時代を追いかけようと決めたのだと言う。
将来のビジョン。夢かぁ。
中村がきらきらと語るのを聞くと、俺はちょっとおいてきぼりをくらったような気がして焦る。
瞳がしゃしゃり出てきて言った。
「僕も、あんな目の輝き方をしたいんだ?素敵でしょ?」
…嫌なプレッシャーだな。
二年から文系と理系にクラスが別れるから、一年のうちに自分の進む方向性は決めとかないとなぁ。
今まで、数学が好きだから、漠然と理系に行こうとしか考えていなかったけど、それじゃだめなのかもしれない。自分が将来なりたいものの為の選択をしないといけないんだよなぁ。
将来のビジョン。
俺は、まだまだ模索中。
それは、さておき新聞部の話に戻ろう。
新聞は2か月に1回発行。
毎回、小さい枠だけど、各部活の簡単な特集を組んでいる。今回新入部員にその枠の記事がまかされることになった。
ちょっと、はりきる俺。三人一組で一つの部を取材することになっている。俺のグループに割り当てられたのはドイツ文学研究部。
うん、かなりマニアックな感じ。
で、今日がその取材日なんだな。
なのに、他の二人が、用事ができたなんて言ってきた。
うち一人はアマチュアゴルファーで学校にあんまりこないんだ。今日もどうやら予選に出ているらしい。
そして、もう一人は構内で一躍有名になった女の子。ギャルっていうのかな?
ある日突然、髪を鮮やかなピンクに染めてきた。注意した教師に正面切って盾突くものだから、生徒指導室に連れて行かれて噂になっている。
取材がある今日も、なにやら教師ともめている様子。
こないだ部活で会った日に、こう文句をぶつぶつ言っていた。
「私、校則ないって聞いたから頑張ってこの高校に入ったんだよ?
なのに、染めちゃいけないなんて、なしじゃない?
頭に来たから、今度はピアスをもっとたくさんあけるんだ♪」
そう言う、彼女の左耳には既にピアスが3つもきらりと光っていた。
校則がないのは、生徒の自主性を重んじての建前で、「自由」って言っても常識の範囲内でやらないといけないと言うのが教師の言い分なんだろう。
明文化されていないのに守らないといけない暗黙のルールの存在。社会にでれば俺たちはもっとこの矛盾にぶち当たることになるんだろ。
唯々諾々と受け入れる俺みたいな人間と彼女のように抗う人間。どちらが自分らしく人間らしいといえるのだろうか。彼女の抵抗はとても純粋で強烈で魅力的にみえる。
そんなわけで俺、仕方なく一人でドイツ文学研究部の部室に向かっているところ。
「一人でやれるのかな?心配だ。」
いつになく、しおらしい声で瞳が話しかけてきた。
なんだよ。気持ち悪いな。
「いや、ゆきぴろ。はりきるのはいいんだけど、本当に心配しているんだ。
悪いこと言わないから、後日改めますって言えばいいじゃない。」
でもなぁ、俺いつになくなんかやれる気がするんだ。
まぁ、部室に入って様子をみてからでもいいじゃん。こりゃだめだって思ったら、出直せばいいんだし。
「どうしたの?熱でもあるんじゃない?」
おおげさだなぁ。
「なんか、変だよ。
本当に、熱でもあるんじゃない?」
そうこうしているうちに、指定された教室についた。俺はためらうことなく、教室のドアをがらっと開けた。
教室内には4人の男子学生がいた。教壇の前あたりに各々好きなようにばらばらに座っている。突然現れた闖入者を気にすることなくみな静かに、手元のプリントに目を通している。
ど…、どうしよう。なんかめちゃくちゃ話しかけづらい雰囲気なんだけど。
俺が、もじもじしつつも、
「こんにちは」
と声をかけると、その時になって初めて人が入ってきたのに気づいた様子。
一番手前に座っていた一人の男子学生がきさくに話しかけてきた。
「あ、新聞部の人?」
「はい。1年の山根です。
今日は宜しくお願いします。」
「こちらこそ、宜しく。僕は2年の佐々木。あっちの黒ぶち眼鏡が花山で、牛乳瓶の底みたいな眼鏡のやつが、木村。で、こっちのピンクの眼鏡が河野。」
すごい、オール眼鏡だ。しかも、なんか個性的なのばっかり。佐々木さんの眼鏡が一番変だ。だって、眼鏡の耳にかける部分が普通の眼鏡の半分しかない。こめかみで固定するタイプ。気のせいか佐々木さんのこめかみのあたり赤くなっているっぽい。
痛くないのか?いや、痛いよな?あれ、絶対に痛い。
きっとなんか変なポリシーがあるんだ。銀子みたいに。あいつも何かといちいちこだわっているからな。
どうしてその眼鏡をチョイスしたのか聞きたい。でも、取材と全然関係ないし。うーーん。もやもやする。
いやいや、そんなことどうでもいいじゃないか。気をとられている場合じゃないぞ俺!取材第一。集中、集中。
あんまり眼鏡ばっかりじろじろ見るのも変だし、俺はとりあえず佐々木さんの鼻だけを必至に凝視することにした。視線のやり場に困ったら相手の鼻を見ればいいというのは、取材に行くにあたっての、銀子のアドバイス。
ちゃんと、役立てているぞ、銀子!
どうやら、俺は自然にふるまえているらしい。
佐々木さんは普通に話しを続けていく。
「本当は部員はもっといるんだけど、活動しているのはほぼここにいる4人かな。
うちの高校、部活動必須だから、席だけおくのが目的の人が多いんだ。まあ、そういう人も学祭の時なんかは率先して色々やってくれるから、いいんだけどね。
あ、こんなことは新聞に載せないでね。」
「あ、はい。分りました。」
「じゃ、とりあえず好きなところに座って。活動を見てもらうのが一番だと思うから。
四人でローテーションで好きな題材を持ってくるって形をとっているんだ。
今日は、木村だな。」
牛乳瓶の底みたいな眼鏡の木村さんが立ちあがって、無言で俺におしつけるようにプリントを手渡した。
こいつもコミュ障とみた。親近感。
俺は、そのプリントを何気なく見てぎょっとした。ドイツ語なのだ。
あ、後ろの方に汚い手書きで対訳がついている。えんぴつで新聞部の人用って書いてある。
…へえ。ってことは皆、ドイツ語を原文のみで読んでいるってこと…なんですね。すごい。
それから、試練の時が始まった。
十数枚のプリントを小一時間かけて読むと、そこからこの詩の意図、問いかけなどについて四人それぞれが激論を繰り出した。
俺、ドイツ語がそもそも理解できないから、なんの話で盛り上がっているのか謎。
っていうか、ドイツ語が話せても彼らの話を理解できる気がしない。ベースになる知識がないのに、いきなりこの議論を聞いてもなぁ。無理だろう。
その後、どんどん白熱する議論に俺はたじたじ。頭が白くなった。
最後の方は、放心状態のあまり、俺、ちゃんとした記憶がない。
かなり、刺激が強すぎたようだ。
その夜、眼鏡戦隊4レンジャーとなったやつらが、俺の夢に勝手にでてきて、ドイツ語攻撃をしかけてきた。まさに、悪夢。
次の日目覚めると熱が出ていた。うん。知恵熱だね。
こうして俺は初めて高校を休むことになったのだった。ちーん。