第22話.ショタコンと殺意の化身
わりと本気で死ぬかと思った。
死を覚悟した回数は決して多くはないのだけれど(それでも死を覚悟したことがあるって酷くない? まあ一度死んでるんだけどもさ)まさか多肉植物に追い掛けられてそうなるとは流石の私でも想像の域を超えたよ。
それと、花を入れた籠を咄嗟の判断で置いていって良かったと思う。持っていっていたら確実に落としてた。
あの後、ズシンズシンと走行距離が伸びていくごとに、次第に速度を上げていくというありがたくないスロースターターっぷりを見せてくれたアニーから、私は全力で逃げた。
途中でいっそのこと岩場に打ち上げられた死んだヒトデの真似でもしようかと血迷ったけれど、何とか諦めずに走った。
アニーは、もしかしたら多肉植物ではなく殺意の化身なのかもしれないと思うほどの執念でもって私を追いかけた。
逃げる私は人間的理性が「マジ無理」と言って裸足で逃げ出し、代わりに奥から顔を出した動物的本能によって、恥も外聞もかなぐり捨て形態で走った。
温室のジャングルには沢山の植物が生息しており、その中にはアニーに怯えて縮こまっている奴もいれば、悪魔の思考により大悪魔に便乗して私の足を引っかけようとする奴もいて、そっちも気にして逃げなきゃならなかった私は本当に大変だった。
魔力で植物を威圧する(植物を威圧するっていう字面がおかしい)ことを忘れていたのは逃げるのに必死すぎたからである。
だって森で殺人鬼とチェイスする時、顔にかかる藪の枝とか一々手で払う? それを考える余裕無いよね。まさにそれだよ。考える余裕が無かったの。
しかし温室の敷地も無限ではない。特にアニーの縄張りであるジャングルは温室の二分の一とちょっとくらいの面積なのだ(結構あるな……)。
終わりなき繁みの道の先に光が見えてきて、私は走りながら歓喜した。きっとジャングルを抜ければアニーは追ってこない。あそこまで走れば。
その歓喜が油断として足下の性悪への反応を遅らせてしまった。大悪魔に便乗する悪魔の思考、やけに人工的な緑色の芝モドキは自ら草結びを作り、私の足を引っかけやがったのである。
ずっこけた私は慌ててその悪魔の罠から抜け出したが、時すでに遅し。アニーは私の目の前でゆらゆら左右に揺れながら『フシューーーーッ……』と鼻息を噴いていた。
脳内で「マイケル、こちら命の危機。応答せよ」とかイマジナリーマイケルに助けを求めたが、勿論イマジナリーでしかない彼は私の声に応えることなく、冷や汗ダラダラの私にアニーの腕(らしき部位)がずるりと伸びてきた。
多肉植物的質感を持ったその赤い腕らしき部位に、エロ同人的展開を想像するよりグロ殺人的展開を想像するのは生き物として当たり前の反応である。
ショタコン、死す……
リオの今後の平穏、多幸をきちんと祈ってから自分の死を覚悟したその直後、上から伸びてきた緑色の巨大な蔓がアニーをパシッと叩いた。
あの凶悪すぎる殺意の波動と執念の持ち主である悪魔の様な巨大多肉植物を、いとも容易く軽やかな一打でジャングルへ強制送還したその蔓は、私を持ち上げると教授が待つところへ運んでくれた。
「ハインツ……」
この瞬間ただの巨大な緑色の蔓でしかないハインツがイケメン王子に見えたのは仕方がないと思う。
多分この王子、白馬じゃなくて自律稼動する多肉植物とかに乗ってくるよ。
絵面の攻撃力が高い。それから、今はもう多肉植物のことを考えたくない。
そして私はディオネア教授の前にころりと下ろされた。エドワードがベッと吐き出された様な下ろし方だったことから、ハインツにはレディファースト的精神があるのかもしれないと思った。
そこにはすでに、先程早々に退場したエドワードが座っており、しょんもり顔のまま、ディオネア教授に治癒魔法を施されていた。
「戻ってきたね。無事かな」
「……一応。ハインツのお陰で」
「よしよし、それならいいね。止めようにも止められなかったからね、ハインツに行ってもらうことにしたんだ」
私は去り行くハインツに手を振って見送ると、しょんもりして若干上目遣いになっているエドワードを振り返った。
煌めく透石膏の瞳は、ハの字になった眉も相まって捨てられた子犬のそれだったが、ここまでやられたら慈悲はない。
「取り敢えず貴方は一回シメる」
一回ぼこぼこにしないと気が済まないと思う。こちとら死を覚悟するとこまで追い込まれたんだ。このままじゃ、私の中にお住まいの物騒な人が鎮まらない。
確か、負けっぱなしは性に合わないとか言っていたっけ。
奇遇だね。私もだよ。振り回されっぱなしは気にくわない。
そうして、私は今まで全力で避けていたこと――エドワードとの決闘に、自ら首を縦に振ることを決めた。
そうと決めたら話は早い。
私は、流石に反省したのか座ったままずっとしょんもりしていたエドワードの前に腕を組んで立ち、にっこり笑んで「以前お話しなさっていた決闘の件、お受け致しますわ」とまるでダンスパーティーに誘われたお返事のようなことを言った。
短めに切り揃えた赤髪に丁度良い感じに載っている緑の葉っぱが映えている。
何だかそれがとてもあざとく見えた。つまり、今私はかなりキレているのだろう。
こうなったら完璧に勝ってやる。そして寮長相手の完勝の心地好さでアニーの記憶を頭から抹消したい。
もう前回のティーナとの決闘で散々目立ったから「目立たずに暮らす」というのは早々に諦めている。ならば構わないじゃないか、と言うわけだ。
何度も断ってきたけれど、エドワードはまだ申し込み続ける気満々みたいだし。だったら今、受けてもいいよね。
エドワードは私の突然の快諾に、首を傾げながらもキャッキャと喜んでいた。その無邪気な笑みを「可愛い」と思う余裕は今の私にはない。
一応帰り際にディオネア教授が「止められなくてごめんね。エドワードはああなると止まらない子でね」と謝ってくれたけれどプツンしている私は「ええ、よく分かってますとも」って頷いた。
敬語が吹っ飛ぶくらい私の話を聞かなかったもの。それくらいあの短時間で把握したよ。
さて、エドワードは猪突猛進アホの子だとして置いておき、問題はアニーだよ。あの大悪魔アニーを生み出したのはこの温室の主である教授、貴方だよね?
彼女はどうしてあんな全生物の敵みたいなものを開発した上“アニー”と名付けて育てているんだろうか。
しかもこの温室、生徒が授業を受けに来るのに。いつアニーの気が変わってジャングルから普通に出てくるか分からないじゃないか。
直接挑むような感じで対面しなきゃ良いのかもしれないけれど、良くないかもしれないし。
この教授は面白いけれど自由すぎる。途轍もないフリーダマー(そんな言葉無いけど通じるよね)だ。
生徒に害が及びそうになったら止めてくれるだろうけれど……うん。本当に何であれを開発したのかな。
信頼はしてるよ。できればジャングルを開拓して平地にしてほしいけどね。
そんなわけで、私とエドワードの決闘は私にも彼にも予想していなかった形で成立することとなった。
私は花籠を持って寮へ戻った。そもそも最初の目的はこれであり、エドワードに遭遇してアニーに襲われるなんて私の予定には無かったのだ。
はぁ……帰って花、魔改造しよ……
とても長い時間だった気がする。単純な疲労でダウンしそうだ。仕方がないからリオの手紙でも読み返して癒されよう。




