第20話.ショタコンと温室のハインツ
「んっはーーーっ!! 最高っ、まさに天上の甘露っ、これは命の水かっ!!」
アイリーンは馬鹿でかい声で叫んでベッドに倒れた。昼前に出かけて、夕方に戻ってきた白鳩は、なんと母父、そして何より最愛のリオからの手紙を持って帰ってきてくれたのである。
(母さんと父さんの手紙も勿論気になるけれど、リオの手紙が最優先なのは誰にだって分かるだろう。だってリオからの手紙だぞ? 優先しないとか有り得ないでしょ!)
性格が出るのか、少し癖のあるアイリーンの字とは違って、さらさらと流れるような綺麗な字で綴られたリオの日常は、ショタ欠乏症でカラッカラだった彼女の心を一気に潤いぷるぷるに戻した。
例えるなら、乾燥させた寒天を水に突っ込んだ感じ。完璧にぷるりと生き返った。
「ふっはーーーっ! 何だこの弟、たまんねぇ、『今日の晩ごはんはシチューだったけど、お姉ちゃんは何を食べたのかな』だってぇぇっ?! ひゃぁぁぁ、可愛ぇぇぇぇっ、変わりのない日常最高っ! ちなみにその日はマッシュポテト食べてましたぁぁっ!!」
マッシュポテトはいつも食ってるだろ、と突っ込んでくれる者はここにはいない。
「『だんだんむずかしい火の魔法も使えるようになってきたよ』っはーーーっ、私の弟優秀すぎるだろーーっ、可愛い!」
“優秀”と“可愛い”に果たして関連性はあるのか。弟の手紙を全身で摂取した状態である彼女の脳内はかなりブッ飛んでいた。
「んんんーーーっ、悶絶必至」
バタバタしていた手足がパタリとベッドに落ち着く。ほ、と小さく息を吐く。
「……会いたいな」
興奮の余韻で潤んだ薄赤い眦を細い指先で拭って、アイリーンはぽつりと呟いた。
俗に言う“賢者タイム”である。
―――――………
それから、結構な日数が経った。その間に私は何度かマダム・ベルタンのところへ行って創立祭用のドレスの調整を行った。
ラタフィアやジェラルディーンも何度か休暇に実家に帰っていたので、恐らく彼女らも調整であろう。
私のドレスの詳細は当日までのお楽しみだ。かなり良い出来である、とだけ言っておこう。
「はぁ~……近づいてるねぇ、創立祭」
「ええ、確実に近づいておりますわよ」
「でもまだまだ遠いよ? これ、もうやる必要あるかな?」
「何を言っていますの。今からやっておかねば本当に迫った時にもたついてしまいますのよ」
「うーー」
「はい、姿勢を正して」
私は小さく唸りながら、テーブルに載せていた顎を持ち上げ背筋を伸ばす。何をしているかと言うと、創立祭での髪型決めである。
こう言うの、ラタフィアみたいなお嬢様は普通慣れてないんじゃないの。何でさっきからプロ顔負けのヘアアレンジを披露してくれるのさ。
髪を梳かす櫛の心地に目を閉じながらそう訊ねると、ラタフィアは「ふふふ」と楽しそうに笑った。
「ずっとやってみたかったので少し勉強いたしましたの」
「へぇー……」
すごいなぁ。“やってみたかった”から“勉強”してこれか。やってみたかったからという理由でここまでの腕前になるラタフィアの才能が怖い。彼女、スパダリかも。
「髪飾りに青を取り入れましょう。何か希望はありますか?」
「リボンとかでいいよ~」
庶民的要望を伝えないと、ラタフィアは遠慮なく彼女の髪飾りを貸してくれて(本物の宝石の煌めきにかなりビビった)私は(落としたらどうしようという恐怖で)動くことができなくなってしまうので、無難にリボンを選ぶ。
「分かりましたわ」
そうして無言になり、黙々とヘアアレンジに勤しむラタフィア。どうやら彼女にはスパダリの気もあるが、職人の気もあるようだ。
自分のは決まってるとか言ってたけど、ここまでしてもらうと申し訳ないなぁ……
「……これは、こうして……少し花が……どういたしましょう……」
ラタフィアは何やら呟いている。
花……!!
イエス、閃いた。
取り敢えずあとで温室へ行かなきゃ。
―――――………
軽く扉を叩いて(ノックではない。扉を内側から覆っている植物をどかすためである)私は温室に踏み込んだ。
普通に暑い。熱帯だ。外も暑くなってきたからここは四捨五入して地獄である。
のそのそと地面から出てきて歩き回っている多肉植物を見送り、私は授業によって慣れた温室の中をサクサク進んだ。
「キシェェェッ!!」
「うるさいよ」
行く先に蔓植物の先に着いた花が群れて大騒ぎしているので、魔力で威圧して道を開けさせる。こうしないと彼等は永遠に騒ぎ合っているので仕方がない。
目的地は栽培中の魔力草のところだ。あの花に用がある。その前にはディオネア教授がおり、彼女はお馴染みの三角帽子に水をやっていた。
敢えてもう一度言おう。
彼女はお馴染みの三角帽子に水をやっていた。
「あ、教授。こんにちはー。何をなさってるんですか?」
「む? あぁ、水寮のアイリーンだね。見ての通り水やりだね」
……うん何も言うまい。こちらもお馴染み帽子の上の蝿取り草も嬉しそうだしね。
ディオネア教授は「何かご用かな?」と首を傾げている。考えるのをやめてとっとと用事を済ませよう。
「魔力草、見に来ましたー」
教授のゆるーい許可を得て、普段魔力草の鉢を皆で置いてあるところへ入る。
「よしよし……」
私の馬鹿でかい魔力草は今日も今日とて両手をお椀にしたサイズに等しい大きさの鈴蘭に似た花を付けている。相も変わらず色は様々、目立ちすぎだ。
「五個くらい採れるかな……」
私はそんなことを呟きながら、魔力草の花をプチプチと採取していく。白を二つ、薄青を三つだ。
持ってきていた籠にポイポイ入れて、私は「よし」と頷く。あとは寮へ帰って魔改造するだけだ。
「ありがとうございましたー」
「早かったね。花を採取したんだね。ふんふん、五個か。上手だね」
私は一応花籠を教授に見せ、大丈夫とのお墨付きを得て安堵する。
よし帰ろう。
そしたら楽しい魔改造の時間だ。
しかしその時。
「ぬぉぉぉーーーーっ!!!」
鮮やかな赤が宙を舞った。
私は死んだ目でそれを見上げ、どうしてか単独行動に出る度に平穏に終わらないのって何でかな、と自分の体質を呪う。
「あちゃー、また駄目だったかー」
ディオネア教授はのんびりしたもので、隣で私が深淵と目が合ったみたいな顔をしているのも構わず「ハインツー、受け止めてー」と誰かに頼んでいる。
ハインツって誰よ。
その答えは思った以上に早く、宙を舞う赤の下から現れた。つまり温室の迷宮、ジャングル地帯から、である。
で、でかすぎない?!
木の葉を撒き散らしてズオォォンッと屹立した巨大な深緑色の蔓。
規格外なそのサイズは、かなり高さのある温室のガラス天井に余裕で届く長さと、大の男が手を繋いで円を作って囲むのに五、六人必要そう、という言葉で通じるだろうか。
その蔓は暴力的なしなりでもって宙を舞っていた赤を捕らえた。
そのまま捕食されそうな勢いである。
あの人、大丈夫かな……
私は溜め息を吐いて、ハインツが身を屈めて捕まえたものをこちらに落としにくるのを見ていた。




