嘆きを唄うローレライ
「これよりカミラが魔女であるか、その審判を執り行う」
どこまでも事務的に告げられた男の言葉に群衆がざわめいた、
当の本人カミラはただ無表情に、その言葉を他人事の様に聞いている。
カミラはもはや思考を放棄していた。
ベルン王国下級貴族のエインハルト家に生まれ、いずれ来たる婚姻の機会に備え修道院に預けられていたカミラは生来の優しさと美貌、それに蜜の様に甘い歌声で人々からの絶大な人気を獲得していた。
いつからとなく、誰からとなく、『聖女』と呼ばれる様になる程に。
そんなカミラを娶ろうと多くの貴族が、果てには王族までが動き出していた。
その結果日々舞い込んでくる縁談の数々にカミラの両親は心躍らせた。
カミラこそが我がエインハルト家に福音をもたらしてくれるのだ、と。
光があれば影がある。
この件においてもそれは例外ではなく、エインハルト家はそれと同時に多大な恨みを買っていた。
同じ下級貴族から、諸般の事情でカミラを娶る事が不可能な大貴族から、それこそ一国を二分する程に。
これまでなんの後ろ盾もなく、政争に関わった事すらなかったエインハルト家の手に余る事態だった。
カミラに熱を上げ互いに牽制し合う貴族の裏で、一枚岩となって策を巡らせた反エインハルト陣営はついに『カミラは男を誑かし、この国を破滅へと導こうとする魔女である』と大々的に触れ回ったのだ。
各所への根回しを周到に済ませた上でのこの触れ込みによって状況は一変した。
カミラに縁談を送っていた貴族たちも旗色が悪いと見るや掌を返した。
『魔女に誑かされていた』、という不名誉なレッテルを貼られても『魔女と共謀していた』と見做されるよりは良いと考えたからだ。
それほどまでに魔女という存在は人々から恐れられていたのである。
結局彼らも真の意味でカミラに惹かれていたのではなく、政治の道具としか見ていなかったのだ。
この事実がカミラを絶望させた。
完全に孤立したエインハルト家に抗う力は残っていなかった。
カミラを切り捨てて、家を取り潰されない様にするのが精一杯だった。
カミラの両親からすれば苦渋の決断だったのかもしれない。
だがカミラからしてみればそんな過程などなんの意味も持たなかった。
『両親に捨てられた』この事実がカミラを絶望の底に突き落とした。
そして、カミラに対する魔女裁判と言う名の処刑が行われる事になった。
「カミラ・エインハルト、何か申し開きはあるか?」
「………。」
カミラに答える気力は既になかった。
元よりカミラは邪な感情は何一つ持っていなかったのだ。
ただ救いを求める人々に手を差し伸べ、祈りを捧げ歌った。
カミラがしてきた事は本当にそれだけだった。
カミラは裏切られたのだ。
手を差し伸べた人々にも、祈りを捧げてきた神にも。
少なくともカミラはそう思う様になっていた。
「これよりカミラ・エインハルトの足を縛り、ライン川へと投げ入れる。彼女が魔女で無いのであれば、溺れる事はないだろう。そうなれば一切の嫌疑を無効とする事を神に誓う。全ては公正な神の意思に委ねられるのだ」
足を縛り、石を括り付けてライン川の急流に投げ入れる。
それは審判とは名ばかりの処刑だった。
カミラは両脇の兵士にされるがままに引きずられ、崖の縁へと立たされた。
深い蒼の目を持つカミラの眼下には、唸りを上げる急流。
カミラは無表情にただ俯いていた。
恐怖も絶望の感情も既に枯れ果てていた。
「審判を始めよ!」
男が高らかに叫んだ。
一瞬の躊躇いを見せた兵士だったが、目を瞑り意を決するとカミラの背中を強く押す。
カミラの体がふわりと宙を舞った。
ブロンドの髪を揺らめかせ、ライン川へと吸い込まれていく。
直後、カミラの体に強い衝撃が走った。
自分の体が水の中に落ちたのだ、と感じる間もなく意識は既に失われかけていた。
意識を手放す直前にカミラが感じたのは死への恐怖でもなく、絶望でもなく、水に溺れる苦しみを長く感じずに済む事へに安堵だった。
※ ※ ※
カミラは目覚めた。
天国でも地獄でもない、これまでと変わらない現世で。
未だハッキリとしない意識の中でカミラは自分が水の中にいる事を知った。
周囲を見渡すと、狭く急だったライン川の面影はどこにもなかった。
川幅は広く流れもゆっくりとしている。
カミラは自分がかなり遠くの下流に流れ着いた事を知った。
「……これからどうすれば」
カミラには既に帰る場所が無かった。
ベルン王国に帰ったとしても貴族にとって不都合な存在であるカミラは何らかの理由で再び処断される事になるだろう。
新しい場所で生活を始めるにしても、身一つの女が出来る事など限られている。
よほどの幸運に恵まれないと、身体を売って生計を立てる道しか残っていないだろう。
当然カミラがその道を許容できるはずはなかった。
「このまま死んでいたらよかったのに」
どこにも行きたくない、というのがカミラの偽らざる思いだった。
カミラは俯いた。
そして目に入った光景に驚きのあまり絶句する事になる。
カミラは目の前で起こっている事が事実かと必死で確かめる。
手を腰に当て、確かめる様に下半身へと手を滑らせていく。
そしてカミラはそれが間違いなく自分の身に起きている事だと知った。
カミラの下半身から両の足が無くなっていた。
その代わりに、カミラの下半身は魚のそれになっていた。
鱗はカミラの瞳と同じ深い蒼色で陽光を反射して宝石の如く輝いている。
二つに分かれる尾ひれが川の流れによって揺らめいている。
そしてその魚の下半身は、カミラの意思によって自在に動かせる。
カミラは未だ受け入れられないものの、理解した。
自分はローレライになってしまったのだ、と。
ついには人ですら無くなってしまったカミラが錯乱する事は無かった。
むしろカミラは安堵していた。
半魚の姿では人の世で暮らす事ができない。
できないのであれば迷う必要すらない。
どこにも行きたくないというカミラの願いは歪な形で叶えられたのだ。
「それならもうここで静かに暮らしていけばいいのよ」
カミラは何のしがらみもない完全な自由を手にした。
誰の目も気にする事なく手に入れたばかりの、それでいて違和感なく動く尾ひれを存分に振るってライン川を泳ぎ回る。
水中で呼吸する事もできる様になっていたカミラを縛る物は何一つなかった。
教会で日夜祈りを捧げ民に尽くしてきたカミラにも好き勝手に生きたいという利己的な衝動は確かに存在していた。
ただ当時のカミラはその生活に不満を抱く事はなかった。
自分の活動によって人々が喜び、それによって感謝される事で満ち足りていたからだ。
その充足感がカミラの内側にある利己的な衝動を忘れさせていただけだった。
「いつの間にか薄暗くなってる……ここまではしゃいだのっていつ以来かしら」
辺りが薄暗くなったのを感じてカミラは泳ぐのを止めた。
時間を忘れて何かをするというのはカミラにとって初めての経験だった。
そのおかげかカミラは心地よい疲労感と充実感に包まれていた。
※ ※ ※
少し休憩したカミラだったが高ぶった気持ちは収まる事はなかった。
まだ泳ぎたい、というのがカミラの本音だった。
満点の星空と柔らかく辺りを照らす月明かり。
注意すれば水中でもある程度周囲の状況を把握する事はできるだろうとカミラは考えていた。
だがカミラは周囲の状況を気にしながら泳ぐという事に対して嫌悪感を覚えていた。
なんとなく人間だった頃の事が思い出されてしまうからだ。
泳ぐのを諦めたカミラは、誰に聞かせるわけでもなく歌を歌い始めた。
胸の内で未だ燻る高揚感を吐き出すために。
今まではずっと誰かのために歌っていた歌を、ただカミラ自身のために歌った。
月明かりに照らされた川辺で高らかに歌うローレライ。
それはこの世の物とは思えない美しく幻想的な光景だった。
蜜の様に甘い歌声が辺りに響き渡る。
風に揺れた木々がその歌声を賞賛するかの様にざわめいている。
だから遠くから歌声を聞いていたその男も蜜を求める昆虫の様にこの場に誘われたのは無理のない事だった。
草葉の陰から見守る男に気づかぬまま、カミラは最後の一節を切なく歌い上げた。
すっかり落ち着いたカミラは、何とはなしに空を見上げた。
そうして感傷に浸ろうとしていたカミラは背後に気配を感じて振り返った。
「誰!?」
振り返った先には男がいた。
数十メートル離れた場所にいたその男は拍手をしていた。
「お嬢さん、驚かせてしまい申し訳ない。私はライアン。素晴らしい歌声が聞こえてきたのでつい覗いてしまいました」
「そうですか……」
周囲に人がいるとは思っていなかったカミラは不意に声をかけられて混乱していた。
名乗られたのであれば名乗り返すのが常識ではあるのだが、そんな社交界では当然の事も忘れてしまう程に。
そんな混乱したカミラの様子を察したライアンが宥める様に再び口を開いた。
「私はただ素晴らしい歌声を賞賛しに来ただけなのです。これ以上あなたの許可なく近づいたりはしません」
「……ありがとうございます」
カミラはライアンの姿や服装をはっきりと見る事は出来なかったが、所作や口調から上流階級の人間だろうと感じ取っていた。
カミラはライアンの物言いに少し警戒心を緩めたが、異形の下半身だけは見られない様にと岩陰の死角に隠していた。
「それにしても素晴らしい……隣国ベルンの聖女カミラ様と並び立つ歌声ですよ」
「彼女をご存知なのですか?」
「ええ、一度ベルンを訪れた時に歌を聞きました」
カミラは反射的に身構えた。
まさかライアンの口から自らの名前が出てくるとは思いもしなかったからだ。
カミラは両手を岩のヘリに置いて、いつでも目の前に広がる広大なライン川に飛び込める様に準備した。
「ただ個人的には……ですが、今日のあなたの歌い方の方が私は好きです」
「……買い被り過ぎです」
「いえいえカミラ様の歌は聞く人々を包み込む様な、誰かのためを思った優しい歌でした。それに対して先ほど聞こえたあなたの歌は絵画の様に内に秘めた思いを表現しようとしている様に聞こえました。私はその思いに惹かれてここに来たのです」
「お詳しいのですね」
「人並みです」
カミラは既に逃げ出したい気持ちで一杯だった。
ただ今逃げ出したら余計に大変な事になると分かっていた。
相手がそこらの一般人ならまだしも目の前にいるライアンは確実に貴族、それも相当高度な教育を受けているとカミラは推測していた。
そんな大貴族が今のカミラの様なローレライという伝説上の魔物を見つけたらどうするか。
川中の魚一匹に至るまで調べつくして自分を捕らえようとするだろうとカミラは考えていた。
そうなればせっかく手にした自由を失う事になる。
今はまだ完全に陸から離れ、大海に出て生きる決心はついていなかった。
「……一体どの様な心境の変化、いえそもそもどうしてこんな所にいるのですか? カミラ様」
「……っ!」
カミラは即座に逃げ出そうとした。
しかし体は石の様に動かず、力なく崩れ落ちるだけだった。
「……っ! 危ない!」
川に落ちるカミラを見てライアンは脱兎の如く駆けだした。
足元の安定しない岩場にも関わらず、ライアンはそれを感じさせない滑らかな動きでカミラの元へ駆け寄った。
そしてついに、今にも流されそうになっているカミラの手を取った。
「これは一体……」
手を取ったライアンはカミラの姿を見て驚愕した。
カミラの姿が伝承に伝わるローレライのそれだったからだ。
「結局こうなるんですね……」
ライアンに引き上げられたカミラは、諦める様に呟いた。
その表情は処刑される前と同じ、全ての思考を放棄した無表情だった。
「カミラ様……この姿は一体……?」
「見ての通り、私は異形の魔物になったのです」
「そんな……一体何が?」
ライアンは完全に混乱していた。
青白い顔をしたカミラを気遣う余裕すらない程に。
今度はライアンが石の様に動かなくなってしまっていた。
「ねぇライアン様、一つお願いしても構いませんか?」
「……私にできる事であれば」
「私を殺してはもらえませんか?」
カミラは虚ろな目でライアンに懇願した。
それはライアンが思わずゾッとする程冷たい目だった。
「何をバカな事を……」
「今の私なら死んでいても見世物としてかなりの価値になるはずです。生きたまま持ち帰ろう等と惨い事はせず、せめてもの情けを私にください。自分の手で命を絶つのが怖くて仕方ない臆病者を殺してください」
「そんな事はしない! ネーデル王家が第一王子、ライアン・クロードの名に誓って……そんな事するものか!」
ライアンはカミラの手を強く握った。
そして誰もが思わず目を逸らしたくなる程底冷えする虚ろなカミラの目を真っ向から見つめた。
「ライアン様……」
「信じろとは言いません。ただ私は一人の男として貴方の力になりたいのです」
「どうして……?」
「月夜の元で歌うあなたの姿に一目で心奪われました。惚れた相手の力になりたい、それ以上の理由はありません」
「今の私は貴族でも、聖女でもない……それどころか人ですらないのですよ?」
「そんなの些細な問題です。だからどうか……何があったのか聞かせてもらえませんか?」
カミラの虚ろだった目に涙が浮かんで溢れた。
そして嗚咽交じりの絞り出す様な声で、これまでの事を話しだした。
カミラを巡って争いが起きた事、魔女扱いされた事、そして全てに裏切られた事。
ライアンは手を握りしめたまま、何も言わずにカミラの言葉に耳を傾けた。
全ての思いの丈を吐き出したカミラは憑き物が落ちた様な顔をしていた。
まだ悲壮感に溢れてはいたが、全てを諦めた事による無表情ではなくなっていた。
「お恥ずかしい所を……それにネーデル王家の方だったなんて……」
「気にしないでください、そもそも私はカッコつけたがりの放蕩王子なんですから。今だって社交界を放り出してすぐそこの別荘で無為に過ごしてただけです」
ライアンはカミラの話を聞いて怒りで狂いそうになっていた。
しかしその怒りを一切顔に出さずにカミラの前では穏やかに振る舞っている。
幼い頃から陰謀の最前線にいたライアンは感情と表情を完全に切り離す術を身につけていた。
「あなたの事は私が必ず何とかしてみせます」
「その気持ちだけで私は救われました。これ以上を望んだらバチが当たってしまいそう」
「カミラ、あなたはもっと欲張るべきです。『求めよ、さらば与えられん』こんな言葉だってある位ですから」
「今は何を求めたらいいのかすら分かりません……。ですが、ライアン様の言う通り少しはこれからの事を考えてみる事にします」
カミラはライアンの言葉が『死ぬな』『諦めるな』という励ましの意味を持っている事を理解していた。
そしてその励ましの婉曲的な伝え方も、どこか芝居がかった所作も全てがカミラには愛しく思えた。
意図してか意図せずか、ライアンは思考を止めていたカミラに考える事を思い出させたのだ。
「さて、カミラをこのまま放置しておくのは男として許容し難いものがあるが、かと言って別荘まで連れ帰る事もできない」
「お気になさらず、水の中に居れば誰かに見つかる事もないでしょうし」
「だが、そのままでは流される可能性もある。さしあたって何か必要な物はないか? 明日の夜にでもここに持ってこよう」
「本当に私は……何も」
カミラとしてはこれ以上ライアンに手間をかけさせたくないと思っていた。
別荘に居るとはいえ相手はネーデル王国の第一王子。
忙しくないはずがないのだ。
「さっきも言っただろう? カミラはもっと欲張るべきだ」
「なら……縄と布をいただけますか? それで体を固定しようと思います」
「それだけか……?」
「ダメでしょうか?」
「いや、初めてカミラが自分から言ってくれたんだ。尊重しないわけにはいかないさ」
それでも欲のないカミラを見てライアンは微笑んだ。
小さな事とはいえ、頼られる事に何よりも大きな喜びを感じていた。
「まったく……できる事なら中央の貴族たちの有り余る欲を切り取ってカミラに分けてあげたいよ」
「ふふっ、気持ちは嬉しいですけど彼らの欲を貰いたいとはこれっぽっちも思いませんね」
「それもそうか。さて、カミラの笑顔も見れた事だし今日はそろそろ戻るとするよ。実は今屋敷の使用人に隠れて別荘を出てきててね、そろそろ戻らないとバレてしまいそうだ」
「……そうですか。お忙しいのですね」
カミラは出来る限り未練がましくない様に笑ってみせた。
状況に応じた最適な表情を作る事、それは以前なら当たり前の様にできていたはずだった。
それが今は意識しないとできない事にカミラは自分自身に驚いていた。
「明日の月夜が照らす頃、またあなたの前に姿を見せます。それまでどうかお元気で」
「……雨だったらどうしましょう?」
カミラは無邪気に呟いた。
その言葉にライアンは一瞬足を止めたが、数舜の後何事もなかったかの様にまた歩き出した。
カミラとライアンが月夜の密会を始めてから一月ほどが経った。
月夜、というのは土砂降りの雨の夜でも会いに来ようとするライアンをカミラが諫めたからだ。
二人はカミラがどうすれば元に戻るのかと考え、そして残りの大半の時間をお互いの事を知るための他愛ない雑談に費やした。
いつからかカミラに芽生えた気持ち。
全てに裏切られ生まれた虚無感を満たして余りある程の気持ち。
その正体を分かっていたが、カミラはその気持ちをひたすら胸の内に閉じ込めていた。
カミラがその気持ちを抑えられていたのは『明日もまた会える』、その事を当たり前の事だと感じる様になってきていたからだった。
だが何事にも永遠は存在しない。
カミラとライアンの密会に関しても例外ではなかった。
その日ライアンはカミラの前では一度も見せた事のない神妙な顔をしてカミラの元に現れた。
毎日の様にライアンの表情を見てきたカミラは、それが只事ではないと瞬時に悟った。
「何か、あったのですか?」
「カミラが気にする様な事は何もない……とはさすがに言えないか」
「教えてください、何も知らないままなのは嫌です」
「……実は王都に戻らなくてはいけなくなった」
カミラはいつかその時が来るだろうとは頭で分かっていた。
だがそれは頭で分かってはいても考えない様にしていた事だった。
「ベルン王国で内乱が起きかけてる。それが飛び火して地方で緊張感が高まってる。私はその処理に当たらないといけない」
「ベルン王国で内戦? それってもしかしなくても……」
内戦と言えば一大事だがそう簡単に起こるものではない。
それに隣国にまで飛び火する様な内戦というのは相当な大事である。
そしてカミラにはその内戦のキッカケに心当たりがあった。
「隠していてもカミラなら結局答えに辿り着くのだろうね」
「原因は、内戦の引き金は私ですね……?」
「……そうだ。君を最初に処刑しようとした反エインハルト勢力が魔女に誑かされた事にされている貴族の責任を徹底的に追及したんだ。それに対抗する形で国が二分する事に事態になってる。もちろんカミラに一切の責任はない」
「どうして……」
頭では自分も被害者の一人なのだとカミラは分かっていた。
だがそれでも実際に自分が内戦のきっかけになりかけてると知り、カミラは血の気が引いていくのを感じていた。
貴族たちに全てを奪われて、それでも新しくやっと芽生えた小さな希望がまた奪われようとしている。
カミラにとってそれは許し難い事だった。
「本当ならカミラを置いて行きたくはないが……今の私には力がない。カミラを連れて行ってもいつかのカミラの懸念の通り、見世物にされてしまう事は避けられないだろう」
「……もういいの。これ以上ライアンに迷惑はかけられない」
「言い訳に聞こえるかもしれないけど聞いて欲しい。私はきっと武勲を立てて戻ってくる。誰にも文句を言わせない力をつけてカミラを迎えにくる。だからそれまで……!」
「もういいって言ってるでしょ……!!」
カミラは声を裏返しながら泣き叫んだ。
ライアンの優しさが逆にカミラの胸を締め付けた。
「私はあなたの重荷にしかならないの! 私はあなたに何も与えられない! なのにどうして……? どうして私を見捨ててくれないの!」
「カミラ……それは間違いだ。私はあの時、あなたにもらった恩を返せてすらいない」
「……私が、あなたに?」
予想もしていなかったライアンの言葉にカミラは虚を突かれて我に返った。
カミラにはライアンの言う恩が何なのか、全く心当たりがなかった。
「私は空っぽでした。王になるために生まれ、育てられ、そして死ぬ。生き甲斐も何もない、つまらない人生になるだろうと思っていた。そんな時、カミラに会って私は生きる意味をもらったんです」
「そんな……そんな事、私は」
「だから、これからカミラに恩を返させてください」
「ライアン様……狡いです」
ライアンはこれ以上ない程カミラに優しく微笑みかけた。
そして震えるカミラの手を初めて会った時の様に強く握りしめた。
ライアンが見捨ててくれたら、カミラは今度こそ何にも期待せずに死ねるはずだった。
だがライアンに『これから』があると言われてしまった。
カミラにはもう自らライアンの手を振りほどく事は出来なかった。
「それじゃ、私は行ってくるよ。それとカミラ、愛してる。カミラの気持ちは次会った時に……ね」
ライアンはそう言ってカミラに背を向けて立ち去った。
振り向きざまにあまり上手ではないウインクをしたのはライアンなりの照れ隠しだった。
※ ※ ※
呆然としていたカミラは、ライアンの姿が見えなくなってようやく我に返った。
「このままなんて……嫌」
カミラはひたすらに自己嫌悪に陥っていた。
そして異形の自分を呪った。
「いつかも分からない次なんて……絶対に嫌。私も、行かないと」
カミラの思いを内に秘めたままにする事ができたのは、明日もまた会えると思っていたからだった。
次会えるのがいつかも分からない今、カミラが自分の気持ちに蓋をして押さえつけるのはもはや不可能だった。
何とかしてライアンに追いつこうとカミラは川辺を這いずった。
それでも足のない状態で、しかもゴロゴロと転がる石の地面の上を手だけで進むのは不可能だった。
(ライアン様を追いかけるにはこのままじゃダメ)
それは当然の事だった。
このまま這いつくばっても、一生ライアンに追いつけない事は誰の目にも明らかだった。
カミラがライアンに追いつくには足りないものがあった。
──足が欲しい、今すぐライアン様に追いつくための足が欲しい
カミラは足りない物が何か既に分かっていた。
それは以前のカミラには当たり前の様にあったもの。
そして今まで捨ててしまっていたもの。
──私はただ、ライアン様の隣に居たい
この思いこそがカミラが今までずっと内に秘め続けた思いだった。
そしてこの思いこそ、カミラが本当に求めている事だった。
カミラは自分がローレライになった理由を分かっていた。
全てに裏切られ処刑される事になったあの時、カミラはどこにも行きたくないと強く願った。
その強い願いがカミラの両足を魚の尾ひれに変質させたのだった。
そして今、カミラはそれを上回る強い一途な思いで願い求めた。
『ライアン様と共にいるために足が欲しい』
そしてカミラは走りだした。
川を抜けて、森を進んでいく。
ライアンがこれまで通ってきた跡がカミラを導いた。
そしてカミラは森を抜けた。
カミラの目に映ったのは大きな屋敷と馬車、そしてその馬車に乗り込もうとする幾人。
目に入った瞬間カミラは叫んだ。
「ライアン様!」
馬車に乗り込もうとしていた1人の男がその声を聴いて真っ先に振り返った。
カミラはその人物、ライアンに向けてずっと胸の奥で燃え盛っていた想いの全てをただ真っすぐに伝えた。
ありがとうございました。
ブラバする前に感想や↓の★★★★★から評価していただけると嬉しいです。