第16話.ショタコンの無我の境地
私は息を呑んで(ごきゅって鳴った)その景色を眺めた。にわかには信じがたい。
「何、これ……」
訓練所全体に、透明で綺麗なガラス玉みたいなものが沢山浮かんでいた。
どれもつるりと完璧に丸くて、中に火でも入れたら素敵なランプになりそうだ。
夜空から降る月光が、数えきれないほどの球体の中で柔らかく反射して、あちこちでキラキラと煌めいている。
とても神秘的な光景だった。でも何だろうこれ、分からん。
ギルバートの言ったことを考えるに、まったく身に覚えがないが、私がやったのかな?
え、じゃあ、これ全部……
そう考えて思考が揺らいだ。つられて魔力も揺らぐ。その結果。
パシャァァァンッ!!
「うわっ!!」
訓練所全体に浮かんでいた『水球』がすべて見事にはじけた。
それは白い小型花火が炸裂した感じの見た目で、静止していた無数の球体が突然揃ってはじけるという様子は、まるで静と動の芸術の様である。
私とギルバートは近くにあったやつの飛沫をもろにくらった。
「……はぁ、その様子を見るに、特に問題は無さそうですね」
水もしたたるいい男形態になったギルバートが溜め息を吐いてそう言った。私は彼を見上げて「自分でも何が何だか」と言い訳がましいことを言う。
「三年の生徒が、訓練所で一年の女子生徒が『水球』を量産し続けており、呼び掛けても反応がないと寮長室に飛び込んできました」
「呼び掛けられてたんですか、私……」
やばいね、無我の境地じゃん。
「取り敢えず、訓練所にいた者たちは“何かあってはいけないから”と言う名目で外に出しましたが……アイリーン、貴方はいったい何がしたかったんですか?」
うっ。
うん、そうだよね、怒ってるよね。
私が何分無我の境地に足を踏み入れて、無心にポコポコと『水球』を量産していたか知らないが、そもそも訓練所へ来たのが夜の九時過ぎである。
結構遅い時間だ。誰にも邪魔されない夜の一時、のんびりしたいと思うのが普通だろう。
そんなときにギルバートは呼び出されたわけだ。私の最強の無我の境地によって。
しかも結局私は無我の境地ってただけだし、水を被るという目に遭うしで、相当頭にきているんじゃなかろうか。
「あの、寮長……ご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした」
「……ギルバート、と」
「え゛」
こんな時にもそれに拘る?!
何回かやられて、その度に無かったことにしようと“寮長呼び”に戻してるのに。毎度これだよ。
「ギ、ギルバート……さん。こんな時間にご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
「……アイリーン、私は怒っていませんよ」
えっ、じゃあ何で沈黙が重いの?!
絶対嘘だと思って私はじろじろと怪しむ目でギルバートを見る。私の隣に(この岩はでかい)腰かけた彼はそんな視線に苦笑した。
「まるで『水球』の牢の中に囚われている様な貴方の姿を見た瞬間、つい、取り乱してしまったのです」
「…………」
なんで攻略対象っていう生き物は毎度言うことがやけに詩的なのか。
背中の真ん中らへんがむずっとするからやめてほしい。
「……貴方に何事も問題が無いのなら良かった。ただ、何をしようとしていたのかは聞かせていただけますか?」
私はもにょもにょと唇を動かして、視線をあちらこちらへと泳がせたが、ギルバートの手がいつの間にか私の手を捕まえていたのに加え、その水宝玉の瞳がじっと私を見ていたので、逃げられないようだと早々に諦めた。
「『鍵言基礎学』の課題のために、完璧な球形の『水球』を作ろうと思って、無心でやってみようと、その……」
「……ふむ、なるほど。確かに貴方は鍵言系の科目で苦労しそうですね」
「その通りです……」
「それで、無心になりすぎた結果があの状態ですか?」
「恐らく……」
私はまたもや唇をもにょもにょと動かして項垂れた。何にも考えていなかったから自分が何をしたかも分からないから、結局課題のヒントは見出だせなかったし……
私が『精霊の愛し子』ってことは教授たちにも秘密だから言い訳もできない(知られていたとしても、なるべくそう言うことはしたくないけど)。
厳しい課題だ……レポート、どうしようかな。想像と妄想の力でそれらしいことを書ける才能が欲しい。
そんな天才いるわけ……あー、そう言えばいたな。
前世の私の親友。想像と妄想の力でやけに論理的な嘘っぱちを延々と話して、絡んできた不良を撃退していたっけ。
あの時、何で絡まれたんだっけ?
二人で歩いて家に帰っていた時のことだったと思うんだけど……
覚えていない。すっかり忘れている。
……はーぁ。
「流石と言うべきか悩みますが……次からは気をつけてください」
「あ、はい……気をつけます」
「それから、課題に悩んだら私のところへ来てください。相談に乗りますから」
「え、でも」
「上級生が下級生の相談に乗ることは良くあることですから大丈夫ですよ」
そうは言っても。私が相談するとしたらラタフィアかジェラルディーンだしなぁ。
あの二人、超頼りになる。
「じゃあ、何かあったら……」
「是非そうしてください」
そう言って立ち上がったギルバートは私を振り返って手を差し出した。ふむ、手を取って立てと。お手じゃ駄目か。
考えていたってどうしようもないので仕方なく手を重ね、よっこらしょと立ち上がる。
帰りましょう、と言うのでこれ以上『水球』祭をする気の無かった私は素直に頷いて歩き出した。
寮の玄関で分かれ、攻略対象と二人きり状態を脱してホッとしながら階段を三段上った私に、後ろからギルバートが「アイリーン」と声をかけた。
何か、と振り返る。魔力をそこそこ多く放出しちゃったからか、とても眠いんだ。早く帰りたい。貴方もこんな時間に私のせいで呼び出されたんだから眠いでしょ。
「『水球』の魔力効率を上げるには、雑念を払って無心に行使する、という方法が実は一番なんですよ」
「え……?」
「それでは、おやすみなさい」
にっこり爽やかに笑んで彼は階段を上っていった。それを見送って、私は「それって」と呆然としていた。
頭の中に「よく一年生のこんな時期の課題に覚えがありますね」とか「て言うか私課題のテーマ言ってないよね?」とか色々なことが浮かんだけれど、結局私は――――
「……ふぁぁ~」
眠い。
私はこれ以上頭を使いたくなかったのでそのまま思考を放棄し、すたすたと階段を上がった。
翌朝、夜のことを思い出しながら吟味して「無心、でレポート書くか」と決めたのであった。




