第19話.ショタコンと手紙
「じゃあ、よろしくね」
「ポポウ」
私の言葉に白鳩はそう鳴いて、パタパタと青い空へ飛び立っていった。
それを見送り、私は「ふふ」とつい笑みを漏らす。あの白鳩は伝書鳩。細い足には手紙が入った筒をくくりつけてある。
「やっと送れた」
なんでこれ、有料な上に鳩の数が少ないんだ?!
そう、この伝書鳩。訓練されている歴とした魔生生物であり、門の白くまちゃんと同じく学園の所有物である。
生徒が――主に庶民が――遠方の家族に手紙を送るためにあるんだけれど……
私が来ると狙った様に鳩が出払ってるのは何でなんだ!!
どうやら鳩は三十にも満たない少ない数しかいないらしく、対して生徒数はかなりのものである学園では、実家に手紙を送りたい生徒同士の熾烈な鳩争奪戦が行われていたりいなかったり……
私は運が悪いらしく(はたまた知らないところで勃発している鳩争奪戦に密かに負けているのか)これまで一度も手紙を送ることができなかった。
リオ、心配してるよね。炎を送ってくれたあの時「大丈夫、ありがとう」って、一言でも知らせたかった……
愛しい弟に、そして両親に、伝えたいことはたくさんあった。学園でできた初めての友達、この生活が楽しいってこと、けれどやっぱり寂しいってこと。
きっと心配をかけているに違いない。リオなんて、きっとすごく不安で悩んでいるんじゃないかな。
あーーーっ、あの最高に可愛い弟の心を曇らせているかと思うと自害したくなるほどにつらいっ!!
でも自害しないよっ! この先すくすくと大きくなっていくリオを愛でられなくなっちゃうからねっ!!
鳩を捕まえられる日を待って書き溜めていたら、手紙はかなりの量になっちゃったけれど、今日たまたま鳩舎塔に飛び込んでいく白い影を見かけた時、すぐに走っていって手紙を渡したら、鳩は胸を張って「クルッポウ」と答えてくれた。
多分、重いよね。
よろしくね、鳩。
私はパタパタと鳩舎塔を後にした。
―――――………
晴れ渡る青空の下、芝に転がってぼんやりしていたリオの視界を白い何かが通過した。
見慣れないものに敏感な彼はすぐさま身を起こしてその白いものを探す。
(……鳩?)
柔らかな菫色の目を細めて、リオははてと首を傾げた。さらりと揺れる金糸の髪は日光を浴びて柔らかく輝いている。
ほんのりと赤みを帯びたまろい頬。あどけなさの抜けない無垢な表情の中で、うっすら開いた薄赤の唇が危うい甘やかさを持っていた。
姉弟両方の師であるサラジュードによる修行によって、成長したのは魔力操作や魔法の技能だけではない。リオの目はとても良い目だと発覚したのである。
(ちなみに、他に育ったものと言えば、リオの背が少し伸びたこと、失われない可愛らしさに凛々しさが加わってきたこと、そしてサラジュードのショタコンが進行したことであろう)
そんなリオの目には、一見何の変哲もない白鳩が持つ爽やかな魔力の色と、その脚部に何かとても嬉しい気配を付けているのが見えた。
「……!」
リオは唐突に閃いた。
(お姉ちゃんだ!!)
あの鳩に、リオは覚えがあった。アイリーンの入学許可書を運んできた鳩の気配にそっくりなのだ。
胸元の金紅石入り水晶からアイリーンのピンチが伝わってきて、そこに炎を注ぎ込んだ日から、何の便りもないことがリオの心を密かに悩ませていた。
もしや手紙では、と直感が告げている。リオは慌てて立ち上がると全力で家へ向けて走った。
「おかあさんっ!! 鳩がっ!」
天使の輪が煌めく髪を乱して家に駆け込んできたリオに、窓辺で白鳩を不思議そうに眺めていた母のローズは「あらあら、リオ、どうしたの、そんなに慌てて」とおっとり笑んだ。
「その鳩、きっとお姉ちゃんからの手紙を運んできてくれたんだよ!」
そんな気がするんだ、と言って目を輝かせながら、リオは取り敢えず開いている窓を全て閉めた。
「あら、リオ。窓を閉めてどうするの。鳩が帰れなくなってしまうわ」
リオの言葉に従って、鳩の足にくくりつけられている小さな筒から中身を引っ張り出すローズ。どんな魔法がかけられているのか、指先で摘まんだ小さな紙は筒から出ると同時にそこそこの大きさの紙束となった。
窓を閉め終え、かなりの距離を飛んできたのだろう鳩のために水とパンを用意して運んできたリオが「やっぱり手紙だ!」と喜びの声を上げる。
頬を赤くして、いつになくテンションの高い息子の様子にローズは微笑んだ。
それから、普段は“おしとやか”という形容が似合うほどに控えめで大人しい子なので、いつもこう元気に満ち溢れていてくれたら安心感が違うのになぁと考えて苦笑する。
(そんな大人しいところもこの子の個性よね。健康に問題は無いのだし、良しとしましょう)
「だって、鳩が今帰っちゃったら、お姉ちゃんに返信が出せないよ!」
「あら、確かにそうねぇ……」
ローズは納得して呑気にパンを啄んでいる鳩を眺めた。
おっとりしすぎて時折大切なことを逃すローズに似ず、リオはかなりしっかりした聡明な子である。キリッとしながら、かなりぽんこつなところがあるのはアイリーンの方であった。
「私とアイザックは一応手紙を書き溜めていたけれど……」
リオは、と言いかけたところへ、当のリオが二階へと走っていくのが見えてローズは口をつぐむ。
しばらく鳩を眺めて待っていると、紙束を持ったリオが戻ってきた。どうやら彼も手紙を溜めていたらしい。
「僕のもあるよ! 一緒に出して!」
「はいはい、そうしましょうね」
そうしてローズは自分の書いた手紙と、夫の書いた手紙、そしてリオの書いた手紙を合わせ――かなりの量になってしまった――入るだろうかと不安視しながら、その束を鳩の足の筒に近づけた。
しゅるん。
「あら」
「わぁっ、すごい!」
手紙の量などお構い無しか。筒は大量の手紙を吸い込んで、鳩はそれを確認するとコツコツと窓を突き始める。
「もしかして、窓を閉めなくても待っていてくれたの?」
そう訊ねたリオに、鳩は胸を張って「ポッポポゥ」と鳴いて答えた。「そっか」と眉をハの字にして苦笑したリオは鳩の小さな頭を指先で優しく撫でる。
「つい慌てちゃった。びっくりさせちゃったかな、ごめんね。僕たちの手紙、お姉ちゃんのところへ届けてくれる?」
「ポポゥッ!!」
「よろしくね!」
鳩の元気な返事(と言うのも不思議な気分だが)に安心して、リオは窓を思いっきり開いた。蒼穹を見上げた鳩が白い両翼を広げて飛び立つ。
リオは窓辺に母と並んで立ち、瞬く間に白い点になり、そして見えなくなる鳩を見送った。
「……さあ、アイリーンの手紙を読みましょうか」
「うん! 読む!!」
食卓に並んで座り、二人はアイリーンからの手紙を日付の古い順に開いて読み始めたのであった。




