第21話.ショタコンと火寮長とアニー
ハインツがベッとまるで吐き出すようにして私たちの前に落っことした人は、燃えるような赤髪をしていた。
げっ!!
攻略対象の中でノワールの次に危険人物である火寮フォーコ・アークイラの寮長、エドワードである。
石を敷かれた地面にぐんにゃりと死体の如く倒れたエドワードを見下ろし、苦笑したディオネア教授は私たちの上空でゆらゆらしていたハインツに「ありがとね」と礼を言った。
ハインツは満足げにジャングルへ帰っていく。意思疏通可能なの……? もしや脳をお持ちで?
「やられたっ!!」
「うわっ?!」
そこで突然、それまで死体だったエドワードがガバリと勢いよく顔を上げて生き返ったので、私は思わず三歩後ろへ跳んだ。
草まみれの短髪、土汚れの付いた頬。正直ばっちい彼であったが、その透石膏の双眸の輝きは眩しく、そしてちょっと怖かった。
また決闘を申し込まれるっ!!
逃げるが勝ち。私はまるで熊を相手にするかの様にじりじりと後退り、脱出のタイミングを見極める。
土まみれの顔で私をまじまじと見つめていたエドワードであったが、じりじりと後退する私の様子に何を思ったか突然「誰かと思えば貴方か!!」と馬鹿でかい声で叫んだ。
「いやぁ、恥ずかしいところを見せてしまったな!」
「っいや、別に……」
そこまで貴方に興味ないし。
ふんっと立ち上がるエドワードに生ぬるい視線を送りながら、撤退の機を逃した私は次の策を頭の中で組み立てていた。
“決闘”の“け”の字でも口に出したら問答無用で逃げるかな。何度も断っていると段々痺れを切らして衆人環視の場所で申し込まれかねない。
彼の外聞が悪くなるはずだけど、多分この人気にしないよな……と思うので、なるべく避けたい事態だ。
それにしても色々逞しい。
変な話だけど、しっかり対面して彼をまじまじと観察したのはこれが初めてなのである。
他の攻略対象は、ほとんどが程よく鍛えられた均整のとれた身体をしているんだけれど、彼はその中ではかなりのマッチョ系だ。
レオンハルトみたいなのがウケる乙ゲー界でも(そんな詳しい訳じゃないけど)マッチョ系が好きなお姉様は一定数存在するのだろう。
乙ゲー製作会社よ、そんなものよりショタゲーぷりーず。ああ、もう乙ゲーの世界にいるから乙ゲーできないんだ。無念。
制服の胸元の様子でその下の大胸筋の逞しさを想像しながら(エドワードが非常に明るくニコニコしているので顔を見たくないのだ)私は彼の次手を待った。
「エドワード、君、もう諦めたらどうかと思うんだけどね」
エドワードが何かを言う前にディオネア教授が口を挟んでそう言った。私が教授を見ると同時に「しかし!」と勢いの良い答えが返ってくる。
「負けっぱなしは性に合わないので!」
「君がアニーに勝てる日は来ないと思うけどなぁ」
「いいや勝ちます! いずれ必ず!!」
「そっか。なら仕方無いね」
アニーって誰よ。
いや、ハインツの流れからして植物だろうなと思うけれど、火寮長にもなるほどの火属性魔法の名手であろうエドワードが勝てない植物ってどういうこと?
そしてエドワードは何故植物に挑んでいるのさ。謎過ぎる。と言うかそもそも“植物に挑む”ってのがおかしいね。
「おおっ……」
「えっ、な、何か……?」
「分かったぞアイリーン嬢!」
「は、ええっ?!」
何がだっ?! 私にも分からないんだけどエドワードには分かるのか?!
爽やかに(暑苦しく)笑うエドワードが私の手をガッシリ掴んだ。手がとてつもなく生温かい。うぉう。
助けを求めてディオネア教授を見るが、彼女はのほほんと笑って「仲が良くていいね」とか言っているので役に立たない。
そうこうしている内に、エドワードがずんどこ歩き始めた。止めて待って、ってか力強いなっ!!
「いざ、アニーのもとへ!!」
「えっ、う、嘘ぉぉぉっ!!!」
何をどう解釈して私の表情から「我も貴殿と共にあにゐ殿に挑まん……」ていうメッセージを読み取ったわけ?!
どう足掻いても「ワタシ、アナタト、仲良クシタクアリマセーン」だったと思うんだけど!!
そして私はずんどこ歩くエドワードに引きずられて、温室のジャングルへと足を踏み入れることになってしまった。
―――――………
信じられない。
私は全力で走りながら「有り得ない有り得ない」と真っ青な顔で繰り返している。
エドワードはとっくに吹っ飛ばされて多分またハインツに回収されているはずだ。
こんなことってある?!
完璧なフォームで走る私の後ろから、鮮やかな赤色の多肉植物がドコドコ走ってきていた。
エドワードによってジャングルに引きずり込まれた時も「こんなことってある?」と思ったけれど、今はその時の十倍くらいの焦りと共に「こんなことってある?!」と感じている。
多肉植物に追いかけられるというこの状況。始まりは、エドワードがザクザクと草を掻き分けてジャングルの中の開けた場所に到着した瞬間だった。
私はサカサカ手足を動かして何とか彼の手から逃れようとしていたが、逃がすまいと思ったらしい彼の腕に抱え直されて、ぎょっと固まる。
私が借りてきた猫の様に大人しくなったその間に、エドワードはスゥッと息を吸って「アニーーーッ!」と(今思えばこれが悪魔召喚の呪文だったのだ)植物であるらしい“アニー”を呼ばった。
「あの、そろそろ放してください……」
「よし、アイリーン嬢! 準備は良いか、アニーが来るぞ!」
聞いてねぇ……
げんなりしながら、私はエドワードが指し示す方に目を向けた。がさり、かさり、と大きな何かが向こうの茂みを掻き分けて近づいてくる。
何、あれ……
自律稼動する植物自体はこの温室で授業を受ける内に見慣れたけれど、皆私の膝くらいまでの高さだった。
けれど、茂みの中からやって来たのはそんな生ぬるいものじゃなかった。
ズシン……ズシン……と低い地響きはそれの足音だった。見上げるほどの体高。艶々とした肉厚の赤い植物が、ゆっくりと、しかし確実にこちらに近づいてきていた。
「こ、これは流石にまずいですっ!!」
「驚くのはこれからだ! アニーは凄まじい植物なんだぞ!」
「もう十分ですから帰らせてください!」
「さあ力を合わせて勝とう!!」
「っざけんな話聞けよっ!!」
私はついに敬語を投げ捨てて、エドワードの腕の中からすぽんと抜け出す。駄目だこの人、後ろから殴ってここに置き去りにしようか。
『ブモォォォッ!!』
「ひぇぁっ!!」
多肉植物――アニーが吼えた。
直後、エドワードが勢い良く踏み込んで突撃していく。植物相手だからか、その両手に鮮やかな炎を纏わせていた。
「さあ行くぞアニーッ!!」
軽やかに地を蹴る。炎を纏う握り拳を振り上げて、エドワードはアニーに飛び掛かっていく。
迎え撃つアニーは、腕(としか思えない部位)をずるりと持ち上げ、思った以上に機敏な動きでそれを振った。
「おぉぉぉっ!!」
『ブモォッ!!』
鮮烈に、力強く繰り出される橙炎の拳。しなる鞭の様な禍々しい赤色の一閃。その二つが刹那交わる――――
バシンッ!!
「ぅおぉぉぉっ!!」
そしてエドワードは星になった。
『ブシューーーッ……』
鼻息(植物に鼻があるのか?)荒く、それを見送ったアニーが、ズォォ……と身体を揺らしてこちらを見る。
目なんて無いはずの植物だけど、明らかに私はその視線に射竦められた。
「わ、私は挑みに来たんじゃ……」
『ブモォォォッ!!』
「ですよねぇーーーーっ!!」
吼えたアニーに、私は半泣きで叫んで身を翻し一気に走り出した。
追いかけてくるぅぅぅっ!!
私はひたすら全力で走った。




