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#8 正しく清く...

「あ、いつきくんのお母さん。こんにちは。今日はよろしくお願いします」


「お願いします。息子がいつもお世話になってます」


4年生最後の保護者面談。副島樹の母親は、水色のアンサンブルを身に付けていた。

俺は教員生活2年目。まだ成り立てで、右往左往することも多い。

勤め先の私立小学校は、なんだかんだでいわゆるモンペが蔓延っていた。「多額の授業料を払ってるんだから、言う事を聞きなさい」と言わんばかりの態度を取る母親の多さには辟易するしかない。だけど下っ端というせいもあって、俺はなるべく角を立てないようにしていた。「いや、授業料稼いでるのはお前の旦那だろ」という台詞を飲み込んで。


樹はいわゆる天真爛漫なタイプではあったけれど、問題児ではなかった。樹の母親は実権を持つ“強いママ友”グループにいるが、彼女自身は決して我の強い人ではない。むしろ、個性的なママ友をやんわりとまとめるような役割を果たしていたように思う。

おしとやか。寡黙。凛としている。周りに流されない。

そんな人だった。

彼女は育ちの良さそうな仕草で椅子を引き、俺と向かい合って腰掛けた。



彼女を見る度に、姉を思い出した。



俺は姉と生き別れている。

年の離れた姉だった。

俺が小学5年生の頃に両親が離婚して、姉は母について行った。母と姉のその後を、俺は知らない。

ただ、面倒見の良い姉だった。母は俺を嫌悪していたけれど、姉は可愛がってくれた。

母からもらえなかったクッキーを、姉はこっそり譲ってくれた。始業式ギリギリになっても終わらなかった宿題を、徹夜して手伝ってくれた。かけっこで転んでビリになって泣きじゃくった時は、そっと背中を撫でてくれた。


「あんたは要領悪くて運動も鈍い。出来損ないの子や」


母はいつも、俺にそう言った。


「あんたのずる賢くなれない所が可愛いし、十分優しくていい子だよ」


姉はいつも、俺にそう言った。鈍感なのが玉にキズだけどね、と悪戯っぽく笑いながら。


コインの表裏みたいな人達だった。俺は母を憎んで、姉を慕った。当然のことだった。

姉に会いたい。その思いはどんどん強くなっていくばかりだ。



目の前の彼女は、13年前に生き別れた、姉に似ていた。



「緒方先生?」


その声に、ハッとする。面談の内容が終わってから、俺はしばし黙り込んでしまっていたようだった。


「「あの」」


副島さんからどうぞ、と順番を譲る。自分の言葉に、蓋をして。

冷静に考えれば、違うことくらい分かっていた。目の前の彼女は年齢が上すぎる。


「あ…あの、緒方先生。来週の保護者会の後、みんなでご飯会しませんか、って佐藤くんママが。4年生最後だし、せっかくなら親だけじゃなくて、緒方先生もぜひ、ってことなんですけど、ご都合は…?」


佐藤の母親は、“強いママ友”グループの筆頭で、モンペの筆頭でもあった。この母親に逆らうことは難しい。

…それに、彼女がいるなら。

俺は手帳を確認して、その場で頷いた。



セレブな私立小学校のご飯会は、格が違った。

新宿の、飲食店・ホテル・オフィスが一緒になった高層ビル。その最上階にある、大きな窓をしつらえたフレンチレストラン。バーも隣接していた。

佐藤の母親が音頭を取り、貸切の華やかな夕食会が始まった。樹の母親は、黒のワンピースを身に付けていた。

着飾って夜を迎えたママ達は強烈で。俺はシャンパンを1本開ける羽目になった。樹の母親は他のママ友とは違って、俺に飲ませようとはしない。ただ、彼女のちょっと潤んだ目は俺を見つめていた。


「樹くんのことは、大丈夫ですか?」


「ええ。今日は息子と主人、義実家へ泊まりに行ってるんです」


綺麗だった。樹を続けて担任するとは思わなかったので、これが最後だと思った。俺は否応なく回ってくる酔いと闘い、耳が熱くなるのを感じながら、黒いワンピースを着たその人を、しっかりと目に焼き付けた。



*******



予想通り、再び樹の担任になることはなかった。当時の俺には、高学年の担任は任されそうになかったからだ。

だから、夢にも思わなかった。


…また、彼女がここに来るなんて。


「お久しぶりです、緒方先生。真乃まのがお世話になります。もう8年目、でしたっけ? 教師が板についてきたんじゃないですか」


「そんなそんな。僕はまだまだですよ、副島さん。…樹くんは、元気ですか」


今日は1年生の保護者面談。今度は副島真乃が、樹と同じこの小学校に入学してきたのだった。お陰様で、樹は元気ですよ、と答え、パステルピンクのトレンチコートを着た彼女は、品の良い仕草で腰掛けた。

再会できた喜びと驚きを抑えるために、俺は本題に切り込んだ。


「真乃ちゃんは、まだ学校に慣れてないのかもしれませんが…勉強道具の準備に、ちょこっと時間がかかるみたいで」


俺がそう言うと、彼女は困ったように目尻を下げて、笑った。


「そうなんです。…樹と違って、真乃は鈍いの」


そう言うと彼女はなぜか、徐にトレンチコートを脱いだ。すると、胸元と背中が大きく開いて、脚元にスリットの入ったワンピースが目に飛び込んだ。突然のことにうろたえる俺など気にも留めない様子で、彼女はその魅惑的な容姿を見せつける。

…そこにもう、姉の面影はなかった。


彼女が俺の耳元に近づいて、囁く。


「真乃はね、鈍いの」



そのまま、急に背後から抱き締められる。

耳が熱く感じるのは…《《あの日》》のデジャブ?


彼女はそのまま、俺の顔を撫でて言った。




「……真人まさとくん。あなたにほんと、よく似てる」

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