第30話.ショタコンとラルフ君
全然変わらない景色に、不安から挙動不審に辺りを見渡して歩く内に、並ぶ勝手口の大きさが変わってきた。
具体的に言えば、庶民である私にも馴染みのあるサイズばかりだったのに、段々と大きくて立派な感じになってきた。つまり平民の住宅街から、貴族の邸宅街に入り込んでしまったと言うわけである。
あぁ……まずいなぁ……
ヤバいタイプの貴族に遭遇したら「我が屋敷の裏で何をこそこそしている?!」とか言われて「その挙動不審ぶり……まさか盗人か?!」とか、冤罪で捕まえられちゃうかも。
迷子状態に対する不安から、段々と思考がマイナスな方へ向き始めている。私はふるふると頭を振った。
せめて表通りには出なきゃ。そしたら意を決して誰かに学園までの道を訊こう。今日はもうドレス取りに行くの諦めた。
「はぁ……」
重々しく溜め息を吐いた瞬間、いきなりバァァンッ!! と近くの扉が開いた。
かなりの勢いに蝶番が軋んでいる。あと少し近かったら鼻ぶつけてた。あぶねぇ。
びっくりして立ちすくむ私の前で、開いた扉から何やら小柄な人影が飛び出してきた。それを追いかける「坊っちゃん!」というおばさんの声。
「お待ちください、旦那様に叱られてしまいますよっ!」
「かえってこないくせに、どうやっておれのことをしかるっていうの!」
くるりと扉を振り返って、引き留めようと出てくるエプロン姿のおばさんにそう言い返す少年。
ショ、ショッ……
ふわふわした豊かな金の巻き毛。柔い肌は白く、怒っているからか紅潮している頬の色が映える。丸い瞳は穏やかな青色だが今は何やら燃えるような怒りの色が濃い。
頼りなく細い身体を品の良い上質な白い服に包み、袖から覗く小さな手はきゅっと固く握りしめられている。
眉根を寄せ、唇を尖らせた表情が彼の不満をはっきりと表していた。
ショタァァッ!!
立てばエンジェル、座れば天使。歩く姿はマジ天使。この渇ききった世界に神が与えたもうた祝福とはこのこと。
偶然私の視界に入ってくれた彼に、今日迷子になった自分に、そしてこの世界に感謝の意を全力で捧げながら、私は久々のショタをじっと見つめた。
大丈夫!! 一見して「どういう状況なのかしら……?」って戸惑っている人に見えるはずだから! 不審者じゃないよ!!
「旦那様はお仕事なのです。ですから……」
「わざわざ、きょうおしごとをいれるなんてひどいよ!」
「坊っちゃん……」
「もうしらな……」
そこで身を翻そうとしたショ……少年が私を見て固まった。えっ、もしかしてニヤニヤしてた?! まずい!!
……あれ?
彼の可愛らしいお顔に、なんか見覚えがある気がするのだけれど……
私はすぐに脳内のショタフォルダをひっくり返して、この育ちの良さそうなショタの顔を検索にかける。
あっ!
「あっ!」
思い出した、と脳内で手を打ち合わせた私と同時にそのショタが声を上げた。
「ラルフ君!」
「おねえさん!」
「「やっぱり!!」」
大分前の小児連続誘拐事件に巻き込まれた時に、魔力縛りの縄を切るのに手を貸してくれた七歳の少年。ブレナンさんちのラルフ君だ。
不満げな顔から一転、パッと華やぐ笑顔になった彼がこちらへタタタッと駆けてくる。金の巻き毛をふわりと揺らしながら近づいてくるその様子は最高に可愛くて、目をかっ開いて脳内録画した。
私の最愛、弟のリオとはまた違った華やかな可愛らしさ。これで将来は王宮に勤める騎士になるっていう立派な夢もあるんだから、何て言うの……うん、もう、最高オブ最高だよね。
「おねえさん!」
「ラルフ君~!」
ガシッ!
「えっ」
「きて!!」
「えええーーっ?!」
駆け寄ってきたラルフ君は、流れるように私の手を掴んでそのまま走り続ける。
小さな柔いお手々が可愛い。同世代の子供たちに比べてその掌が少し硬い気がするのは、剣のお稽古の賜物だろう。
引っ張られた私の困惑の声、追いかけるに追いかけられないでいるおばさんの「ぼっ、坊っちゃんーー?!」という声。ラルフ君は気にしない。
振り返れば勝手口のところでおばさんは私たちのことを見てあわあわしている。大変申し訳ない。その目に「誰よあの女」的な感情が浮かんでいるのが分かる。
私は次第に「これ、私は誘拐犯にならないよね……?」と斜め上の心配をし始め、それから、もしかしたら表通りに出るかもと言う一抹の希望を持って、前に向き直るとラルフ君についていった。
――――……
軽やかに走るラルフ君に連れられて、私は頑張って走った。こちらの方が身長もあるから最初は余裕だったけれど、流石七歳だ、体力が違う。
「はっ……はっ、ラルフ、君……待って……」
「もうすこしがんばって!!」
振り返った彼の可愛らしい笑顔。健康的な薔薇色に染まった頬に光る汗の粒、いたずらっぽく細められた空色の瞳。
握り合った手から伝わる彼の温かさ。一歩ずつ、軽やかに重なる鼓動は共犯者のときめき。にっこり笑った口元に、小さな白い歯が覗く。
端的に申し上げて尊い。
「ぐぉっ、お姉さん、いくらでも頑張れるぅぅっ……」
「うん!」
心臓のところがぎゅうってした……てぇてぇよ、なんだこの生き物……
そうして私たちは走るうちに人通りが多いところへとやって来た。歩調を緩めながら人混みに紛れ、街路樹に背を預けて、ラルフ君は「はー、つかれた!」と笑う。
「ふふ、すっきりした」
「はぁ、はぁ……」
この子、体力無限か……
私はしばらくの間、呼吸を整えるのに集中した。風に乱れた銀の長髪を指で適当に直して、隣でにこにこと初夏の涼やかな風を楽しんでいるラルフ君を見る。
「……ラルフ君、家、出てきちゃったけど、大丈夫?」
事情は少ししか分からないけれど、やはり心配だ。私の言葉にこちらを向いたラルフ君は、目を斜め下に向けて唇をちょんと尖らせる。
「だって……パパが……」
「……ラルフ君が嫌じゃなきゃ、お姉さんに話してごらん?」
「…………うん」
頷いて、ラルフ君はぽつぽつと今日のことを話し始めた。




