第14話.ショタコンと信頼
寮に戻ってきた私を、胸騒ぎから玄関的な階段広間で待っていたと言うラタフィアが「寮長に付き添われていると言うことは何かあったのですねっ?!」と激しいハグで迎えた。
「やはり貴方についていくか、引き留めるべきでしたっ! 大丈夫ですか?」
「うん。何ともないよ」
「ああ、良かった……」
彼女の髪を躊躇いがちに撫でて、私は抱き締められた状態のまま、扉の前で腕を組んでいるメルキオールを振り返る。
「寮まで送ってくださってありがとうございました」
「別に。教授に頼まれたから仕方なくやっただけだし」
「あと、あの時飛び込んできてくれてありがとうございました」
そう言うと彼は考え込む様に少し目を細めて左に視線を流した。それから何かを思い付いたのか、私に視線を戻す。
何だ、何を思い付いたんだ。できればその思い付きを口にしないまま帰ってほしいです。お願い。
「あのさ、その猫被りやめてくれない?」
猫被りだと?!
「君、あそこで一回僕のこと呼び捨てにしかけたでしょ。誤魔化そうとしてたけど、誤魔化せてなかったし」
「ナンノコトヤラ……」
ラタフィアに今すぐ「お部屋に帰ろ」と言いたいが、彼女はまだ私にひしっとしがみついて離れない。
そんなに心配かけたかな? 調べものの内容を察していながらあえて見逃して私を行かせたから? そんなの、ラタフィアは何も悪くないのに。
「君と僕じゃ、他の寮長より歳が近いでしょ。猫被りに敬語使われるの、僕嫌いだから」
「ええ~……」
どうしよう。
ノワールと遠慮なく話しているのを聞かれているから、確かに寮長たちの前で話している時の私の寡黙な印象は、爆弾をいきなり口に突っ込まれたレベルの衝撃で吹き飛ばされたに違いない。
確かに、あんな様子を見てから、現場にいたのに猫被られるのは嫌だよなぁ。私なら「なんやこいつ」ってなる。
でもなぁ……勿論、彼を焦らしたいとかじゃなくて、今後に待ち受けることになるかもしれない問題のせいで悩む。
もしも、仮に、他寮の寮長である彼と親しげに(この点については自身の想像と言えども遺憾)話しているのを土寮の生徒に見られたら。
これはあくまで仮に、だからね。起きるかもしれない問題を想定して脳内シュミレーションしてるだけだから。
サラサッタ然り、土寮の女子生徒の一部は美少年メルキオールに恋心か憧れかを抱いているらしく、メルキオールと水寮の女子生徒が授業中に少し近づくだけで睨んでくるんだよね。
授業中でさえそうなんだから、況んや休み時間をや、ってやつだ。不必要な恨みまで買いたくない。ただでさえ邪神ファンに狙われてんだから。
「……じゃあ、他人のいないところで、なら何とか」
「……ふぅん。ま、それでいいよ。じゃあ僕帰るから」
よくねぇよ……はぁ。
私は溜め息と共にメルキオールを見送った。出来れば私の新しい一面に失望してほしかったのに。
「ラタ、そろそろ部屋に帰らない?」
そう言って視線を戻したら、何やら考えているらしい美貌が目の前にあった。
いつの間にか、しがみつき状態から少し離れた抱きつき状態になっており、私の腰に腕を回したまま、ラタフィアはメルキオールが出ていった扉を見つめている。
「っえ、ええ、そうですわね、帰りましょう」
「??」
何だろう? らしくないのはまだ私のことを気にしているからかな?
うむ、気にするなの意を込めて、私からぎゅーっとしておく。
落ち込んでいる時にこうすると、リオは毎回ふにゃりって笑うんだよね。
菫色の目を細めて、もちもちの頬を赤くして、笑みの形になった小さな口から「ふふふ」って嬉しそうな声が漏れるんだ。
お姉ちゃんのハグは無敵なのか……? と錯覚してしまうくらいには毎回確実に元気付けられる。
これがラタフィアに効けば良いけれど。
柔らかっ、あと、何かいいにおいがするんだけど……
初めて女の子を抱きしめた男子みたいな感想を脳内で漏らしつつ、とても細いのに柔らかくてふわふわするラタフィアをぎゅーっと抱きしめる。
「ア、アイリーン?」
「ラタ、今回のことは気にしないで。私は大丈夫だと思ったし、結果的に怪我もしていない。それに、本当に危ないことだったらちゃんと止めてくれるでしょ?」
だからいいの、と言って両腕に力を込める。戸惑っていた様子のラタフィアは(自分からは飛びついてきたのに、されるのは慣れないんだな。可愛い)次第に身体の力を抜いて、ゆるゆると両腕を私の背に回してきた。
「ふふ、不思議ですわ。何だかぽかぽかします。自分から抱きついた時は、一方的な安堵しか感じなかったのに……今はとても暖かな気持ちです……」
もしやお姉ちゃんのハグは本当に無敵なのか?! ハグで異世界無双なの?!
まさかラタフィアにもここまで効くとは思わず、私は内心驚きで慌てた。
私の首筋に額をすり寄せたラタフィア。前髪が肌に触れてくすぐったい。少し笑って身をよじる。
くすくすと笑ったラタフィアが少し身を引いて私と真っ正面から目を合わせた。
「……ありがとうございます、アイリーン。私も、貴方なら問題なく困難を乗り越えられると分かっています。その先にどうしても光が見えない時だけ、その手を掴むことを許してください」
「うん、よろしくね」
「ええ、こちらこそ」
微笑み合ってから、私たちは寮の自室へと戻っていった。
―――――………
その夜。夜風に当たりたくて少しだけ開いていた窓から、ひらりと黒蝶が舞い込んできた。
月光に照らされて、淡く紫の燐光を散らすその蝶は、ベッドに投げ出していた私の左手にふわりと舞い降りて止まった。
私はそれをちらりと見て、小さく溜め息を吐く。
「……ノワールでしょ」
『ご名答。よく分かったな』
答えて、蝶がぶわりと黒く靄の塊に変じる。私は若干ぐったりとした気持ちで「吹き飛べばいいのに」と乱暴に息を吹き掛けた。
吹き飛ばされて闇が晴れる。そこには端麗な闇の精霊が座っていた。
「何しに来たの。用事によっては光球で迎撃する気満々だからね」
「おぉ怖い怖い。安心しろよ、もう無理強いはしないから」
どうだか、と私は肩をすくめる。
ノワールはクツクツと喉を低く鳴らして笑うと「いや、な」と言葉を続けた。
「学園側の調査法じゃあ、犯人は分からないってことを伝えに来た」
「……え?」
「あれは深くに闇を植え付けられ過ぎて、学園の記録にある魔力とは大きくかけ離れたモノになっているからな」
「ちょ、待って。それどういうこと?!」
もしや、犯人を知っているのだろうか? それか、犯人に気づいたとか? 何にせよそいつは隠れ邪神ファン(分体)である。教えてほしい。取っ捕まえてやる。
「俺は闇の精霊だぞ? 偽物のにおいはよく分かる。まあ、本体は上手く気配を散らしているから確定ができないのが残念だがな」
「それ、教えてくれる気は……ないのね」
化け猫みたいににんまりと笑ったノワールに、私はまた溜め息を吐いた。なんて役に立たない精霊だろうか。
「闇は育てれば育てるほど美味くなる。あれはもう少し、ってところだな。ああ、君に被害が及ぶようなことにはさせないさ。その前に喰ってやるからな」
「……そういう問題じゃない」
「まあ、心臓を狙われている身なら、そう思うだろうなぁ」
てめぇ……いつか必ず情報を吐かせてやるからな……覚えてろ……
私を狙う隠れ邪神ファンに対して“本物の闇の力”という最強無敵のアドバンテージを持つからか、余裕ぶっこいた顔をしているノワールに、私は顔をしかめた。
「前に言わなかったか? 俺は、この学園に闇の力を感じたからやって来たんだ。しばらく待てば良い具合に育ちそうだったからな」
「それ、食べてどうするの?」
「邪神の信徒共の力はな、邪神への強い祈りによって……あー、これが人間らしい汚い欲望だったりするんだが……それによって、封印されている邪神から、封印の微かな隙間をぬって“種”を貰うんだ」
種? 何じゃそれ。
「その種は力と共に人間の魔力の根源へと潜り込む。信徒共はそれを育てて、死ぬ時に邪神へ戻すことで奴を復活させようとしてるわけだ」
なんちゅう復活プログラム。よく考えたなぁ。マジ迷惑なんだけど。
て言うか、それなら『精霊の愛し子』の心臓要らないじゃんか!!
「君の様な者の特別な心臓はな、信徒千人分に相当するらしいぞ?」
「うわっ……」
誰が言い出したか知らないけど本当に何してくれてんだ。一粒でレモン百個分、みたいな言い方、切実にやめてほしい。
レモン一個分のビタミンCはレモン一個分でしかないんだよ!!
「ま、そう言うことだ。俺はよく君を見ているが、そうでない時もある。だから警戒は怠るなよ」
もしかして今、さらっとストーカー宣言した? え? 嘘でしょ?
「じゃあな、アイリーン」
立ち上がったノワールは私を振り返り、そう言って少し身を屈めた。
額に、彼の冷たい唇が触れる。
「良い夜を」
「っ、なっ!!」
何しやがる!!
私は焦って大量の光球を(その明るさはサッカースタジアム並だった)出現させたが、その時には彼はカラカラ笑いながら蝶に転じて窓から飛び去っていた。
やっぱり信用ならない!!
あのストーカーめ、こうなったら自力で犯人を探してやるんだからな!!
私はきちんと戸締まりをして、ベッドに潜り込んだのであった。




