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#5 fault

玄関の扉を開けた瞬間、空気を切り裂く音がした。

数コンマ遅れて、頬の痛みに気づく。

齢80に近い老体に、まだこれだけの力が残っていたと知って恨めしくなる。


「どこ行ってたんだ、この人騒がせが!...なんだ? その目は!」


私は黙って、目の前の有名な老人を睨みつけた。


「……美亜! 心配したんだよ!…ケガはなさそうだな、無事で良かった…とにかく中に入って」


不服そうな義父をたしなめて、夫は私を屋敷に招き入れた。

とりあえず入浴してご飯を食べた所で、息つく暇も無く、義父による説教が始まった。もう睨むのはやめて、とりあえずか弱そうな雰囲気を出しておくのが得策だろうか。


「ったく、迷惑かけやがって。何がしたいんだお前は!」


「ごめんなさい…」


「ふざけるなってんだ、ったく」


「あの、わ、私から、警察に連絡を入れておきます…」


義父は途端にキョトンとした。


「は? 警察?」


「あ、あの、捜索願があったら、無事だったことを報告しなければと…」


「捜索願? んなもん出すわけないだろう! なんでわざわざ警察を呼んで、大事にしなきゃならない? なぁ! 大切な選挙前に、元総理の息子の妻が失踪?そんなニュースを流したら、息子の当選はどうなる?! 支援者様はどうなる?! 俺の評価はどうなる?! お前はそれも考えられないのか! この馬鹿野郎!」


ごめんなさい、と口を動かすけれど、もちろん反省なんて1ミリもしてない。というか、反省しなきゃいけない意味が分からない。


感情のままに怒る義父。何も言えずに立ち尽くす夫。この家の男は、ろくでなしばかりだ。

この男どもの身の回りの世話をしてやってるのに、それには目もくれない。家政婦を雇わずに奉仕する嫁を、人間として見ていない。二言目にはいつもいつも選挙選挙選挙。元総理元総理。息子息子息子。頭は良いのかもしれないけど、肩書きと評価に取り憑かれて、世間にぶんぶんと振り回されている姿は、みっともないことこの上ない。


…でも。

でも、頑張ってしまったんだ。いつかは報われると思って。いつかはちゃんと見てくれると思って。

ただ、頑張りの限界に達する方が先だった。義父は罪を犯し、夫は父を責めなかった。そんな中で頑張れという方が無理な話だ。


だから逃げたのに。逃げたら心配くらいしてくれると思っていたのに。ありがたみを分かってくれると信じていたのに。わずかな希望を持っていたのに。帰ってもこのザマなのか。

逃げても、ちゃんとは探してくれないのか。警察にすら、世間体を恐れて話せないのか。


私の中で、何か糸がぷつっと切れたような感覚があった。



夫は義父の集中砲火が終わるまでずっと黙っていた。この役立たず。

寝室に入ると人が変わったように優しくなるのも、ただただ気味が悪い。だけど目の前の男は反省の弁を絶えず口にして、私との距離を否応なしに詰めてくる。

まるで、俺の愛が欲しかったでしょ?とでも言うように。


「美亜…ごめんな。3日間も逃げ出すってことは、何か辛いことがあったんだよな。俺、気づいてあげられなくてごめん。今日はちゃんと聞くから。寝ないで聞くから、全部」


声を聞くだけで虫唾が走る。

何が辛いのかも分からないの?

今日”は”って、今日しか聞いてくれないの?


…本当に、なーんにも分からないんだね。そんな頭脳で当選できる世の中は、やっぱりおかしいよ。そんなんで国民感情、理解できるの?


ねぇ。いい加減にしてよ。


愛した人なら、気づいてくれても良いんじゃないの?






今、あなたの腕の中にいるのが、美亜じゃないってことくらい。


バカがつくほど鈍感なのね。さすが元総理の息子。


もうこれは、逃げた方が正解だ。あの子の選択は、間違ってなかった。




『ごめん、美紗。…私、もう限界だよ』


双子の美亜は、私にそう言った。

何もかもが辛いって。

元総理の義父が、自分に不貞を働くこと。夫はそれを知りながら、イメージダウンを恐れてそれを無視すること。口を開けば選挙と支援者の話しかしないこと。後継ぎができないせいで、些細なことでも責められるようになったこと。

声音や表情だけで、どれだけ耐えていたのか、どれだけ辛かったのか、手に取るように分かった。双子だから。


必死に引き止める私に「ごめん。本当にごめん。でももう、楽になりたいの」と切羽詰まった顔で訴えて、美亜は1人樹海に入っていった。もう美亜を追いかけることは、できなかった。




心の中で、目の前の男に語りかける。



あなたは一体、誰を愛していたの?



…でももう、そんなことを聞くのにも疲れた。心から美亜に同情する。


よく頑張ったね、美亜。

今度は私が頑張るね。

この偽りの愛を、全て壊すために。私が責任を取るから、安心して。



“夫”が寝たのを確認してから、私はウイスキーのボトルを持って“義父”の部屋へと歩いていった。

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