第29話.ショタコンが迷子
創立祭が二週間後に迫ってきた。そろそろマダム・ベルタンのところへドレスを受け取りに行かねば。
私がぼんやりそう考えていた矢先のある朝、アクア・パヴォーナ寮の食堂の掲示板に、副寮長のカイルがでっかい紙をバーンと貼った。
『学期末試験のお知らせ』
そこに書いてある文字を読んだ瞬間、なんだなんだと集まっていた一年生が騒ぎ始めた。
なるほど、二年生以上が切ない顔で張り紙から朝食に視線を落とした理由が分かったよ。
テストあるのかよぉぉっ、そりゃーあるよねぇぇっ、学校だもんねぇぇっ!!
学生の大敵。試験である。
私は脳内で叫び、机に突っ伏した。お皿の上の山のようだったマッシュポテトはすでに腹の中である。
ラタフィアが掲示板の方に顔を向けながら小さく頷いた。
「試験は三週間後ですわね。大体予想通りですわ」
「……あるとは思ってたけどさ、急すぎ。もっと早く教えてほしいよ」
「あると思ってたなら別にいいじゃないですかー?」
「そーだけどさぁ……ん?!」
ナチュラルに話し掛けられて普通に返事した後、驚いてガバッと顔を上げるといつの間にか隣にカイルが座っていた。
え、なんで?
「おはようございますローウェル副寮長」
「おはようございます、ラタフィア嬢」
相変わらず可愛らしい印象の真ん中分けの前髪がある亜麻色の髪、そして印象的な電気石の瞳をした彼は、平然とラタフィアと挨拶を交わしている。
なんだこの人。なんなんだ。
「お、おはようございます……」
「ははっ。何で僕がここに座っているのか分からないって顔ですね」
「はぁ……」
いや「ははっ」じゃねぇですよ。
いまいちキャラが掴めない人である。
すると彼は苦笑して「いやぁそれがですね」ここへ来た理由を話し始めた。
「創立祭が近いじゃないですか」
「そう、ですね」
「僕、まだ婚約者いないんで、実家から相手見つけろって煩いんですよ。しかもあちこちのご令嬢に根回ししてるみたいで」
「へぇ……」
「僕次男なのに」
普通に話していいんだろうか。私の戸惑いを余所に、カイルは普通に話を続ける。
「面倒だからって言うのも失礼ですけど、よろしければラタフィア嬢にパートナー役をお願いできないかと思いまして」
私は驚きに目を見開いて向かいの席のラタフィアを見た。彼女は曖昧に淡く微笑んだまま小首を傾げている。
「そうですわね……ええ、良いでしょう。お受け致しますわ」
「ありがとうございます。あー、これで肩の荷が下りるーー」
「ただ、条件がございます」
そうしてラタフィアが提示したのは、なんと私と一緒に行きたいから、揃っての入場はできません、ということだった。
これって、きっと私に気を遣ってくれているよね? 確かに一人だと私は迷子になりかねないしなぁ。道案内に誰かを誘おうと一瞬思っちゃったくらいだし。
上機嫌で去っていくカイルを、感情の読めない目で薄く微笑むラタフィアと一緒に見送って、私は彼女に「ありがと」と伝えたのであった。
――――……
ラタフィアは何やら嬉しそうにニコニコしているアイリーンを見ながら薄く微笑んでいた。
(私がローウェル副寮長との入場をお断りした理由を、多分勘違いしていますわね)
自分が彼と入場することになったら、ジェラルディーンもレオンハルトと入場するからアイリーンは一人になってしまう。
それで、適当なパートナーを見つけられては困るからラタフィアは入場を断ったのである。
アイリーンなら「じゃあ知り合いにでも頼もー」と言いかねない。彼女はどうやら方向音痴らしく、学園内を一人で歩き回ることはほとんどないのである。道案内役を求めることは有り得ない話ではなかった。
カイルの頼みを断れば良かったのではと思われるが、ラタフィアがそれを了承したのは彼が彼女を「風避け」に使いたいのと同じ理由であった。
未だ婚約者のいない名門の令嬢。この肩書きだけで、ふらふらと寄ってくる羽虫はたくさんいる。
(ふふ。いずれ、我が家に来てほしい子ですもの)
まだ外堀を埋めきっていないから、兄は彼女を誘うことができない。ならばパートナーはいない方がいい。
麗しき令嬢の計略は、密やかに進められていた。
――――……
さて今日は一人で街に出て、ドレスを受け取りにマダム・ベルタンの店である『ロサ・ケンティフォリア』へ行く予定なんだけど……
「ここ、どこだ……?」
きょろ、と左右に目を向ける。同じような家っぽい建物ばかりだ。表の大通りから外れて邸宅街に入り込んでしまったのかもしれない。
迷った。完膚無きまでに迷子だ。
店に行く前に迷うとかある? 我が頭ながら信じられないポンコツっぷりだ。
これはまずい。出掛ける前にラタフィアが私を一人で行かせるのをやけに渋っていたのは、私が道を覚えられていないと知っていたからか。
いや、そりゃバレてるか。日々彼女の頭の中の地図に頼って学園生活を送ってるもんね……
この広い王都の中を、学園の近くだとしても一人で歩き回ったことないし。
「……どうしようか」
スタート地点すら不明の『はじめてのおつかい』だ。十六歳になってこんな状況になるとは。
……村では迷ったことないのにな。
それは村がちっさくて、ありとあらゆるものが目印になったからだ。
私は溜め息を吐いて空を見上げた。太陽を見つければ方角くらい分かるだろう。
……周囲の建物が高くて何も見えん。
路地裏感がすごい。多分邸宅街の裏手だなこりゃ。家々の勝手口らしきものばかり見える。
この場でぐるぐる回ったから来た方向も忘れたし。絶望ではこれ。門限に間に合わないと閉門となって寮に帰れなくなる。
白熊ちゃんすら門の内側にいるから、あの子に抱きついて夜を過ごすことすらできない。
「がんばろ……」
諦めては何事も始まらない。もしかしたら急に道を理解するスキルが成長してドヤ顔で学園に帰れたり、店に着いたりするかもしれないから頑張ろう。
私はきょろきょろ辺りを見渡しながら、行き着く先が見知った場所であることを信じて歩を進めた。




