第9話.ショタコンとタップダンス王太子
「は?」
乙ゲーのヒロインにあるまじき声の後、部屋の空気が凍てついた。
いや、凍てついたのは部屋の中全体だ。いきなり温度が下がって護衛たちとレオンハルトは白い息を吐いて、この状況が怖いのかはたまた単純に寒いのか、カタカタ震えている。
私は思い出してしまったのだ。扉の前に座り込んでいたリオ(多分、家からこの一行を見るか何かして来てくれたのだろうと推測する。なんていい子、天使か)を引っ捕まえたこいつがその時何て言ったか。
――「盗み聞きでしょう。まったく、これだから卑しい庶民は……」――
はぁぁぁ?!
私の天使、いや、この世界の全ショタコンのために地上に舞い降りた愛おしき天使に『卑しい』ですって?!
信じられないこのおっさん。目、腐ってんじゃないの?! 控え目に申し上げて、鼻折れるまで殴るよ?!
私のことなら別に良い。卑しいかは分からないけれど確かに庶民だからね。
でも、リオのこの、何て言うの、そう、形容できないほどの可愛さとか、天使だから生まれ持ったのかもしれないそこはかとない高貴さとか、このおっさんには見えないわけ?!
はぁー、殴る。泣くまで殴る。
そう決めた私は、リオににっこりと微笑んで壁のところまで下がって後ろを向いてねとお願いした。
可愛い私の弟は素直に頷いて、壁際まで行くとくるりとこちらに背を向ける。
よし、準備は整った。あとは目節穴くそおっさんに私の前に跪き素直に殴られろと命じるだけ。すーっと息を吸う。
「よすのじゃ」
「え、師匠……でも」
こいつ目節穴なんだよ? 殴って顔の形矯正した方が良くない? 視力回復するかも。
水汲みダッシュのお陰で私、腕力も付いてるんだ。多分、いける。
そんな気持ちを込めて、握った拳をシュッシュと動かして見せた。しかし師匠はゆるゆると首を横に振る。
「……王太子殿下、使者殿等、お帰りいただけますかな」
「……サラジュード」
師匠の声は硬かった。しかしこの凍りついた様な空気を読まずに口を開いたのは(敢えて読まなかったとしたら面の皮タウン◯ージ級だし、読めなかったのだとしたら脳味噌スポンジ級に違いない)レオンハルトである。
師匠は冷たい目で彼を見た。私も同じく殺意を込めた目で彼を見る。
その視線にたじろいだ彼は、しかし翠玉の瞳に折れない光を宿して続けた。
「その……彼女は何者なんだ?」
「…………」
今それ訊く? 面の皮タウ◯ページ級なんじゃなくて脳味噌スポンジ級の方?
あれ、というか……
これ、目をつけられたと言っていいんじゃないか?
さぁーっと血の気が引く。怖い感じになったから(実際レオンハルト震えてた)大丈夫だと思ったのに。
レオンハルトは師匠に訊きつつも、こちらをチラチラと見ている。その瞳には隠しきれない好奇心があった。
い、いやだ。こんな、脳味噌スポンジ級の王太子に目をつけられるなんて!!
それがたとえ恋愛感情でなかったとしても『王太子の興味』と言うのは私の様な庶民には大きな影響を及ぼす。
主に日常生活でアサシンと遭遇する確率がグッと上がる感じに加え、女友達が一人もできなくなる可能性が生じる方面で。
それはいやだ。魔法のことは知りたいから学園には行きたい……国立の学園なら優秀な生徒には奨学金くれるはずだし……
そこで四年間ぼっちとか、悲しすぎやしないかと思う。
私はふるふる震える。今すぐレオンハルトの頭を殴って私に関する記憶を消し去ってしまいたいが、先程目節穴くそおっさんに殺意を抱いたときには開催されなかった頭の中の会議が唐突に開かれた。
『王太子を殴るのはまずいかな』
『でも、目をつけられたのもまずいよ』
『いや、殴ったらその場処刑ルートだ。乙ゲーの死亡率舐めんなよ』
『しかもそれをリオに見せるの? 聞かせるの? 私たちの天使が闇落ちしちゃうよ!』
『それはまずい!!』
『よし、結論を出そう』
『殴らない方向でー!!』
『同意ー』
閉廷! と最後に「それ裁判」と突っ込みたくなる台詞を残して脳内会議は終わった。
早かった。リオの名前が出たら即結論だった。流石私の頭。
さて、私が脳内でそんな混乱状態であるとは知らない師匠とレオンハルトの睨み合いは続いていた。
「お答えする必要性を感じられませぬ」
「教えろ。その力は、何なんだ?」
そう言ってレオンハルトが私の方を向いた。
私でなければ「あれぇ」とか言いながらしゃなりと後退りしてしまいそうな麗しい顔である。残念ながら相手は私なので「うえっ」と言いながら一歩後退りすることになった。
「王太子殿下、お帰りください」
師匠が私の前に出て、レオンハルトを威嚇するように語気を強めて言う。私はそろりと背後を確認した。
リオはまだ大人しくこちらに背を向けている。なんていい子。しかしこちらの話を一言一句逃さず聞いているのが分かった。
ごめん、不安だろうけど、そのまま待っていて。
頭の中でそう謝り、私はレオンハルトに向き直る。
「俺は彼女に訊いているんだ。お前は黙っていてくれ」
「この娘はわしの弟子です。師には弟子を守る義務がある」
「十年前、守れずに死なせたくせにそれを言うのか」
あ。
事情をよく知らない私でも分かった。それはいけない。師匠の心臓を突き刺して抉り出す様な所業だ。
沈黙した師匠に、レオンハルトは話し続ける。今自分が師匠の心の地雷原でタップダンスしているとは分かっていなさそうだった。
「彼女の力はすさまじい。王宮で保護した方が良いのではないか?」
彼がそう言うと目節穴くそおっさん含む十人の護衛が同意の声を上げる。
ほらお前ら、そうやって事あるごとにヨイショするからレオンハルトは傲慢なタップダンス王太子になっちゃったんだぞ。
「そう思うだろう? 王宮ならば研究資料もこことは比べ物にならぬほどある。お前と共に来れば良いではないか!」
もう黙れタップダンス王太子!!
私は内心頭を抱えた。師匠は黙ったままで、その身体の中で怒りの魔力が渦を巻いているのが後ろにいる私には分かった。
端的に申し上げてガチギレである。
どうしようどうしよう……何とかこの状況を破壊、じゃなかった打開しなきゃ。
そう考えながら私が頭を悩ませていたとき、ぽすんっと軽い衝撃が私の下半身に伝わった。
見なくても分かる。私の天使、リオが抱きついてきたのだ。
普段ならリオはそこまでで止まる。私のお尻の辺りに引っ付いて離れなくなるだけだ。
しかし今日は違った。状況が状況だけに彼も色々考えたのだろう。
ひらり、と紅薔薇の花弁の様に舞って凍りついた部屋の空気を暖めたのは、紅蓮の炎の一片であった。
この魔力……え、まさか。
「おねえちゃんはわたさないぞ! ぜったいつれていかせない! おねえちゃんは、ぼくがまもるんだ!!」
私は絶句した。いや、元々黙ってたけどね。騒がしかった脳内の方。
なんて、なんて……
なんて尊いんだ私の天使はっ!!
多分、こんな状況じゃなきゃ鼻血くらい出てたんじゃないかな。
リオは私にしがみついて、そこからレオンハルトを菫色の目で睨んでいた。
白いもっちりした頬は紅潮し、まだ不安定な魔力が興奮と怒り、その他は恐らく焦燥とか幼い彼には難しい感情によって炎の形を取り、こうして現れたのだ。
怖いんだろう、それでも彼は恐る恐る片手は私に触れたまま、そろりそろりと私の前に出てきてそれからバッと両腕を広げる。
「かえって! もうここへこないで! だれもつれていかないで!!」
幼い子供の言葉に、流石のタップダンス王太子も口を止めた。師匠はようやくこちらを振り返り、泣きそうな目でリオを見ている。
尊さのお陰で一周回って落ち着きを取り戻した私は、リオの肩に左手を触れて微笑み、次いでその笑みを消し去ってレオンハルトを見た。
「こう言うわけですから王太子殿下。どうぞお引き取りを」
そっとバレない様に込めた魔力。王族相手に効くだろうかと思ったが、彼は苦々しげな顔でそれでも頷いた。
「……また来る」
最後にくそ台詞を残して。
二度と来んな!!
護衛に囲まれて去っていく少年らしい背中に私は思わず舌打ちした。
「おねえちゃん……? だいじょうぶ?」
「リオ……ありがとう!」
荒んだ心に染み渡る、まさにオアシスの水の様な癒し。私はひしっとリオに抱きついた。
うん、私頑張れる。この子のためなら何でもやれると思う。
腕の長さ分そっと身を引き、私は正面からリオの顔を見た。
「大丈夫、絶対あいつらとは一緒に行かない。約束よ」
自分を縛るための魔力がこもる様に、しっかりと紡ぐ約束の言葉。
「だからリオもずっと私のそばにいてね」
「うん、やくそく。おねえちゃん、だいすき!」
「私も大好きよ!!」
私とリオはその後しばらく抱き合っていた。あんまりにも幸せすぎて吐血するかと思った。